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2013年2月17日 (日)

(07)将軍の首

文久2(1862)年・秋──。
佐川官兵衛が山川大蔵に槍の稽古をつけています。

最初こそ互角化と思いきや、アッという間に仕留められ
尻餅をついてしまう大蔵に
佐川は「気迫が足りん!」と叱咤します。

京都守護職として上洛する会津藩主・松平容保に随行する者たちに、
謹慎中の身で随行できない自分に代わって殿を守るために
厳しく稽古をつけているわけです。

そんな彼らが向かう京では、天誅の嵐が吹き荒れておりました。

閏8月20日、越後浪士・本間精一郎が暗殺。
閏8月22日、九条家家臣・宇郷玄蕃頭が暗殺。
閏8月29日、目明かし文吉が暗殺。
9月23日、京都町奉行所与力4名が暗殺──。

一旦上洛すると、しばらくは会津に戻って来れないので
上洛メンバーはめいめい、家族との時間を過ごします。

山本八重は、兄の山本覚馬、弟の三郎、
そして川崎尚之助と一緒に湯本村の東山温泉に向かいます。
その道中、黒河内道場で一緒に薙刀の稽古を積んできた
雪と出会います。

その隣にいるのは、新婚ホヤホヤの夫・神保修理。
会津藩家老・神保内蔵助の子どもです。
彼らも同じ東山温泉に向かうようです。

八重の兄・山本覚馬は、家老の子どもがいるので
丁寧に結婚のお祝いを申し述べます。
修理も、特に飾ったところがなく好青年です。

合流した彼らの話題は、もっぱら京の天誅の話です。
京との奉行所や所司代では手に負えないため、
会津藩の武力を頼りにしている部分があるようです。
改めて、京都守護職という重みをずっしりと感じています。

同時期に梶原平馬に嫁いだ二葉は
会津藩の許可を得て京に上るのだそうですが、
雪は、修理の“父上母上にお仕えせよ”との言葉を守って
会津に残ることになりました。
「二葉さまがうらやましい」

その間、覚馬の妻・うらは家に残って
夜遅くまで機織りに勤しんでいます。
新しい羽織を出立までに仕上げておきたいのでしょう。

そんなうらに呆れる父・権八は、
覚馬のために耳かきを何本も何本も作っています。
「途中で折れたら難儀すっぺ」

思わずため息をつく母の佐久も、
白足袋をいくつも作ってあげています。
御所に上がる時にボロボロの足袋では恥をかくという親心なのですが、
おそらく覚馬ほどの身分の者が御所に上がることはありますまい(^ ^;;)

親切とその理由がそれぞれちぐはぐではありますが、
覚馬のためにという気持ちでは共通している一家です。

そうして迎えた出立の日。
一糸乱れぬ大名行列で鶴ヶ城を出て行く彼らを
それぞれ家族たちが見送ります。

そして、丘の上からは
同行を許されなかった佐川の姿もありました。


12月24日、容保は
1,000名の会津藩士とともに三条大橋を渡り
京都守護職として上洛を果たします。

はためく『會』の旗。
京の人たちには、会津の行列が
絵巻物のようだと評判は高いです。

容保は、会津本陣を置くことになる黒谷の金戒光明寺に入り
すぐに関白・近衛忠煕の屋敷を訪ねます。

薩摩びいきの忠煕は、
長州びいきの三条実美には気をつけよとアドバイスし、
御所には新年の祝賀で参内するのがよいと教えます。


文久3(1863)年正月。
山本家では、時尾や幼なじみの日向ユキを交えて
百人一首のカルタ大会が行われております。

八重は、かるたの絵を見て
京の人たち(←貴族)はこんな格好をしているのかと
想像をふくらませています。

特に覚馬が上洛しているだけに
カルタに願掛けをするわけですが(^ ^;;)

