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2013年8月13日 (火)

プレイバック獅子の時代・(13)蝦夷島共和国

深い雪の中を懸命に走り続ける、平沼銑次。

銑次が目指したのは、松島の鬼ヶ浜です。
榎本武揚率いる十数隻の幕府艦隊が
会津からの兵を待っているという知らせが届いたからです。

積もった雪も曇天も白く映りますが、
銑次が吐く白い息もとても真っ白です。


塩川謹慎所へ護送された平沼助右衛門は
生きて城を出たのがよっぽど屈辱だったのか
炊き出しの粥に手をつけません。

そこへ苅谷嘉顕が銑次を訪ねてくるわけです。
表向きには塩川にいることになっておりますが
銑次は松島へ向かっておりますので、
実際にはここにはおりません。

仕方なく鉱造が応対をしますが、
兄は……消えました、とドギマギしながら言う鉱造に
嘉顕は「そうか、消えたか」と微笑みます。
銑次らしいと思ったのでしょう。


1868(明治元)年10月・陸前は松島。
幕府軍艦「開陽丸」にちゃっかり乗り込んでいる銑次は
船内で高松凌雲に再会します。

「♪タラランランラン ランラランラーン」と銑次が歌えば
凌雲も、顔を見ずとも銑次だとピーンと来ます。
フランスに滞在した仲ですからね。

これら軍艦が台風に遭いながらも
ようやく会津沖に達したとき、
会津藩は新政府軍の攻撃に
ギリギリ持ちこたえている状況でありまして、

食料の補給には手を貸したのですが、
新政府軍に敗れてしまった以上、
それ以上の支援は途絶えてしまいました。

それは会津に限らず、
幕府軍に手を貸す藩は東北にはなかったのです。

銑次は、凌雲から
蝦夷に新天地を目指すと言われ、興奮気味です。

ただ、すんなり蝦夷に入れるとも思えず
榎本武揚は、勝 海舟を通じて
蝦夷地を自分たちに任せてほしいと願い出ていますが、
それがどう転ぶか、です。

幕府艦隊が蝦夷地に上陸したのは10月20日、
太陽暦12月3日の、小雪ちらつく初冬です。
場所は、函館から40kmほど離れた寂しい漁村でした。


深い雪の中、助右衛門や鉱造らは
塩川謹慎所から越前高田へ護送されます。

その途中、助右衛門は
会津で生き別れた千代たちが江戸送りになったらしい、と
鉱造からの情報で知ります。

当初は、女たちは高田周辺で住むことを
許されていたはずなのですが、
約束が違う、と助右衛門は怒りを露にします。


戦乱が終わった会津藩内では、
農民たちによる大規模な世直し一揆が頻発しておりました。
ただ、それは単なる不満の爆発ではなく
全農民の平等や人別帳焼き捨て、不正の追及などといった、
文字通りの世直し一揆であります。

新政府軍は大軍を持ってこれを叩き潰しますが、
それを知った嘉顕は「叩いてはいかんが!」と厳しい表情です。

一揆を叩いた軍勢の中に、一揆を叩くことで
生き生きとした苅谷巳代治がいたのですが、
弟の嘉顕は、いま農民に不満を持たせては
江戸幕府の二の舞だと危惧しているわけです。

同じ親から生まれた兄弟でも、
こうも考え方が分かれるというのも皮肉なものです。


江戸は「東京(とうけい)」と改められていました。

大久保利通は東京城で
さまざまな人といろいろなことで面会を続けていますが、
嘉顕が会津から戻ったと聞くと、
今までの固い表情がずっと緩みっぱなしです。

嘉顕は、前の一揆の件について
一揆を叩くことで人心が新政府から離れていく実状を心配して
大久保にそれを報告します。

大久保は、函館の事例も嘉顕にぶつけてみますが、
それは権力の争いであって、
農民は生きるか死ぬかの二者択一だと答えます。


榎本らは、上陸を許さない新政府軍を打ち破って
箱館五稜郭を占領しました。
その勢いはそれだけにとどまらず、
松前、江差もまたたく間に手中に入れてしまいました。

榎本は士官以上の856名で総裁選挙を行います。
最高位には榎本武揚が決定。
その他の得票者の中には、大鳥圭介や
新選組副長の土方歳三も含まれています。

12月15日、祝砲を次々に打ち上げ
あたかも新国家成立と言わんばかりのものでした。


1869(明治2)年正月。
東京は、東北戦争から戻った各藩の兵隊があふれていました。

戦争直後ということもあり、人を人とも思わない彼らの仕儀は
東京の人民たちの反感を買ってしまいますが、
そんな彼らにあからさまに逆らう者はいませんでした。

嘉顕は、銑次がフランスでよく話してくれた
妹の千代が気になって、護国寺へ呼び出します。

千代は、嘉顕にどう接していいか分からず
用がなければ、とさっさと宿舎に戻ろうとしますが、
嘉顕に綿入れを差し出されても、冷たい表情のままです。
「敵の情けは受けねす」

嘉顕は、屋敷内にいては
人民が新政府の施策をどう思っているか分からないので
かつて命を助けてもらった畳屋平蔵・さく夫婦の
家の2階を借り受けることにしました。

薩摩嫌いの平蔵を納得させるために、
彼が2ヶ月ほど滞納している家賃を代わりに支払い、
かつ平蔵が言うように口をきかないという条件付きです。

千代に受け取ってもらえなかった綿入れは
さくにあげることにしました。


越後の高田藩謹慎所での暮らしは
そこまで厳しいものではなく、
時には酒や餅がふるまわれ、
茶道や華道などの稽古も後に許されたほどですが、

監禁は監禁であります。


凌雲は新天地で、
自らの理想をそのまま形にしようと躍起です。

敵兵であっても負傷して身動きできぬ瞬間から敵にはあらず。
どんな人間でも介抱して治療するという考えは
榎本総裁には目の上のたんこぶではありましたが、
理想を結集した病院の建設に当たっては、
その総裁の口すら一切挟ませないほどです。

榎本総裁も榎本総裁で、自らの理想を追求し
共和国として国造りに着手します。

新政府は、榎本のことなど忘れたかのように
何も言ってきませんが、
榎本としてはむしろそれを願っておりました。

ただ、新政府軍は蝦夷のことを
忘れていたわけでは決してありません。
春を待っていたのです。

3月9日、新政府軍艦隊は品川沖を出発し
陸軍が集結していた青森へ向かいます。

その集結した陸軍の中には、
銑次らが同行した徳川昭武と、彼に随行する伊河泉太郎ら。
それに苅谷巳代治や植村信吾らもおりました。

箱館五稜郭は、春の戦乱を前にして穏やかでした。


作:山田 太一
音楽:宇崎 竜童
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
菅原 文太 (平沼銑次)
大竹 しのぶ (平沼千代)
永島 敏行 (平沼鉱造)
香野 百合子 (平沼 玲)
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鶴田 浩二 (大久保利通)

尾上 菊五郎 (高松凌雲)
近藤 洋介 (苅谷巳代治)
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佐野 浅夫 (畳屋平蔵)
加藤 嘉 (平沼助右衛門)

加藤 剛 (苅谷嘉顕)
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制作:近藤 晋
演出:清水 満

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