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2012年12月28日 (金)

プレイバック草 燃える・総集編第五回「尼将軍・政子」

元久2(1205)年6月。
謀反人を誅するべく、数騎が由比ヶ浜へ走っていました。

その1騎、畠山重保も由比ヶ浜へ駆けつけたわけですが、
三浦義村が「わぬしが謀反人よ」と驚きの一言を発し、
取り囲まれた重保はその場で殺されてしまいます。

その父・畠山重忠も、
鎌倉に騒ぎありと聞いて駆けつける途中で討伐軍に遭遇、
善戦するも力尽きてしまいます。

しかし、今回ほど討伐軍が納得できない戦はありません。
畠山といえば忠臣の家、だまし討ちもいいところです。

今回の畠山討伐には、
北条時政の側室・牧の方が噛んでいるらしいというウワサが
あちらこちらで囁かれています。

時政は、息子たちに謀略で陥れられた風を装って
自分よりも才があると認めた義時に後を託します。
出家し、牧の方とともに伊豆に落ちていきます。


建保元(1213)年2月、
北条氏打倒の陰謀により、事件に関係したとして
和田義盛の子、義直・義重と、甥の胤長が逮捕されます。

義盛は和田一族を引き連れて、胤長の赦免を嘆願しますが、
実朝の返答を義時が代読したところによれば、その答えは
「胤長は事件の張本人であるので許すことはできない」でした。

胤長は陸奥国への流罪と決まります。

5月、義盛らはついに決起します。
三浦義村によって、義時へ義盛挙兵の報告が入ります。
義村は和田方から北条方へ土壇場で寝返ったわけです。

義時邸を襲撃する和田軍。
御所が炎上する中、辛うじて実朝は法華堂へ避難します。


しかし和田勢は疲労してじりじりと退き始めます。
義盛は討ち取られ、一族郎党もろとも討死しました。


三代将軍・実朝は
源氏の家系が呪われていると感じており、
血で血を洗う武家に対して嫌気が差しています。

義時にも、京から迎えた妻・音羽にも
子づくりしない宣言をします。

義時は、源氏の後継ぎを諦め
京から次の後継者を選ぶことにします。

建保5(1217)年6月、
都で僧侶としての修行を積んだ善哉は、
「公暁」と名を改めて18歳で鎌倉に戻ってきます。

政子は再会に涙し、公暁の成長をとても喜びますが、
2代頼家の子・公暁には将軍後継者としての地位ではなく
鶴岡八幡宮別当の役目が宛てられます。

それには公暁も不満ですが、
義村の薦めでしぶしぶ承知せざるを得ません。
公暁の内心は、源氏打倒にあるわけです。

実朝は右大臣に任命されます。
この儀式を北条打倒の絶好のチャンスだと考える義村は、
実朝のみならず、義時こそ親の敵であると公暁に刷り込みます。


承久元(1219)年1月27日。
雪が激しく降りしきる中、
実朝が右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣します。

公暁が実朝の命を狙っていることを察知した北条泰時は
実朝や義時に知らせようと駆けつけますが、
義時は直前に具合が悪くなったらしく、
別の者に交代していました。

実朝にも取りやめを勧告しますが、
現世に望みをなくしていたためか
それに構わず拝賀の式を続行します。

そんな泰時を見て騒然とする義村でしたが、
後ろから肩をポンとたたかれて振り返ると
そこにいるのは義時と時房兄弟。

義時が、列に加わっていない!?
義村は冷静さを装いつつも、列を追って凝視します。

すると、実朝が鶴岡八幡宮の石段を上り始めた辺りで
木の影から躍り出た公暁に下襲の衣を踏みつけられ
転倒した実朝はめった刺し、暗殺されてしまいます。

「これからは! オレの世だ!」

公暁は高らかに宣言しますが、
彼は“成功した”と思い込んでいる義時の暗殺には
実は失敗していて、
義村は反北条の兵を挙げるのを諦めるしかありません。

屋敷の門を閉じ、公暁を屋敷内に入れないようにします。
その上で公暁を見つけ次第、誅殺するように命じます。

義村邸に向かう途中で討手に遭遇した公暁は
追っ手に斬られながら義村宅の板塀までたどり着き、
失意のまま討ち取られます。

実朝と公暁の死により、頼朝直系の血筋は絶えてしまいました。


承久3(1221)年5月14日、実朝暗殺を受けて
後鳥羽上皇は、義時追討の院宣を全国に発します。

それを知った義時は、いくら院宣と言えども
臆することなく出兵するようにアドバイスします。
つまり院宣は勝った者にいくらでも与えられるものです。

源 義経に与えられた院宣の時もそうでした。
頼朝追討の院宣を発せられておきながら、
形勢不利と見るや義経追討の院然が後から発せられる。

その夜、鎌倉中の御家人が鎌倉御所に招集され、
政子は、東国の武士団に対して演説します。

──いま幕府は創設以来の危機に見舞われています。

亡き頼朝公が朝敵を征伐して、坂東に武家の府を創設されて以来
官位や禄の全て、みな頼朝公のおかげでないものはありません。

昔の坂東の豪族の暮らしは己の土地から税を高く取られ
官位など望むべくもなかったのです。
それを頼朝公は武士の力を結集して
全国の領地に地頭式として武士を配したのです。

鎌倉の力をここまでにするために、
頼朝公がどれほどの努力を払われたか。
すべて武士のためにと力の限りを尽くされた
亡き殿の厚恩を今こそ思い出さねばなりません。

この恩義に報いるために、何をなすべきか。

それを、亡き殿が作り給うたこの鎌倉の地から
武士の地盤としての地頭式を守り抜くことなのです。

いま鎌倉は創立以来の危険に見舞われているのです──。

義時らは素早く兵を集め、
軍勢を東海道・東山道・北陸道の三方から
京へ向けて攻め込ませます。

幕府軍の出撃を予測していなかった
後鳥羽上皇ら京方首脳はひどく狼狽し、
京方は総崩れになって大敗を喫します。

後鳥羽上皇は義時追討の宣旨を取り消しますが、
7月、首謀者・後鳥羽上皇は隠岐島へ、順徳上皇は佐渡島へ配流。
討幕計画に反対の土御門上皇は自ら望んで土佐国へ配流されました。

幕府の危機は去りました。


鎌倉に平穏な日々が戻ってきます。

 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
 おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
 たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ

 楽しみをきはめ 諌めをも思ひ入れず
 天下の乱れんことを 悟らずして
 民の愁ふるところを 知らざつしかば
 久しからずして 亡きにし者なりき──

鶴岡八幡宮で行われた放生会で
祐之にそっくりな琵琶法師が平家哀歌の物語を聞きながら、
政子は今までの人生を振り返りながら、しっとりと涙を流します。

──────────

原作:永井 路子
脚本:中島 丈博
音楽:湯浅 譲二
語り:森本 毅郎
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[出演]
岩下 志麻 (北条政子)

篠田 三郎 (源 実朝)

石坂 浩二 (源 頼朝)
松坂 慶子 (小夜菊)
尾上 辰之助 (後鳥羽上皇)
松平 健 (北条義時)
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制作:斎藤 暁
演出:大原 誠・江口 浩之・伊予田 静弘・安斉 宗紘

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