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2012年12月17日 (月)

プレイバック草 燃える・総集編第三回「征夷大将軍」

文治元(1185)年4月、壇ノ浦の戦いから1ヶ月。

木曾義高を亡くした悲しみから心の病を得た大姫は
とても明るく振る舞っていたかつての姿とは大違いで
表情から笑顔が消え、トーンも低く、
「海へ行きましょ! ね!」と誘っても、全然乗ってきません。


鎌倉の御家人たち24名が後白河法皇から
官を授かったとかで源 頼朝は大激怒です。
官位をバラまく法皇にヘイコラとゴキゲンを伺うようでは
鎌倉が危うくなる、と頼朝は考えているようです。

もとはといえば、あれだけエサは食うなと釘を刺したのに
源 義経が官位を受けたから我も我もとなったわけですが、
そんな義経が4月24日に京に凱旋します。
一ノ谷、屋島以上の大功を成した立役者として、
京の者たちは拍手かっさいで義経を出迎えます。

5月15日、平 宗盛・清宗父子ら平家側の捕虜を従えて
鎌倉へ凱旋しようとしますが、
頼朝の命令により腰越で留め置かれて鎌倉入りを許されず、
結局京へ戻らざるを得ませんでした。


10月17日、
義経の屋敷へ土佐坊昌俊を送って京の義経邸を襲わせますが、
自ら応戦する義経に、合戦は襲撃側の敗北に終わります。

義経は頼朝打倒の旗を挙げ、後白河法皇に再び奏上して
翌18日に頼朝追討の院宣を得ますが、兵は思うように集まらず
11月3日、義経は京都を退去。

後白河法皇の周辺では頼朝の報復に怯えておりまして、
頼朝は実に冷たく突き放します。
頼朝に弁明する後白河は、
逆に義経と行家の追討院宣を出す始末です。


文治2(1186)年4月、義経を恋い慕う静御前は
頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられます。

  吉野山 峰の白雪
   ふみわけて
    入りにし人の 跡ぞ恋しき
──

という義経を慕う歌を歌い、それに気づいた頼朝は表情を一変。
静御前はさらに続け、

  しづやしづ しづのをだまき
   くり返し
    昔を今に なすよしもがな
──

と歌い上げ、突っ伏して泣き崩れます。

激怒する頼朝ですが、
政子は静御前の気持ちも分かると察し、取りなします。

しかし、静御前は義経の子を身ごもっていました。
その子が男の子と分かるや、
赤子は殺害されて由比ヶ浜に沈められました。

これに真っ向から反抗したのが大姫です。
父上なんか大ッ嫌い! 鬼! 人殺し! などと
涙ながらに言葉を浴びせますが、
頼朝にはびくともしません。

頼朝に追われて奥州に逃れ、
藤原秀衡の庇護を受けていた義経は
秀衡の死後の文治5(1189)年閏4月、
子の泰衡に屋敷を襲撃され、自害して果てます。

建久3(1192)年3月15日、後白河法皇崩御。
その年の7月、頼朝は征夷大将軍へと任ぜられます。

翌建久4(1193)年5月、
頼朝は御家人を集めて駿河国の富士の裾野で巻狩りを行いますが、
その巻狩に参加していた工藤祐経という男が28日の大雨の夜、
曾我十郎祐成と曾我五郎時致兄弟に襲撃されて討たれてしまいます。

この曾我兄弟の仇討ちは
江戸時代に能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵などの題材に取り上げられ、
民衆の人気を得るようになります。


建久6(1195)年、前年から準備を始めていた上洛を
頼朝は政子・大姫らを伴って果たします。

大姫を後鳥羽天皇への妃にするべく
朝廷に対して入内工作運動を行うわけです。
政治的に大きな意味を持つこの入内を頼朝は強く望みますが、
政子は少しだけ気がかりな面もあります。

頼朝の甥にあたる公家の一条高能との縁談を勧めたものの、
大姫は義高を慕い、頑なに拒んでいたわけです。

宣陽門院の生母の丹後局や土御門通親らとも接触し、
大量の贈り物などを行って多大な犠牲を払い、
入内の裏工作を計りますが、
当の大姫は日に日に容態が悪化していくばかりです。

大姫はその後回復する事なく、
建久8(1197)年、わずか20歳で死去しました。

しかし頼朝はまだあきらめません。
建久9(1198)年、
頼朝はさらに次女・三幡姫の入内を企てますが、
朝廷の実力者である源 通親に阻まれてしまいます。

親鎌倉派である関白の九条兼実が失脚したこともあり、
頼朝の形勢が次第に悪化、入内も困難な情勢になったために
頼朝は再度の上洛を練りますが、
そんな最中に頼朝は急に昏睡状態に陥ります。

建久10(1999)年1月になっても
頼朝は昏睡状態が続き、13日についに死去します。
享年53歳でした。

政子はただちに落飾しますが、
彼女を時代の表舞台に引き上げたのはこの時からです。

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原作:永井 路子
脚本:中島 丈博
音楽:湯浅 譲二
語り:森本 毅郎
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[出演]
石坂 浩二 (源 頼朝)

国広 富之 (源 義経)
佐藤 慶 (比企能員)
江原 真二郎 (梶原景時)
高橋 昌也 (九条兼実)
中谷 昇 (土御門通親)
黒沢 年男 (苔丸)
夏 純子 (卿局)
草笛 光子 (丹後局)

尾上 松緑 (後白河法皇)
尾上 辰之助 (後鳥羽上皇)

岩下 志麻 (北条政子)
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制作:斎藤 暁
演出:大原 誠・江口 浩之・伊予田 静弘・渡辺 紘史

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