その京では、容保が御所に参内。
孝明天皇は、容保を見て「何と澄んだ目ぇや」と
その容姿に感嘆します。

扇で床をトントンと叩いて御簾を上げさせた上、
衣を容保に与えます。
「直して、陣羽織にでもせよ」

御衣(おんぞ)を賜ったという知らせは
その日のうちに藩士たちの宿舎を駆け巡ります。
天皇が武士に御衣を与えるなど、まれなことでして
江戸幕府が開かれてからは初めてのことです。

御衣のみならず、御言葉まで賜ったことで
容保のプレッシャーは最高潮です。
京の街を乱す輩たちを倒すために
血で穢すような真似だけは避けなければなりません。


それから間もなく、将軍後見職の一橋慶喜と
政事総裁職の松平春嶽が上洛してきました。

まずは不逞の輩の主張を聞いてやり、
誠の志で説き伏せるという容保の手法に
春嶽は一定の理解を示すも、
慶喜は「手ぬるい!」と認めません。

むやみに捕縛すれば、かえって騒乱の元となるため
率先して融和の道を探っているのですが、
慶喜は繁多のため、とても付き合えません。
ご勝手にやられよ、と突き放した言い方をします。

ところが、2月23日──。

京の街に、木像の首が3体並びます。
首は、北山等持院にある
足利将軍三代(足利高(尊)氏・義詮・義満)の木像から
引き抜かれたものです。

足利尊氏は、朝廷から官位を得た人物だけに、
その首を辱(はずかし)めることは、
朝廷を貶(おとし)めることと同じです。

尊皇を唱える浪士たちが言いたいのは
つまり、攘夷をしない将軍は
いずれ討つという脅しなわけです。

尊皇派の浪士たち一味への調査のために潜入していた
会津藩密偵の大庭恭平ですが、
短期間の間に尊皇派となってしまっています。

狂っている──。
容保の表情から血の気が引きます。

尊王攘夷というのは単なる表看板に過ぎず、
真の狙いは江戸幕府を倒すことにある。

そこで、容保が採ってきた
話を聞いて説き伏せるというやり方が
何の意味も成さないことに気づいたわけです。
「わしが……愚かであった」

容保は、京都所司代と京都町奉行所に命じて
輩を捕らえさせる方向に急旋回。
日ごろは穏やかな容保の表情は、鬼と化していました。


今回は会津でお留守番だった大蔵は
夏の勤番交代で上洛することになったのです。

将軍上洛を前に不逞浪士たちが暴れ出すというシナリオは
尚之助は何となく予想していたようです。

会津の武力があだとなる──。

つまり、強い力を持つ者は初めは称えられ、
次に恐れられ、末は憎しみの的となる。
将軍の命により京で朝廷を守り抜いているのに
憎まれる対象となることが、八重には納得できません。

──────────

文久2(1862)年12月24日、
京都守護職として会津藩主・松平容保が上洛する。

明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで


あと43年4ヶ月──。


作:山本 むつみ
テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ
題字:赤松 陽構造
語り:草笛 光子
──────────
[出演]
綾瀬 はるか (山本八重)
西島 秀俊 (山本覚馬)
長谷川 博己 (川崎尚之助)
風吹 ジュン (山本佐久)
松重 豊 (山本権八)
長谷川 京子 (山本うら)
玉山 鉄二 (山川大蔵)
貫地谷 しほり (高木時尾)
市川 実日子 (梶原二葉)
芦名 星 (神保 雪)
剛力 彩芽 (日向ユキ)
綾野 剛 (松平容保)
──────────
中村 獅童 (佐川官兵衛)
斎藤 工 (神保修理)
池内 博之 (梶原平馬)
北村 有起哉 (秋月悌次郎)
岡田 義徳 (広沢富次郎)
篠井 英介 (三条実美)
国広 富之 (横山主税)
佐藤 B作 (田中土佐)
──────────
市川 染五郎 (孝明天皇)
小泉 孝太郎 (一橋慶喜)
村上 弘明 (松平春嶽)
西田 敏行 (西郷頼母)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:樋口 俊一
演出:末永 創


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八重の桜』
第8回「ままならぬ思い」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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