プレイバック獅子の時代・[新] (01)パリ万国博覧会
毎度毎度の大河ドラマ・プレイバックシリーズです。
東北地方が舞台の『八重の桜』関連ということで、
前半は2004年放送の『大河ドラマ・新選組!』と
その続編『正月時代劇・新選組!!』をお届けしましたが、
その後の話の展開として、同じ時代、同じ舞台地を扱う
1980年放送の『獅子の時代』につなげたいと思います。
同じ時代、同じ舞台地といいながら
『八重の桜』と共通の登場人物としては
非常に少ないわけですが(^ ^;;)
作品をまたいでしまう関係上、『獅子の時代』冒頭は
『正月時代劇 新選組!!・土方歳三 最期の一日』で
描かれた明治2年5月から、
約2年2ヶ月激動の時代を遡る形になります。
というわけで、ここではまだ大政奉還前です。
慶応2(1867)年3月・パリ──。
今から113年前(放送当時。現在からみれば146年前)。
パリのリヨン駅に、二十数人の日本の武士が降りた。
十五代将軍徳川慶喜の弟・昭武に随行する
幕府派遣の一行である。
その一行を、激しい興奮を抑えて密かに見つめる
ひとりの日本人がいた。
ロンドンからやって来ていた、薩摩藩派遣の英国留学生である。
(皆に警護されて進む昭武が水色のきらびやかな袴、
警護する武士たちはそれぞれ黒の袴で、
それを見つめる英国留学生は立派な洋装であります。
ただ、ドラマ収録時、
リヨン駅の駅舎内や列車を、その時代設定に合わせて
セットを組み直したり、それらしい列車を用意したり、
あるいは駅構内にいるエキストラに
時代設定や衣裳考証に合わせて
お願いして衣裳を着替えてもらったわけではなく、
あくまで収録時の様子が“そのまま映り込”んでいる形なので
本来であれば時代的にチグハグであるわけですが、
それが逆の意味で面白かったりします。
混乱も、一部の方々が興味深そうに見つめるだけで
なぜかほとんど起きていません(笑)。)
この一握りの日本人に比べ、
現在の日本人人口は短期旅行者を含めると約4万人、
日本〜パリ間の飛行時間は16時間である。
彼らは、船旅56日を要した。
パリ万国博覧会参加のためである。
一行は、その翌年が明治元年と呼ばれることを
まだ予測だにしていなかった。
作:山田 太一
音楽:宇崎 竜童
編曲:千野 秀一
演奏:ダウンタウン・ブギウギ・バンド
:東京コンサーツ
テーマ演奏:NHK交響楽団
:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
テーマ指揮:小松 一彦
テーマ編曲:坪能 克裕
監修:樋口 清之
風俗考証:磯目 篤郎
殺陣:林 邦史朗
方言指導:飯田 テル子
:金子 正
:中沢 敦子
語り:和田 篤
協力:鹿児島市
:知覧町
:会津若松市
──────────
[出演]
菅原 文太 (平沼銑次)
大原 麗子 (もん)
大竹 しのぶ (平沼千代)
藤 真利子 (植村菊子)
永島 敏行 (平沼鉱三)
香野 百合子 (平沼 玲)
岡本 信人 (尾関平吉)
村井 国夫 (伊河泉太郎)
近藤 洋介 (苅谷巳代治)
高田 大三 (植村信吾)
──────────
尾上 菊五郎 (高松凌雲)
神山 繁 (岩下左次右衛門)
横内 正 (平沼 亨)
加藤 嘉 (平沼助右衛門)
浦辺 粂子 (平沼松子)
佐々木 すみ江 (平沼もえ)
中村 幸二 (徳川昭武)
奈辺 悟 (水戸藩士)
池田 鴻 (通弁)
ジョイソン・ヘラー (ジェームズ)
ルック・メイヤー (モンブラン)
