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2013年8月 9日 (金)

プレイバック獅子の時代・(12)会津落城

会津若松の鶴ヶ城を脱出し、土佐藩屯所に入った平沼銑次は
人質を取って戦の頭との対面を要求しましたが、
捕らえられてお縄を頂戴しております。

銑次の前に現れたのは、総督参謀の板垣退助。
要求通り、戦の頭が登場したわけです。

銑次が見たように、
味方だと思っていた米沢藩が会津藩を裏切って敵対すれば
会津はひとりで新政府軍に立ち向かうことになります。

会津は、最後の一兵になるまで戦うつもりであり、
銑次としては、何としてもそれは避けたいところです。
ゆえに、和睦を結んでほしいと願い出ます。

しかし板垣は、話にならんといった感じで
銑次を蔵に閉じ込めるように命じます。


戦の最中に子を産んだ平沼 玲でしたが、
生まれてきたのは女の子でした。

しかし、自害して果てると聞かない玲に手を焼いた千代は
鉱造を連れてきて説得に当たらせます。

義祖母・松子、義母・もえが自害するときに
ふたりが自分を生き延びさせたのは、
平沼家の跡取りを生むかもしれないという可能性があったからで、
生まれてきたのが女の子だったとなれば、
松子やもえの後を追って自害するのは当然、という考えのようです。

先日、夫にあたる亨を自害で亡くしたばかりなので、
これ以上、犠牲者を増やさないためにも
必死に止める千代と鉱造ですが──、

ここにもうひとり、鉱造が手を焼く父・助右衛門も(^ ^;;)

大砲の弾が次々に飛んで着弾しているというのに
ひとり長槍を持って立ちはだかっています。

このままでは、いつ弾に当たるか知れず
千代は父を引きずり下ろそうとしますが、
助右衛門は、大砲を撃ち込むばかりで
兵士たちが攻め込む、こちら側がそれを迎え討つという
昔ながらの戦ができないことを悔しがります。


苅谷嘉顕は、
自らの欲のために会津の村人を襲って焼き殺した
同郷薩摩兵に切腹を命じます。

兄の巳代治は、味方じゃないかと切腹を止めさせますが、
嘉顕は、公平に男を断罪するのに揺るぎません。

薩摩に帰ってこのことが知れたら、
嘉顕は袋たたきに遭うかもしれません。
しかし、嘉顕の考えでは、同じ軍の者でも
同郷の者でも、悪は悪としなければなりません。
それが新政府のやり方だからです。

日ごろは仲が良い兄弟ですが、
この時ばかりは兄弟が衝突します。
でもこの件では分かり合うことはできず、平行線。
嘉顕は切腹を強行させます。


蔵に押し込まれている銑次ですが、
食事を持ってきた兵に薩摩への使いを頼みます。
「苅谷嘉顕という男がいるかどうか、探してもらいてえ」

最初こそ、銑次が使いを頼める立場かと
相手にされませんでしたが、
必死の願い出に、内密に探してくれたのかもしれません。

翌朝、嘉顕が土佐藩屯所のその蔵を訪ねてきました。

嘉顕は、銑次がここから出してほしいと願って
呼び出したもんだと早合点しておりまして、
「ここから逃がすわけにはいかんとじゃ」と寂しそうに言いますが、
銑次は、別にそれを頼んだわけではありません。

イマイチ理解できない嘉顕に、銑次は
鶴ヶ城城内の籠城の地獄さを克明に伝えます。

増え続ける死体の扱いは次第に疎かになってゆき、
食料の底は見え始め、やがては飢餓地獄となるでしょう。
中にいる兵士たちはみな死を求め、
新政府軍の総攻撃を今か今かと待ち望んでいます。
勝つためではありません、死ぬためです。

「これ以上の戦は、無駄だ」
銑次は、会津を降伏させるために
その条件を提示してほしいと頼みます。


嘉顕は、さっそく板垣に願い出てみます。

捕らえられた銑次が友であることを示した上で、
信じるに値する男だと嘉顕は頼み込みますが、
板垣は、自分は別に構いはしないが
自分の一存だけでは決められないことだと言います。

