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2013年7月16日 (火)

プレイバック獅子の時代・(05)遥かなる日本

慶応3(1867)年7月1日、
第2回パリ万国博覧会のハイライトです。

博覧会出品物に対するグランプリ授与の式典が行われたのです。
日本の出品物はアジア諸国では最良のものと評され
養蚕、漆器工芸、和紙に対してグランプリが与えられました。

しかし、その“幕府の栄光”は、最後のささやかな輝きに過ぎず。
日本における薩摩藩の、武力による討幕の動きが
密かに、着実に進行していたわけです。

祭典が終わり、徳川昭武一行は
スイス・オランダ・ベルギーへの旅行の準備を始めます。
ちなみに昭武はここで、初めて洋服を仕立てました。

それにしても、演者は若かりし中村橋之助氏なのですが
登場するシーンはそれなりに少なくないのに
一言も発しないんですね(^ ^;;)
今のところ一言も。。

博覧会の会期はまだ半分も残っておりますが、
幕府側の考えとしては出品物を一刻も早く売りさばき、
お金に替えておきたいという思惑があるようです。
それは、幕府からの送金が途絶えていたからであります。

ただ、そんな事情を知らない水戸藩の伊河泉太郎らは
昭武を守るためと同時に各国の情勢をくまなく見てこいと
はるばるフランスまでやって来たのに
スイス・オランダ・ベルギー旅行には同行できないことで
渋沢栄一にクレームをつけています。

ともかく、9月3日
昭武一行は少人数でヨーロッパ巡回旅行に出かけます。
水戸藩士7人のうち3人はそれに同行しますが、
クレームをつけた伊河はパリ残留組ですw

ちなみに平沼銑次は
伊河らの目付役といったところでしょうか。


薩摩藩の苅谷嘉顕は、日本に帰らないか? という
岩下左次右衛門の誘いをやんわりと断ります。

岩下は、嘉顕が
日本茶屋のおもんに惚れているらしいとの情報を掴んでいて
残りたいのはおもんが理由かと問いつめますが、
嘉顕は顔色を変えて全否定です。

ヨーロッパに居続けると
日本が見習うべきそのさまざまな立派な仕組みを
容易く入れられると思ってしまう部分はあるようで、
もともとの役割を忘れないならば「2年じゃ」と
岩下は期限付きで残留を認めます。


10月14日、将軍徳川慶喜は朝廷に対し
天下の政権を奉還したいと願い出ます。

薩摩藩・長州藩の討幕の動きに先手を打って
名は天皇に譲り、実質的権力は温存して
反幕勢力の攻撃をかわそうとしたわけです。

その知らせが電信でパリの一行に届いた時には
博覧会はすでに終わっていた時でした。

昭武一行はスイスからベルギーへの旅行を終えたところで、
次はイタリア・イギリスへの旅行準備に
取りかかっている最中でした。

日本がこんな情勢ではありますが、
昭武一行の巡回旅行は、予定通り行われることになりました。


11月13日、薩摩藩主・島津茂久は
西郷隆盛らを従えて3,000の兵を率いて京へ。
名目だけの大政奉還を承服せず、の上洛であります。

実質的な政権奪取は12月9日でした。
15歳の天皇を擁して、
将軍職の返還と、慶喜所有の領地も朝廷に差し出せという
「王政復古の大号令」が発せられたわけです。


こうして迎えた慶応4(1868)年1月4日、
せめてもの正月気分を、と酒と刺身で楽しんでいた銑次の元に
おもんがやって来ました。

明日、アメリカへ出発することになったそうです。

おもんが何となく嘉顕のことが気になっているらしいことを
察知していた銑次は、おもんを嘉顕に会わせます。

嘉顕はむしろ、おもんのことが好きなので会えて幸せです。
しかし、武士嫌いなおもんのことなので、
仮に数年後に日本で会えたとしても
会いたくないという気持ちが強いかもしれません。

そんな時、おもんの脳裏に
父・小此木錠一の最期の日のことが映し出されます。
錠一は、他人と他人の賄賂について無実の罪を着せられ
小此木家を守るために自害して果てたわけです。

「そんな情けないものにございますか。なら士分などいりませぬ!」
父をこんなに追いつめて、のうのうと生きているのが武士ならば
侍の身分など捨ててしまえばいい……!!

結局、小此木家はお取り潰し。
おもんが芸者になったのは、
武士を捨てて学問で身を立てて見返してやると意気込む
弟の小此木恭平に送金するためであります。


日本の正月は、「鳥羽伏見の戦い」という
徳川の大反撃で幕を開きました。

大坂から15,000の幕府方の軍勢が京に向かい、
それを迎える朝廷方はわずかに5,000。
しかし、その士気は幕府軍よりはるかに凌ぎ、
錦の御旗を掲げての進軍に
徳川方は1月7日には総崩れとなりました。

モンブラン伯爵が嘉顕の宿舎を訪れたのはそんな時でした。
「おめでとう!」と言って強引に部屋に入ったモンブランは
薩摩と長州が幕府を倒したことを知らせたわけです。

嘉顕は薩摩藩から、急いで帰国せよとの命令が下ります。


朝敵の汚名を着せられた松平容保が
会津に戻ってきたのは2月22日でした。

容保は鶴ヶ城城内に入ることをはばかり
城下に恭順の意を表して謹慎します。
供回りわずか17名という寂しい帰郷でした。

そんなこともあって、昭武一行は急きょ帰国と決まりました。

勉学の途中で帰国を余儀なくされる昭武を思うと
帰国はまことに残念で仕方ありませんが、
銑次は帰国できることが嬉しくてたまりません。

「残念だ! 残念だのう!」
部屋中をうろつき、花瓶をポンポン叩いてつぶやく銑次ですが
残念さが一向に伝わらず、帰れる嬉しさだけが感じ取れますw

とはいえ、一行がマルセイユに向かったのは4月でした。
そのころ嘉顕は、ようやくシンガポールに近づいていました。

物語の舞台は、ヨーロッパから日本へ移すことになります。


作:山田 太一
音楽:宇崎 竜童
語り:和田 篤
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[出演]
菅原 文太 (平沼銑次)
大原 麗子 (もん)
藤 真利子 (苅谷菊子)
永島 敏行 (平沼鉱三)
市村 正親 (小此木恭平)
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尾上 菊五郎 (高松凌雲)
神山 繁 (岩下左次右衛門)
横内 正 (平沼 亨)
加藤 嘉 (平沼助右衛門)
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千秋 実 (苅谷宗行)
鈴木 瑞穂 (小此木錠一)
児玉 清 (瑞穂屋卯三郎)
沢村 貞子 (苅谷和哥)

加藤 剛 (苅谷嘉顕)
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制作:近藤 晋
演出:重光 亨彦

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