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2013年6月30日 (日)

大河ドラマ八重の桜・(26)八重、決戦のとき

後の世に“幕末のジャンヌ・ダルク”と呼ばれた川崎八重──。

そもそも、この「ジャンヌ・ダルク」という人物は
どういう時代に生き、どういう人生を歩んだのでしょう。

詳しくはそれぞれ検索いただくとして(笑)、
ジャンヌ・ダルクの生涯を
ほんの少しだけかいつまんでおきたいと思います。


ジャンヌ・ダルクが少女だったころのフランスでは、
国王のシャルル6世は、跡継ぎとして王太子シャルル(後の7世)を残している。
しかしフランス王位はイングランド出身の幼いヘンリー6世に相続された。

これは、百年戦争等の戦いを終了させようと、1420年に
シャルル6世とヘンリー5世によって署名された
「トロワ条約」によるものである。

その条約の大まかな中身とは、
“ヘンリー5世は国王シャルル6世の娘・キャサリンと結婚し、
シャルル6世の死後、王位はヘンリー5世および彼らの子に継承される”とあり
これは実質的にフランス国王の王位継承ラインから
シャルル6世の子を外すことを意味している。

ただ、国王継承予定者であるヘンリー6世はまだ幼かったため、
フランス王として、まだ正式には就任していなかった。

1425年、ジャンヌ・ダルクは
“ヴォークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに会い、
オルレアンの包囲を解いてフランスを救うように”という「声」を聞く。

その「声」に従い、3年後の1428年5月に
ボードリクールの元を訪れたものの、すげなく追い返された。
しかし、シャルル(7世)はジャンヌ・ダルクの言う「声」を信じる。

1429年4月、「乙女」と呼ばれるようになったジャンヌ・ダルクは
イングランド軍に包囲されていたオルレアンに向けて出発。
ジャンヌ・ダルクは、オルレアンの総司令官であったジャン、
アランソン公、ラ・イール、ジル・ド・レイたちと共に
イングランド軍と戦った。

ジャンヌ・ダルクは果敢に突撃し、
仲間の兵隊たちを鼓舞する役目を果たし、
しかも戦闘では自ら進んで突撃をも敢行する。
ジャンヌの鼓舞により、オルレアンの兵隊たちの士気は上がった。

そして翌月、イングランド軍は撤退し
オルレアンはイングランド包囲網から解放されたのである。


会津戦争で、女性であるが故に男装し
銃を持って最後まで奮戦した八重。
今回は、その“幕末のジャンヌ・ダルク”と
呼ばれるに至ったゆえんの回です。

慶応4(1868)年8月23日。
新政府軍は、東北諸藩を次々と攻略し
怒濤の勢いで会津城下へと迫ります。

銃声が近くなってきました。

川崎八重は、佐久、うら、みねとともに
会津鶴ヶ城に上がるべく、
山本家の戸締まりを確認して出発します。

その途中、高木時尾のおばあさん(澄江)の出発を手伝い
お隣サンの日向ユキの家にも寄って声かけしています。
しかしユキのおばあさんは家に残ると言って聞きません。
年寄りがお城に行っても、穀潰しにしかならないと言うのです。


白虎隊士中二番隊が滝沢本陣から出撃していった
戸ノ原口もついに敗られ、
松平容保は滝沢本陣から鶴ヶ城へ戻ることにします。

弟の松平定敬も鶴ヶ城で戦うつもりですが、
容保は「ならぬことはならぬ」と説得。
一刻も早くここを離れるように命じます。

会津の、長い一日が始まりました──。


ようやくお城に上がった八重たち。
男装している八重を見て、周囲の女たちは
「男の子かと思った」と口々にしています。

八重は落ち着く間もなく、出撃しようとします。
「戦に出て行く女子にかける言葉なんて知らねえ」と
佐久は困惑顔ですが、
八重はニッコリ微笑んで行ってしまいます。

強清水にいた佐川官兵衛が鶴ヶ城に戻ってきました。
戦況が悪化している現況では休んでいられず
そのまま大町口へ向かおうとします。
そして神保内蔵助は六日町口の守備へ。

しかし、強者がみな外に出て行ってしまっては
城を守る人間がいなくなり、手薄になります。
鉄砲を扱える者を集めるにしても、城内には
年寄りと子ども、それに女たちばかりです。

「私がやりやす! やらせてくなんしょ!」
その声に振り向けば、立っているのは八重です。

女の出る幕ではない、と内蔵助や官兵衛は
八重を外に連れ出そうとしますが、
ここからが八重の独演会(?)です。

>今、この時にそった昔ながらの考えでなじょしますか!
>これは男だけの戦いではねえなし!

