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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2013年2月 3日 (日)

(05)松陰の遺言

安政の大獄で捉えられた松陰 吉田寅次郎は
萩から江戸に送られ、伝馬町の獄につながれておりました。
「おい、飯だ!」と雑に握り飯を配られても一切目もくれず、
獄中から同志に向けて熱く激しい言葉を書き連ねていました。

ただ、修好通商条約の調印を巡って吹き荒れた攘夷の嵐は
安政の大獄ごときでは止まりません。


安政6(1859)年7月・横浜。
川崎尚之助は、海舟 勝 麟太郎と横浜を訪問します。

尚之助が、以前黒船を見に来たときの
単なる漁村だった横浜とは見違えるほどの、
繁盛した“街”に変貌していることにとても驚きます。

店には、日本にはない諸外国の物品が並べられ、
水夫たちを含む異国人たちの姿も多く見受けられますが、
攘夷派浪士による異国人襲撃事件が
二人の目の前で発生してしまいます。

尚之助はたじろぎ、顔面蒼白。
勝は浪士たちを追いかけます。

山本家では、小豆を水に浸しています。
どうやら赤飯を作るようです。
「あれ? 小豆?」と山本八重は不思議そうに見ていますが、
兄嫁のうらが山本覚馬との子を身ごもったのだそうです。

ややこができたことは覚馬にはまだ話していないそうですが、
母の山本佐久は、内から喜びが溢れ出て仕方ないようです。
「私は、ばば様になる。アッハハハ」

そこへ、横浜へ出ていた尚之助が山本家へ戻ってきました。

「姉様、今日はいいことずくめだなし」
身ごもったことをなかなか言い出せないうらのために
八重はその言い出すきっかけを作ろうとしますが、

こういう時に限って鈍感な覚馬は
そんな女同士のなぞかけのような言葉よりも
寅次郎についての尚之助の報告の方が大事です。

うらは、結局は言い出すチャンスを逸してしまいます。

寅次郎は取り調べにおいて、老中間部詮勝を襲い
今回の強引な条約調印と安政の大獄について
諫言するつもりだったと白状したのだとか。

以前対面した時の、生き生きとした寅次郎が
そんなことを考えるはずはない、と覚馬は信じませんが、
条約調印以後、人が変わったように急速に攘夷に傾き
同志たちにも決起を促していたようです。

そんな時、覚馬に客人が来訪します。

蘭学のことならば日新館で承る、と
玄関先で応対した覚馬ですが、
客人は、すなわち刺客でした。

突然のことで腕を斬られた覚馬。
それを助けようと刺客につかみかかるうらですが、
邪魔だと言わんばかりに庭先に叩き付けられます。

覚馬はその時丸腰でしたが、
八重のとっさの機転で刀を受け取り応戦開始。
尚之助も鉄砲を持ち出して刺客を追い出します。

しかしうらは、腹を押さえて呻き苦しんでいます。

──大量の小豆の前で、女中のお吉が涙を落とします。

うらが庭に叩き付けられた時のショックで、
子が流れてしまったのです。

旦那様に申し訳ねえ、とうらは悲しみますが、
佐久は、うらのおかげで覚馬が命拾いしたと
手を取って感謝します。

八重には、かける言葉が見つかりません。


寅次郎に裁きが下ったのは10月27日。

吉田松陰こと寅次郎。公儀をはばからず不敬千万。
殊に蟄居中の身で梅田雲浜と一味致し候段、
不届きにつき死罪申し付ける──。

「梅田雲浜の一党に与したんじゃない!」
寅次郎は大声で誤りを糺しますが、
相手は一切聞く耳を持ちません。

寅次郎に縄がかけられ、
刑は、その日のうちに執行されました。


松陰刑死の知らせは、会津の山本家にも入ってきました。

八重は、攘夷を唱えた寅次郎が
兄を襲った攘夷派の刺客と同じ“攘夷”では結びつきません。
寅次郎は刺客とは違って、誰も殺さず、誰も傷つけてはいません。
しかし、刑によって死ななければならなかった……。