その言葉を持って、薩摩藩屯所の
参謀・伊地知正治に対面した嘉顕ですが、
意外な言葉を聞きます。
「そげんこつはの、とうにやっちょる」

しかし、未だに進展がないということは
もしかしたら降伏打診の使者が城に入れないのかもしれませんし
会津藩が降伏に同意しないのかもしれません。

そこで嘉顕は、その使者に銑次を推挙します。
彼なら何としてでも城内に潜り込み、
降伏への道を開いてくれるかもしれません。

しかし、結局は聞き届けてもらえません。

戦に負けたら、恐らくは会津から
追放されてしまうかもしれません。
刀は取られ、朝敵の汚名を着ることになります。

戦に負けたらどうするか、と嘉顕が銑次に聞くと、
「承知の上だ」

その悲痛な叫びに心を動かされたか、
嘉顕は時間をかけて参謀たちの説得に当たります。

その間にも城への攻撃が続いています。
近くに弾が着弾し、火災が発生する中で
千代は布でパタパタして消化に努め
玲は赤ん坊を守って懸命に生きようとしています。


降伏を勧める書状を書いてもらえました。
嘉顕は急ぎ足で銑次のいる蔵へ向かい、手渡します。

頭を下げる銑次に、
嘉顕は「パリィの仲じゃなかか」と照れ笑い。

しかし、その直後
板垣から差し止めの命が下ります。
それでも会津へ向かおうとする銑次は
幾多の鉄砲隊に囲まれてしまいます。

城内から、降伏の使者が土佐藩屯所にたどり着いたわけです。
顔なじみであった銑次は、事態を一瞬で呑み込みます。


9月21日、銑次たちは白い布を振って鶴ヶ城に帰り
29日ぶりに攻撃のない穏やかな日を迎えていました。

「会津は断じて朝敵にあらず!」
藩主・松平容保の言葉がむなしく響き、
城を守ってきた兵士たちは涙を流して平伏します。

銑次はただひとり、複雑な面持ちでその言葉を聞いています。
助右衛門は刀を持ち、自害しようとしますが
それを鉱造が必死に止めています。

「生きていただきやす! 生きていただきやす!」
助右衛門は、悔し涙を流します。


9月22日、太陽暦11月6日の午前8時、
大手門に、降参の意味を示す大旗が掲げられます。

午前10時、容保らは城外に出て降伏の場に出頭。
滝沢村に謹慎となりました。
15〜59歳の男子兵は塩川へ護送、
それ以外はお構いなしという内容でした。

そして、美濃郡上藩から応援に来ていた朝比奈茂吉ら数十人は
そのまま美濃へ帰還しますが、苦労を労われるどころか
朝敵に味方したものとして投獄され、
末路は非常に悲惨なものだったそうです。

翌23日は、雪でした。
その中を、会津藩士たちは城から出て塩川へ向かいます。
銑次、鉱造、そして助右衛門も同様です。
そして、塩川に到着したのは夜更けでした。

城内の女たちは同行することは叶わず
近くの家に集められました。
平沼一家は、ついに離ればなれになりました。

しかし──。

「父上と一緒に、しばらく辛抱しろ」
銑次は鉱造に別れを告げると、消えていなくなりました。

目指すは松島・鬼ヶ浜。
榎本武揚率いる幕府艦隊が
会津からの兵を待っているという話があって、
銑次はそれに乗ったわけです。

深い雪の中を、銑次は懸命に走り続けます。


作:山田 太一
音楽:宇崎 竜童
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
菅原 文太 (平沼銑次)
大竹 しのぶ (平沼千代)
永島 敏行 (平沼鉱造)
香野 百合子 (平沼 玲)
──────────
横内 正 (平沼 亨)
目黒 祐樹 (朝比奈茂吉)
村野 武範 (板垣退助)
──────────
近藤 洋介 (苅谷巳代治)
片岡 秀太郎 (松平容保)
加藤 嘉 (平沼助右衛門)

加藤 剛 (苅谷嘉顕)
──────────
制作:近藤 晋
演出:中村 克史

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