ジャック・ルグレ (狙撃者)
吾桐 芳雄 (薩摩藩士)
芹沢 洋三 (薩摩藩士)
池田 武司 (薩摩藩士)
加地 健太郎 (幕府役人)
若駒
早川プロ
劇団いろは
トラック・ワン
千秋 実 (苅谷宗行)
児玉 清 (瑞穂屋卯三郎)
沢村 貞子 (苅谷和哥)
加藤 剛 (苅谷嘉顕)
──────────
制作:近藤 晋
美術:小林 喬
技術:舘 和夫
効果:高橋 美紀
照明:森 是
カメラ:後藤 忠
音声:田村 久男
記録・編集:高室 晃三郎
演出:清水 満
冒頭からさらに4ヶ月遡って慶応2(1866)年12月。
雪が舞う会津若松・鶴ヶ城城下を
ひとりの武士が険しい顔で進んでいきます。
彼は、平沼銑次。
物語の主人公です。
そして行き着いた先は、銑次の実家でした。
「兄さま……銑次兄さま!」
薪を持って中に入ろうとした妹・千代が
帰って来た銑次に気づきます。
久々の帰宅だったらしく、機織りをしていた母・もえ、
祖母の松子、兄嫁の玲が温かく出迎えてくれます。
千代の呼びかけに、兄・亨と弟・鉱三も飛び出してきます。
でも、銑次の口から出たのは全く真逆の、意外なものでした。
「お別れに参ぇりやした」
フランスで行われる万国博覧会に参加するために
幕府に派遣される民部様(将軍慶喜の弟・昭武)に随行して
行くということです。
隣の座敷で寺子に習字を教えていた父・助右衛門は
銑次が帰って来たというのに、ガンコにもいつも通りです。
しかし提灯を持たせて寺子を帰した後、ポツリとつぶやきます。
「そうか、パリか」
この時代は、いわゆる幕末・徳川時代の末期であります。
黒船が浦賀にやって来てから13年、
外からは開国を迫られ、内からは勤王の志士たちの動きが活発で
新選組がそれらを取り締まるという構図であります。
反乱を起こした長州藩を征伐しようとして幕府は2度も失敗し、
各地の地方大名は、幕府の言うことを聞かなくなっています。
農民の一揆も少なくありません。
その“疲れた幕府”を倒してしまおうと
動き始めたいくつかの藩のうち、
鹿児島の薩摩藩は、有力な一藩でありました。
日本を幕府に任せてはおけない、
西洋に目を開き、学ばなければならないと
薩摩藩は2年前に15名の青年を
ロンドンに密かに留学させていました。
その中の2人がパリとルアーブル間を結ぶ鉄道に乗って
いま、パリへ向かっています。
尾関平吉と、この物語のもうひとりの主人公・苅谷嘉顕です。
パリの風景を眺めながら、嘉顕は
留学前の鹿児島にいたころを思い出していました。
英国留学が決まって、密かに想いを抱いていた
植村菊子にそれを伝えたのですが
寂しそうな菊子の表情が、脳裏から離れません。
「道中、ご無事で──」
ふと車内に目を向けると、
日本人の女がひとり歩いて行くのが見えました。
追っていく嘉顕は、なぜこの汽車に乗っているのか尋ねますが
女は嘉顕を睨みつけるだけで、黙って引き返して行きます。
慶応3(1867)年1月11日、
徳川昭武ら幕府派遣の一行は横浜を出港しました。
当時14歳の昭武は、将軍慶喜の18番目の弟です。
兄弟は37人もいて、その父親は水戸藩9代藩主の徳川斉昭です。
余談ながら、昭武に随行する銑次役の菅原文太氏は
これから18年後の大河『徳川慶喜』で、
その徳川斉昭役を演じておられます。
そして、昭武役を好演する中村幸二氏は後に“三代目橋之助”を襲名。
そう、あの美顔の中村橋之助氏であります。
このドラマが放映されてすでに33年が経過しているので、
今は有名俳優である方が、まだ無名時代にチョイ役で出演!