>都から傷だらけになって帰って来た皆さまを見だ時から
>帰ってこなかった家族を待ち続けたあの時から
>男もおなごもねえ!
>これは会津全ての戦いだ!

>私を戦に加えっせ!
>私の腕はお役に立つ!
>それを使わねえなら、戦いを放棄したと同じこと!
>私は山本覚馬の妹だ!
>鉄砲のことなら誰にも負げねえ!

>敵にお城は渡さぬ!
>仲間がやられんのを黙って見るつもりはねえ!
>私たちの大事なふるさと……会津はこの手で守る!

「んだら、心ゆくまで戦うべ」と
ポカーンと口を開けて八重を見ていた内蔵助は
八重の勇ましさに胸を打たれています。


その時、城外では城門が閉じられ、
お城に入ろうとしていた会津の民があふれ返っていました。
一歩遅れたユキは、
こんな時に後ろから攻め込まれたらひとたまりもない、と
城内に入るのを諦め、家族を連れて引き返します。

ただ、会津城下の女たちがみな城に上がったかといえば
そういうわけではなく、すでに自害して果てた者もいて、
神保修理を亡くしたばかりの雪は
無数の遺体に「いっそ私も」と青ざめています。

照姫が城下の北西の村「坂下(ばんげ)」に移ったのに伴って
その警固のために坂下へ向かおうとする中野竹子は
そんな雪を叱咤して連れ出します。


少年たちに号令をかけ、鉄砲を撃つ訓練をする八重の元に
外堀から敵が侵入して来たとの知らせが入ります。
大手門から内側へ敵を入れてはならない、と
北出丸で敵を迎え撃つことにします。

