2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

バックナンバー

お乗り換え〜♪

Kassy号〜♪の車窓から 2011

無料ブログはココログ

« かったるい | トップページ | 方向幕考(112) »

2013年1月 6日 (日)

[新] (01)ならぬことはならぬ 〜世界が動いた幕末、会津の人々を守るため、銃を持ち戦った女がいた〜

1861−1865 アメリカ南北戦争──。

林の中から幾多の騎馬隊、そして鉄砲隊が姿を現し
整然と進軍しています。

「Ready……Go !!」
その軍隊に向かって大砲を放ち
弾は進軍中の軍隊中央部に着弾。
馬は驚いて逃げ出し、
整然と隊列を組んでいた軍隊もバラバラになります。

構わず、次々と放たれる大砲。
兵隊が飛ばされ、倒れ、その屍を越えて
さらに兵隊が進軍して行きます。

1861年、アメリカ合衆国で南北戦争が勃発。
それは、最新兵器を駆使した近代戦の幕開けであり、
国を二分した戦いの戦死者は62万人にも上った。

1863 Gettysburg
ゲティスバーグは南北戦争最大の激戦地となった──。


場面は日本・会津藩へ。
大砲の弾が会津鶴ヶ城の城壁を砕き
新政府軍がゆっくりと進軍してきます。

城内でスペンサー銃を撃つ若き女こそ、
この物語のヒロイン・山本八重であります。


そして再び南北戦争へ。
鉄砲の銃先にくくりつけた刀で、
倒れた兵士たちのとどめに突き刺していきます。
プスップスッという音が生々しいです。

内戦は深い傷を残した。
しかしそこから立ち上がり、苦しみの先に未来を見つめた人々が、
やがて新しい国作りに向けて歩き出してゆく。

 これら死者の死を無駄にしないように、
 ここにいるわれわれは決意を高く掲げる。
 神のもとにあるこの国に
 自由の新たな誕生をもたらそう。
 そして人民の人民による人民のための政治は
 地上から決して滅びない。

南北戦争で使われた兵器は、海を渡って日本にもたらされ
黒船の来航から始まる幕末の歴史を大きく動かしていくことになる。

1865 Boston ボストン

1865年、新島 襄は
南北戦争終結後のアメリカにたどり着いた──。


場面はまたも会津戦争へ。

八重が鉄砲に弾を込め、狙いを定めて撃ちます。
撃ったかと思えば、慣れた手つきでまた弾を込め
次々と撃っていきます。

1868 会津──。

敵方から放たれた大砲の弾が天守閣に命中し
八重は振り返りそれを目撃します。

「大手門は目の前じゃき! 怯まんと進め!」
板垣退助が兵士たちに号令をかけます。

城内の家老・西郷頼母は、殿──松平容保を
大声で呼んで探しまわりますが、容保は無事でした。

撃て! と号令をかける薩摩の大山弥助に
八重が撃った鉄砲の弾が命中。
しかし八重は、当たったからといって高ぶるでもなく
「よーく狙って撃ちなんしょ!」と少年兵たちを叱咤します。

狙いを定めながら、八重はつぶやきます。
──お城は渡さぬ……ならぬことは、ならぬのです。


作:山本 むつみ


テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ


テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:尾高 忠明
題字:赤松 陽構造
タイトルバック:菱川 勢一
       :小野山 和代


語り:草笛 光子


時代考証:大石 学
    :山村 竜也
建築考証:平井 聖
衣裳考証:小泉 清子
資料提供:野口 信一
    :小西 雅徳
    :高橋 一美
    :北沢 栄

殺陣武術指導:林 邦史朗
所作指導:橘 芳慧
馬術指導:田中 光法
    :菅野 敦
所作指導:本條 秀太郎
砲術指導:佐山 二郎


撮影協力:福島県
    :京都府
    :福島県会津若松市
    :福島県猪苗代町

    :栃木県那須塩原市
    :栃木県那須町
    :栃木県フィルムコミッション
    :山口県萩市
    :神奈川県横須賀市
    :ラトビア共和国リガ市

──────────

[出演]


綾瀬 はるか (山本八重)


西島 秀俊 (山本覚馬)


長谷川 博己 (川崎尚之助)