というのも、けっこうありそうです。
脱線、失礼──。
当時の欧米諸国は、必ずしも
幕府を日本の代表とは見なしていませんでした。
帝が元首であり、幕府は大大名のひとつという認識です。
幕府は、万国博覧会に日本代表として参加することにより
世界に、将軍が日本の元首であることを表明する
意図を持っていたわけです。
幕府側の意図と欧米諸国の認識のズレ……。
これが、今後起きるトラブルのキーポイントとなるので
頭の片隅に是非とどめておいていただきたい(笑)。
さて、ヨーロッパへ向かう船ですが
出港して3日目に上海、9日目に香港、
そして18日目にはシンガポールに到着。
正月だというのに、暑さは日ごとに増して行きます。
その船中では、銑次が
焼いたイワシと酒を床において食事しようとして
「向こうの水に合わせないでどうする」と
筑後藩小郡出身で幕府お抱え医師の高松凌雲に叱られ、
同じく随行者の水戸藩士・伊河泉太郎も
洋食に飽き飽きして
日本のみそ汁が恋しくなっています。
昭武のみが、ただただ無言です。
シャン・ド・マルス公園──「博覧会はここで開かれた」
幕府一行が目指している万国博覧会は
ナポレオン3世が主催しているもので、
1855年に続き2回目の博覧会です。
無論、日本にとっては初めての経験であり
幕府は勝手が分からず、
鎧や茶道具など数千点をすでに送っています。
他には、清・インド・アフリカの出品もあるそうですが、
日本からは、幕府とは別に薩摩藩が出品を志願しているそうです。
その薩摩藩全権使節として、
岩下左次右衛門が派遣されてきました。
岩下は、出品に際しての薩摩藩代理人・モンブラン伯爵と結託して
幕府とは別の“国”として出品すると言い出します。
幕府にはすでに力がなく、
欧米諸国からは日本の代表とも認められておりません。
それを逆手に取って、これから日本の舵取りを行うであろう薩摩が
出品に意欲を出しているわけです。
先に到着していた嘉顕や尾関らにとっては寝耳に水ですが、
幕府一行よりもかなり早くパリ入りを果たしたのは
そういった目論見が最初からあって、
関係各所に根回しをするために他なりません。
幕府とトラブルになる……。
嘉顕はたちまち不安になります。
そんな薩摩藩の目論みは知らぬまま、
27日目にセイロン、41日目にスエズと
順調な航行を続けております。
ただ、その内部では少しギクシャクした雰囲気も。
水戸藩は異人嫌いで何をしでかすか分からないので、
その時は剣が立つ銑次が力づくで抑えろという極秘命令を
なぜか伊河が知っておりまして、
とぼける銑次を仲間とボコボコにしてしまいます。
「仲良くやっぺ。オレは何もしねえから」
水戸藩士が投げつけた木片を刀で瞬時に切り裂いた銑次は
ちと驚いた表情の伊河にそう言って去って行きます。
万国博覧会会場では、日本会場の設営準備が始まっています。
当初の目論見通り、幕府出品ブースには日本の国旗が、
そして薩摩出品ブースには薩摩藩の藩旗が掲げられています。
設営に取りかかる薩摩藩士たちは、
これからの日本は自分たちが作り上げていくのだという
気概にあふれ、激しく昂揚していました。
そんな薩摩の揚々としている様子を見て
幕府側の商人・瑞穂屋卯三郎は
薩摩の本当の目的を嘉顕に問いつめますが、
嘉顕は「薩摩は祭りが好きなんじゃ」とごまかします。
その嘉顕の知らないことが、鹿児島で起こっていました。
想いを抱きつつも、それを伝えることができぬままだった
菊子が嫁いでいったのです。
しかも運命のいたずらか、その相手というのが
嘉顕の兄・苅谷巳代治であったわけです。
49日目、マルセイユが見えてきました。
フランス南部にある最大の港湾都市です。
銑次は、白い煙を吐きながら客車を引っ張る機関車に興味を示し
客車から乗り移ろうとして車掌に引き止められます。
しかし強引に乗り移り、機関車の中で汽笛を鳴らしまくり
興奮気味の銑次クンですw
マルセイユに幕府派遣の一行が到着した知らせは
パリの薩摩側にも知れるところとなり、
出品の設営最終段階に入ります。
モンブラン伯爵の入れ知恵で、その勲章も作られ、
薩摩ブース入口には「薩摩琉球国」という看板が付けられました。
瑞穂屋はようやく、薩摩の目的を知ることになるわけですが、
もし幕府側と衝突しようとも、薩摩は悠然と受けて立つ立場です。
マルセイユから北上し、
3月7日、パリのリヨン駅に到着した幕府一行。
嘉顕は、その偵察にリヨン駅に出向きます。
そこで冒頭のシーンとなるわけです。
しかし、幕府一行を固唾を飲んで迎えるのは
嘉顕だけではありません。
駅の端にある階段から、ピストルを向ける一人の狙撃者が……。
パン!
弾は銑次をかすめ、狙撃者は逃亡。
嘉顕も驚いて、辺りをキョロキョロするばかりです。
「何者だッ! 出合え!」
銑次の声が駅中にこだまします。
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