滝沢本陣から容保も戻ってきますが、
ひとまずは田中土佐にその場を任せることにして城内へ。

鉄砲隊に鉄砲隊の応戦、
そして砲撃。

着弾と同時に大きな揺れと城壁の崩壊。

撃つ。
撃つ。

「構え! 狙え! ……撃てッ!!」
八重の、勇ましい号令が響きます。


西郷家では、女たちがみな白装束に着替え
辞世の句を詠んでいます。

手をとりて
 共に行きなば 迷はじよ
  いざたどらまし 死出の山路

なよ竹の
 風にまかする 身ながらも
  たわまぬ節は ありとこそきけ

父上はお叱りにならないでしょうか……との娘たちの問いに
千代は「お叱りにはならねえ」と笑顔で答えます。

会津藩は、罪もないのに罰を受け
無念を呑み込んで敵に恭順しました。
それでも足らなくて、
敵は会津を滅ぼしに来たのです。

こんな非道な力には死んでも屈しない。
それを、命を捨てて示すのが西郷家の役目である。
皆で手を合わせます。

「今日は何をすんですか」
まだ、自害の意味を分かっていない幼い子が
母を見上げてつぶやきますが、

一瞬、心が潰されそうになりながらも
怖がらないように笑顔で答えてあげます。
「よい所に行ぐのですよォ……皆で行ぐ旅だ」

脇差しに手をかけ、鞘を抜く千恵。
カチャッという音だけが辺りに響きます。


西郷頼母が、ようやく鶴ヶ城に着陣しました。
着陣の知らせは、会津軍に勇気をもたらしますが、
そうしている間にも、敵は徐々に侵入してきます。

板垣退助は、城の前に位置する大きな屋敷を陣地とし
そこから指揮を出すつもりですが、
屋敷の奥座敷には、白装束の女たちが
折り重なるように横たわっています。

そう、ここはまぎれもなく西郷屋敷でありまして、
数々の戦場をくぐり抜けた板垣でさえ
圧倒される惨状でありました。

この日、自決した藩士家族は200人とも言われ
女たちの無言の抵抗は壮烈を極め、征討軍の士気を鈍らせます。


戸ノ口原を退却した白虎隊の少年たちは
敵の目を逃れながら飯盛山へ到着。

城下町から火の手が上がっているのを見て
早く城に戻らねばと口々に言う少年たち。
しかし問題なのはどのルートで城に戻るかです。

滝沢街道は敵でいっぱいという情報があり
南から回り込むという案も出ますが、
討ち死に覚悟で正面から突っ切る、という案には
もし敵に捕まったら恥だ、との声が上がります。

「腹を切んべ! 生き恥をさらしては殿に面目が立たぬ」

頷いた少年たちはその場に膝をつき
城に向かって深々と一礼。

「まともに撃ち合って無駄に死んではなんねえ!」
悌次郎の脳裏には、出発時に
八重に教わった一言が流れて行きます。
待て……、まだ弾は残ってる!

戦おう! と提案しようと周囲を見渡すと
少年たちは次々と割腹して倒れていきます。

悌次郎も、結局は刀を腹に当てます。
その叫び声が山にこだまします。


城内では、田中土佐と神保内蔵助が自害しますが
外ではまだ戦いが続いています。

八重の撃った弾が、指揮を執る大山弥助の足に命中し
もんどりうって倒れます。
「……命中」

八重と再会した川崎尚之助は
城内に残っていた大砲をようやく修理し終えて
攻撃に加わろうと大手門に向かおうとします。

しかし大手門は敵の真っ正面だけに危険です。
八重は数人の少年たちを連れて尚之助を護衛します。

会津藩の予想以上の抵抗を受け
一気に片づけるつもりでいた新政府軍ですが、
このままでは味方の損失も大きく、
籠城線に持ち込まざるを得ないと考えを改めます。


京都では、牢から出された山本覚馬が
熱にうなされて横になっていました。

見舞いにやって来た大垣屋清八に小田時栄は、
覚馬が書いた嘆願書を偉い人に
読んでもらいたいと紙束を手渡します。
「先生……命に換えてお引き受けします」


夜襲をかけようとした時、
志願した八重は女だからと断られてしまいました。
しかしそこで諦める八重ではありません。

女が戦っていると敵に分かれば、
捕まった時にどんな目に遭うか分かりません。
だから……髪を短く切ります。

たまたま通りかかった時尾に事情を説明し
髪を切ってもらいます。
「お城は守る。私は諦めねえ」

意外にも、すがすがしい表情の八重でした。

──────────

慶応4(1868)年8月23日、
母成峠の戦いで旧幕府軍を破った新政府軍は、2日後のこの日
朝に会津若松鶴ヶ城城下に突入する。

明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで


あと37年7ヶ月──。


作:山本 むつみ
テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ
題字:赤松 陽構造
語り:草笛 光子
──────────
[出演]
綾瀬 はるか (川崎八重)
西島 秀俊 (山本覚馬)
長谷川 博己 (川崎尚之助)
風吹 ジュン (山本佐久)
松重 豊 (山本権八)
長谷川 京子 (山本うら)
貫地谷 しほり (高木時尾)
芦名 星 (神保 雪)
剛力 彩芽 (日向ユキ)
綾野 剛 (松平容保)
──────────
中村 獅童 (佐川官兵衛)
池内 博之 (梶原平馬)
谷村 美月 (小田時栄)
勝地 涼 (山川健次郎)
六平 直政 (黒河内伝五郎)
──────────
黒木 メイサ (中野竹子)
津嘉山 正種 (神保内蔵助)
佐藤 B作 (田中土佐)
──────────
反町 隆史 (大山弥助)
加藤 雅也 (板垣退助)
宮崎 美子 (西郷千恵)
稲森 いずみ (松平 照)
松方 弘樹 (大垣屋清八)
西田 敏行 (西郷頼母)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:樋口 俊一
演出:加藤 拓


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八重の桜』
第27回「包囲網を突破せよ」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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