風吹 ジュン (山本佐久)


松重 豊 (山本権八)


綾野 剛 (松平容保)


佐藤 B作 (田中土佐)


風間 杜夫 (林 権助)


中村 獅童 (佐川官兵衛)


柳沢 慎吾 (萱野権兵衛)
津嘉山 正種 (神保内蔵助)

山野 史人 (梁瀬三佐衛門)
宮内 敦士 (宮部鼎蔵)

鈴木 梨央 (山本八重(子役))
里村 洋 (山川与七郎)
戸田 昌宏 (徳造)
山野 海 (お吉)

永倉 大輔 (会津藩学校奉行)
佐久間 哲 (学校奉行添役)
久松 信美 (阿部正弘)
山岡 愛姫 (高木時尾)

──────────

小栗 旬 (吉田寅次郎)


榎木 孝明 (井伊直弼)


伊吹 吾郎 (徳川斉昭)


山本 圭 (山川兵衛)


秋吉 久美子 (山川 艶)


山崎 智史
矢部 光祐
笹原 尚季
愛川 あおい
富永 凌平

関 寛之
林 雄大
瀬口 寛之
加門 良
坂口 進也

石塚 由有
間瀬 勇大
峰岸 哲
梅屋 喜三郎
桑沢 俊宏
菊池 野音

──────────

中村 梅之助 (松平容敬)


生瀬 勝久 (勝 麟太郎)


加藤 雅也 (板垣退助)


オダギリ ジョー (新島 襄)


槍術指導:一箭 順三
流鏑馬指導:小笠原 清基
書道指導:望月 暁云
唐人凧指導:会津唐人凧保存会
ガラス細工指導:篠原 裕
VFXプロデューサー:結城 崇史

会津ことば指導:新國 弘子
       :河原田 ヤスケ
       :小暮 智美
薩摩ことば指導:中村 章吾
長州ことば指導:一岡 裕人
土佐ことば指導:岡林 桂子
肥後ことば指導:前田 こうしん

会津若松市のみなさん
栃木県のみなさん
つくばみらい市のみなさん
山口県萩市のみなさん

若駒スタント部
劇団東俳
劇団ひまわり
テアトルアカデミー
キャンパスシネマ
エンゼルプロ
フジアクターズ・シネマ
舞夢プロ
宝映テレビプロダクション
放映新社
麗タレントプロモーション

JAE
倉田プロモーション
クロキプロ
エレメンツ
ジョビィキッズ
ホリプロ・インプルーブメント・アカデミー
セントラル子供タレント
スペースクラフトジュニア
劇団いろは
ギュラ・キッズ
スマイル・モンキー

──────────

反町 隆史 (大山弥助)


奥田 瑛二 (佐久間象山)


西田 敏行 (西郷頼母)

──────────

制作統括:内藤 愼介

プロデューサー:樋口 俊一
美術:岸 聡光
技術:前田 貢作
音響効果:三谷 直樹

撮影:大和谷 豪
照明:牛尾 裕一
音声:井上 裕一
映像技術:倉又 信久
VFX:松永 孝治
記録:塩井 ヨシ子
編集:掛須 秀一
美術進行:松谷 尚文

演出:加藤 拓


冒頭の会津戦争から17年前に遡って、
嘉永4(1851)年・夏。
えい! えい! とかけ声を出しながら
槍の稽古に励む師弟たちです。

物語の舞台となる会津松平家23万石は
「葵の御紋」を許された徳川家のご家門です。

山本家では、母の佐久が八重を探している様子です。
先ほど八重に晴れ着を着せたばかりだというのに
もういないとは(笑)。

八重はそのころ、桜の木の高い枝に腰掛けて遠くを眺めています。
足元では、友だちの高木時尾が「なぁ、おっかなくね?」と
八重を見上げていますが(^ ^;;)

藩主松平容保の行列が向かってくるのが見えました。
それを見て、大急ぎで山本家に戻る八重ですが
木登りをして、乱暴に飛び降りて……だったので、
晴れ着が逆立ってぐちゃぐちゃです。

晴れ着をいくら汚しても、佐久は手際よく縫ってあげ
ケガはないかと優しく問いかけます。

「さすけね!」(=大丈夫です)

