大河ドラマ八重の桜・(30)再起への道
会津戦争から半年が過ぎた明治2(1869)年2月、
アメリカ・マサチューセッツ州 アーモスト大学。
March, 1869 Amherst College, Massachusetts──。
暖かな日が差し込む部屋で、
一人のひげ面の男が手元に目を落とし、お祈りしている様子です。
その男とは、新島 襄です。
日本では革命が起き、明治という時代が始まっていることを
襄を心配して部屋に入ってきたシーリー先生に伝えます。
新時代・明治とは、人民の声を聞いて政治を行えば
国が“明”るく“治”まる、という意味です。
国家の理想だ、素晴らしい、とシーリー先生は言いますが、
襄が心配しているのは、同じ国の人間同士が争った傷は
考えた以上に根深く、その痛みはすぐには消えないことです。
報復が起きなければ良いが……と。
そんな時、日本の米沢城下では
川崎八重一家は、米沢藩士・内藤新一郎の
屋敷の離れに身を寄せていました。
以前、八重が鉄砲を教えたつながりで
内藤が申し出てくれたのです。
一時は男装して会津戦争を戦い抜いた八重が
再び女性の格好に戻り、反物を売り歩いています。
姪のみねも八重に同行し、買って〜くなんしょ♪と歌いながら
ビードロをパンポンと吹き鳴らして人々の笑いを誘います。
八重が話す言葉から会津出身だと気づいた女性が
八重に近づいてきます。
千代、という女性です。
千代は会津戦争で夫を亡くし、
今は田村屋宗右衛門という
商人の世話になっているのだそうです。
宗右衛門は、武家出身の八重が
行商で食いつないでいることを不憫に思い
一反買っておやり、と千代に言い、
さらにはみねに野菜を手渡そうとしますが、
私たちは乞食ではない! と思ったか
自尊心が芽生え始めているみねは
小さい声ではありますが「いらねえ」と反発。
ま、その場は八重の機転で野菜を受け取って
喧嘩にはならなかったのですけど(^ ^;;)
山川大蔵らの助命嘆願によって、新政府は
松平容保親子の死一等を減じたものの、
その代わりとして
戦の首謀者の首を差し出すように迫ります。
5月18日、家老・萱野権兵衛に斬首刑執行──。
申し訳ない、と手をつく大蔵や梶原平馬に
殿の代わりに腹を召す(=切腹する)のは武士の誉れ、
そんなお役目を譲れるか! と笑う萱野でしたが、
萱野に宛てた容保からの親書と
照姫からの別れの歌を受け取ると、
萱野は感激のあまり男泣き。
萱野にとってただ一つ心残りなのは、会津が
逆賊の汚名を着せられたままだということです。
萱野は、戦で奪われたものは戦で取り返せと二人を叱咤し
刑場の露と消えました。
旧幕府軍と新政府軍の戦いですが、
実は終わっておりませんでした。
箱館五稜郭に拠点を構えた旧幕府軍は
奥羽越列藩同盟の生き残りと共に激しい戦いを続けていたのです。
「撃て! ひるむな!」
先頭に立って指揮する土方歳三の胸を銃弾が貫き、落命。
そして萱野の処刑と日を同じくして降伏に至ります。
こうして、鳥羽伏見からおよそ1年半にわたって続いた
戊辰戦争がついに終結となったのです。
降伏後、総裁・榎本武揚は
会津にはすまないことをした、もう少し早く駆けつけていればと
会津を出奔して五稜郭に参戦していた西郷頼母に頭を下げます。
ま、容保の死が免じられたのはよかったですが。
ただ、容保の代わりに処刑されるのが自分であったのに
萱野ひとりが責めを負うことになって、
頼母自身も申し訳なく思っているようです。
「わしは……生きる」
会津を踏みつぶしていった者たちが
新政府でどんな世の中を作るのか、
頼母は見届けたいという気持ちです。
いっぺんおいでなさい、という千代の言葉を受けて
八重とみねは、田村屋に足を踏み入れます。
そこで千代は、夫の敵を討ちたいと
八重に鉄砲を教えてほしいと懇願します。
それはできないと八重は拒否した途端、
今まで穏やかだった千代が鬼の形相に変わり
敵を討ちたくないのかと言葉を荒げます。
忘れ形見・長治郎にも強くなってもらいたいという思いは
すべてはこの復讐心からきているようで。
困惑顔の八重です。
その様子を見ていた宗右衛門が入ってきて
会津会津とわめき散らす千代に暴言を吐くと
八重の表情がみるみる変わっていきます。
その辺りにあった木刀を素早く手に取り、
宗右衛門の足をそれで払うと喉に突き立てます。
「許せねえ……会津を愚弄する者は許せねえ!」
木刀を振り上げた瞬間、千代が止めに入ります。
もしも宗右衛門に何かあったら、
長治郎が生きていけないと言うのです。
敵を討ちたいと強く思いながらも、
そうできない環境が下地としてある。
なかなか難しい問題です。
「生ぎていれば、いつかきっと会津に帰れる」
八重は、必死に千代を励まします。
東京 護国寺・会津藩士謹慎所──。
めいめい黙って座している藩士たちのもとに
平馬がやってきます。
「とうとうお家再興のお許しが下りたぞ」
おーっ、と立ち上がった藩士たちは
これで故郷の会津に帰れる!