納得いかない想いを、尚之助にぶつけます。


安政7(1860)年1月。

通商条約の批准書を交わす使節団が
ワシントンに向けて出発しました。
勝は、随行する咸臨丸に乗り込んでいます。

その勝が出立前、寅次郎の最期を知らせようと
覚馬に文を送っていました。

身はたとひ
 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
  留め置かまし 大和魂

寅次郎の辞世の句です。

至誠にして動かざるものは、未だこれ あらざるなり!
(誠心誠意対処すれば、どんな難局も必ず打開されるであろう)

幕府の役人たちに叫ぶと、役人たちは一瞬たじろぎます。
そして正座し一礼すると、自ら御白洲に向かい
何もかも呑み込んで、死んでいったそうです。


3月3日。
江戸の春としてはちと遅い雪の中、
ひとつの駕篭に向かって訴え出た浪士がひとり。

「駕篭訴は許さぬ!」
先頭の者がそう叫んだとき、駕篭に向かって鉄砲が放たれました。

駕篭の中の大老・井伊直弼は、薄れゆく意識の中で
警護の者たちが戦う姿を見ますが、
自らは駕篭を引きずり出され、首を討たれます。

この日、井伊大老を襲撃し、その首を討ったのは
水戸脱藩浪士ら18名でした。


大老暗殺の知らせは会津在国中の松平容保の元にも届き、
将軍からの登城要請で、容保はすぐに江戸に向かいます。

江戸には、容保を始めとする親藩や譜代大名が集められ
水戸藩の処分問題が話し合われます。

“会津は、幕府と水戸の間を取り持ち
和平を保つことに尽力すべし”

覚馬は、今回の一連の騒動から
止むに止まれず、意見書を作成して西郷頼母に預けますが、
微禄者が殿に意見するなど「分際をわきまえろ」と釘を刺します。

その一方で、覚馬の言い分はもっともだと感じた頼母は
藩の上役に取り次ぐわけですが、
一つ間違えば会津に火の粉が降りかかる、と
無用な差し出口は控えるように言われます。

せっかく上役に提出した覚馬の意見書も、
またたく間に頼母に戻されてしまいました。

しかし、容保は
覚馬に意見されずとも、同じことを考えていました。
水戸を討つべし、と論調が固まりつつある中で
ただひとり、水戸を討ってはならないと主張したのです。
「今、国内にて相争うは慎むべきと存じまする」

この発言は、水戸討伐に傾いた評議の流れを
一変させるものでしたが、
後に、会津を動乱の渦中に投げ込む
運命の一言でもありました。

──────────

安政7(1860)年3月3日、
大老・井伊直弼が江戸城桜田門外で
水戸・薩摩藩の脱藩浪士に襲撃され、暗殺される。

明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで


あと46年1ヶ月──。


作:山本 むつみ
テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ
題字:赤松 陽構造
語り:草笛 光子
──────────
[出演]
綾瀬 はるか (山本八重)
西島 秀俊 (山本覚馬)
長谷川 博己 (川崎尚之助)
風吹 ジュン (山本佐久)
松重 豊 (山本権八)
長谷川 京子 (山本うら)
玉山 鉄二 (山川大蔵)
貫地谷 しほり (高木時尾)
綾野 剛 (松平容保)
──────────
小栗 旬 (吉田寅次郎)
柳沢 慎吾 (萱野権兵衛)
津嘉山 正種 (神保内蔵助)
佐藤 B作 (田中土佐)
──────────
生瀬 勝久 (勝 麟太郎)
榎木 孝明 (井伊直弼)
奥田 瑛二 (佐久間象山)
西田 敏行 (西郷頼母)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:樋口 俊一
演出:一木 正恵


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八重の桜』
第6回「会津の決意」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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