満面の笑みで答える天真爛漫な八重の性格は、
恐らくはこの穏やかな佐久の性格を
そのまんま受け継いだものでしょうね。

さて、晴れ着も元のように着せてもらい
八重は佐久とお行列を迎えに出ますが、
頭を下げて迎えねばならないところ
八重は頭を上げて行列を凝視します。

それに気づいた佐久は
八重の背中を抑えて頭を下げさせるわけです。
「馬の脚しか見えね」

藩主容保が颯爽と登場すると、どこからかともかく
「立派な殿様だなぁ」と声が上がりますが、
なんだ、頭を上げていたのは八重だけではないンだ(笑)。


そんな殿様に同行していた
兄・山本覚馬も山本家に戻ってきました。
覚馬は八重にとって自慢の兄であり、
憧れの存在でもあります。

山本家は、父の山本権八が会津藩の砲術師範を務める関係で
小禄ではありますが、城の近くに屋敷を賜っている身分です。
山本家の庭で、覚馬はようやっと入手した
オランダ製のゲベール銃を試し撃ちします。

従来の火縄銃よりも弾の力が強いのですが、
遠く離れた、しかも直径3〜4cmしかないと思われる
小さな的にも命中させ、父の山本権八は舌を巻きます。

そんな眩しいほどの兄の姿に、八重は幼心にも
鉄砲を撃ってみたいなどと突拍子もないことを言い出しますが、
権八が叱ります。
「ダメだ。ならぬことは、ならぬ」

それでも八重は、なかなか諦め切れません。


容保を前に家臣たちが勢揃いする中、
「土津公御家訓」が読み上げられます。
御家訓(ごかきん)とは、藩祖である保科正之が定めた
会津藩における絶対的な国是であります。

その御家訓を、家臣はもちろん
容保自身も頭を下げて黙って聞いています。

将軍家を守る立場の会津藩だからこそ
他藩にはない教育制度がありまして、
藩士の子弟は、10歳になると藩校の日新館に入学し
学問と武芸の鍛錬に励みます。

槍の稽古でも、勝負が決して「参りました」と言っても
なお槍で突いてくる激しく厳しい稽古です。
容保は、会津という藩の立場を肌で知ることになります。

そして、会津の風土を知る上で、あるいはドラマを深く知る上で
会津の『什の掟』というものを知っておかねばなりません。

一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二 年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三 うそを言うてはなりませぬ
四 卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五 弱い者をいじめてはなりませぬ
六 戸外で物を食べてはなりませぬ
七 戸外で女と言葉を交わしてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです

“什”だから十か条……ではないんですね(^ ^;;)

什というのは町内の区域をさらに細分して作った
藩士の子弟グループのことを指します。
子どもらは6歳で、その“遊びの什”に入って掟を学び、
年長者、年少者が共に遊ぶことで生涯の絆を強めていきます。

会津では、親はケンカをするなとは言いませんが、
逃げ隠れするととても叱られるようです。
つまり、卑怯な振る舞いをするな、ということです。
「童の遊びも、鍛錬のうちにござりますれば」


追鳥狩──。
藩を挙げての軍事操練のことで、
会津藩士が最も張り切る行事のようです。

容保がお国入りして2ヶ月後、
これが催されることになりました。

門人たちは、若先生──覚馬に射撃を習います。

誰からやっか? との言葉に、門人たちはみんなして
「私が」「私が!」と手を上げますが、
某ギャグのように「ドーゾドーゾ」にはなりません(笑)。

本番当日。
早朝にホラ貝が鳴り響くと、
甲冑を身にまとった武者たちが戦さながらに登場。
大砲を撃ち、鉄砲を撃って、軍事演習が続きます。

そしていよいよクライマックスです。
キジを放ち、その鳥をムチでたたき落とす
一番鳥を目指します。
ちなみにその本命は、西郷頼母と佐川官兵衛です。

八重と、幼なじみの山川与八郎、竹村幸之進、小出鉄之助は
この追鳥狩を間近で見ようと、狩場に近い木の枝に腰掛けます。

しかし、八重は脚を踏み外して落ち……そうになるところを
何とか枝に掴まって落ちませんでしたが、
彼女が履いていた草履が落ち、それが西郷の目の前に落ちてきて
馬が驚いて歩を止めてしまいました。