焼け野原からもう一度会津藩を立て直すべ! と大喜びですが、
よくよく聞けば、お家再興の地は会津ではありません。
陸奥国の下北半島に3万石の領地を賜ったので
そこで再興させることになるようです。
28万石が3万石、しかも下北半島とは島流しも同然だと
大騒ぎする藩士たちを広沢富次郎が落ち着かせ、
大蔵はその藩の名を『斗南』と発表します。
「これからも戦い続け、いつの日か故郷と会津の名を奪い返す」
斗南藩大惨事を任命された大蔵の言葉に、
騒ぎ立てていた藩士たちも黙ります。
平馬は大蔵の義兄(姉・二葉の夫)にあたりますが、
大蔵の実弟の山川健次郎は
その平馬の導きで謹慎所を抜け出させ
越後の奥平謙輔のもとへ書生として預けています。
ゆくゆくは、藩のために役立ってもらうという
先を見越してのことです。
「健次郎は、会津の宝だ」
その年の秋、10月。
八重一家が居候している内藤家に大蔵がやってきました。
大蔵がもたらした会津再興の報に、むせび泣く山本佐久です。
佐久は、再興のお祝いだからとこづゆを作ります。
仏壇にもあげ、八重と佐久、うら、みね、
そして大蔵でいただくことにします。
うめぇなあ……とみんな泣きながら食べますが、
でもほくほく顔です。
山本家にとっては、このこづゆが
会津の、そして山本家の再起の味となりそうです。
ちなみに川崎尚之助は、現在は謹慎所にいますが
会津藩士と同じように斗南へ移るようです。
尚之助は、会津鶴ヶ城開城の日に
己の勝手な思いで八重の誇りを奪ってしまったので、
それを返すために、斗南に八重の故郷をもう一度作りたい。
その思いを胸に斗南へ行って来るそうです。
「尚之助さまに伝えてくなんしょ。“待っています”と」
大粒の涙を流す八重は、大蔵に
尚之助への言付けを頼みます。
翌 明治3(1870)年3月。
会津藩士たちは、次々と新天地・斗南を目指します。
そんな時、京都では
釈放された山本覚馬が柔らかい表情で座しています。
よろしく頼む、と
覚馬は小田時栄に挨拶しているところを見ると
時栄は覚馬の二番目の妻になったようです。
(ということは、小田時栄ではなく山本時栄ですな(笑))
いい匂いだ、と振り向く覚馬。
時栄は“椿”だと教えてくれます。
覚馬の視力は、もうほとんど無いに等しい状態のようです。
出かける覚馬は、時栄の肩を借りて
よろめきながら歩いていきます。
「行ってきらんしょ」
今日も行商へ出かける八重とみねを
うらは笑顔で見送ります。
──────────
明治2(1869)年11月3日、
会津松平家の再興を許され、松平容保の嫡男・慶三郎が
陸奥国に3万石を与えられて斗南藩と称する。
明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで
あと36年4ヶ月──。
作:山本 むつみ
テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ
題字:赤松 陽構造
語り:草笛 光子
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[出演]
綾瀬 はるか (川崎八重)
西島 秀俊 (山本覚馬)
長谷川 博己 (川崎尚之助(回想))
風吹 ジュン (山本佐久)
長谷川 京子 (山本うら)
玉山 鉄二 (山川大蔵)
谷村 美月 (山本時栄)
綾野 剛 (松平容保)
──────────
池内 博之 (梶原平馬)
山口 馬木也 (榎本武揚)
岡田 義徳 (広沢富次郎)
北村 有起哉 (秋月悌次郎)
──────────
勝地 涼 (山川健次郎)
山本 圭 (山川兵衛)
柳沢 慎吾 (萱野権兵衛)
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オダギリ ジョー (新島 襄)
秋吉 久美子 (山川 艶)
西田 敏行 (西郷頼母)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:樋口 俊一
演出:末永 創
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『八重の桜』
第31回「離縁のわけ」
デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜
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