その間に佐川に一番鳥を取られてしまい、
西郷は大激怒です。

覚馬は八重に平手打ちすると、
手をついて妹の非礼を詫びます。
一緒に木登りをした幼なじみの少年たちもやってきて
一緒に手をつきます。

引っ込みのつかなくなった西郷ですが、
その様子を見ていた容保が現れます。
「武士らしく名乗って出たのだ。卑怯な振る舞いはしてはおらぬぞ」

無罪放免にはできぬと言う西郷ですが、容保の手前
八重たちにしっぺい(しっぺ)の罰を与えることにします。

話を聞いて怒った父に蔵に押し込まれた八重は
自分のことを卑怯ではないと言った
容保の役に立ちたいと思うようになっていました。


嘉永5(1852)年一月。
方々で凧揚げがなされている時に
長州の吉田寅次郎と肥後の宮部鼎蔵が日新館を見学に来ました。

何でも、異国船が出没し始めているようで、
その守りを視察する旅をしているそうです。

しかし、その備えは全然足らないという感想を持っていて、
寅次郎は、いずれは異国船に
鎖国を破られてしまうだろうと予想しています。

その心配が現実になってしまいました。
嘉永6(1853)年6月、ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航。
日本に開国を迫ったわけです。

慌てた幕府は品川沖に砲台を築き、
その守護を会津藩に任せます。
砲術と言えばこの人、というわけで
覚馬が江戸に赴くことになりました。

江戸木挽町・佐久間象山塾の門を叩いた覚馬は
早速象山にさんざんにやられてしまいます。

西洋砲術を学ぶには、
蘭学を身に付けておかなければならない。
うん、確かにそうかもしれない。

それでも食らいつく覚馬は
象山と何度かやり取りをするうちに
大砲の撃ち方よりもその元になる知識、
ひいては諸外国を知る目が必要だと気づきます。

そこまで気づいた覚馬は、ようやく入門を許されます。
ちなみにここで、象山にべったりとついて回っていた
但馬出身の川崎尚之助という男と出会います。
幕臣の勝 麟太郎にも会います。

それに、1年半前に会津で会った寅次郎とは
久々の再会です。


砲台が築かれつつある江戸湾にペリー艦隊が再び来航したのは
嘉永7(1854)年1月、最初の来航の半年後でした。

幕府内は大混乱、水戸藩主・徳川斉昭は攘夷論を唱え
彦根藩主・井伊直弼は和睦案を提唱。
しかし容保の「今、戦を始めるのは無謀」という主張で
井伊が開国にて一致と強引にまとめてしまいます。

主張を封じ込まれた形の斉昭は、容保にチクリと刺します。
「会津葵の御紋服、御身にはちと重すぎるのではござらぬか?」

覚馬と尚之助は、横浜へ黒船を見に行きます。
しかし、その大きさにまず驚き
大筒が70〜80も備えられているのにたまげます。
まるで海に浮かぶ城のようです。

会津藩が守る品川砲台は、こんなものを相手に戦うのか──。


山本家では、八重が砲術に関する書物を持ち出しては
書き写すということを繰り返していました。

いつか、本物の鉄砲を手にできる日が来ると信じて。

木の枝を鉄砲に見立て、的に向かって撃つ真似をします。
ダーン……命中!

「そこで何すてる」
振り返ると、鬼の形相の父が立っていました。

──────────

『平 清盛』に引き続き、
この『八重の桜』でも、『その時歴史が動いた』風に
カウントダウンしていきましょうか(^ ^)

今回は、山本(新島)八重が
日露戦争時に篤志看護婦としての功績が認められて
皇室以外の女性としては初めて
政府から『勲六等宝冠章(現在の宝冠波光章)』を叙勲された
明治39(1906)年4月1日に「その時」を設定します。


弘化2(1845)年11月3日、
会津藩砲術師範・山本権八の三女として誕生する。

明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで


あと60年4ヶ月──。


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八重の桜』
第2回「やむにやまれぬ心」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

« かったるい | トップページ | 方向幕考(112) »

NHK大河2013・八重の桜」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« かったるい | トップページ | 方向幕考(112) »