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2013年9月24日 (火)

プレイバック獅子の時代・(25)新しき旅立ち

会津で敗れ、「不毛の地」斗南を与えられ
その地で生き抜き、その地を豊かにすることが
薩長を見返すことになる──。

会津藩士と家族17,000人は
飢餓地獄と言われた下北の冬を耐え抜いていました。

しかし、そのように
会津の誇りを見せると言って耐え続けるのは
つまり薩長の思うつぼではないのだろうか?
むしろ、与えられた土地を捨ててそれぞれが道を選び
さまざまにしぶとく生き抜く方がいいのではないか?

平沼銑次は、多くの藩士とは別の道を歩き始めます。
髷を切り、武士を捨てたわけです。

そして、父・平沼助右衛門の遺髪を抱いて
一家で斗南を離れることにしました。

目指すは──東京です。


二本松までやって来ました。

火をおこして鍋を作り、みんなで食べますが
兄嫁の平沼 玲が、幼い保子を抱いたまま
ポツリとつぶやきます。
「私と保子、この先でお別れさせてくなんしょ」

聞けば、玲の大叔父が会津でひとり暮らしているらしいのです。

男子兵でも、15〜59歳を除けばお構いなしだったので
越後高田に護送されることなく、会津に残ったわけです。

鉱造や千代は、一緒に東京に行きたいと玲を止めます。
亨亡き今、平沼家の面々に気兼ねしているとすれば
それは「無用なことだす」と銑次も優しく言葉をかけますが、
玲の決意は固そうです。

玲の想いを受け入れた銑次は
本宮の町で助右衛門の形見である刀を売り
玲への餞別の金を作ります。

銑次は、玲と保子に鉱造をつけて会津まで送らせます。
そして銑次は、千代と引き続き
人口67万人の街・東京への旅へ。


斗南を出発して1ヶ月半の5月初旬、
銑次と千代、そして会津経由で追いかけてきた鉱造は
ようやく東京に到着しました。

東京の街は馬や駕篭、人力車が忙しく行き交い
賑わいを見せていました。

銑次は、もんと弥太郎が住んでいる小屋に
鉱造と千代を連れてきました。
千代は「銑次兄さまに嫁さまが──」と戸惑いますが、
嫁御でねぇ! 病人だ! と照れ笑いです。

もんは、銑次が斗南へ戻ってから
料亭の仲居を住み込みでやっていました。
銑次らが戻ったと弥太郎が料亭に知らせに行くと、
幾分か元気になったもんは、走って戻ってきました。

銑次は弥太郎に、武士を辞めたことを伝えますが、
武家の娘であったもんには、それがどういうことか
彼女なりに理解しているつもりです。
もんは銑次を見つめています。


翌朝、銑次は千代を連れて瑞穂屋卯三郎の元を訪れます。

斗南に帰る前、卯三郎に10両借金している負い目もあって
なかなか本題を切り出せない銑次に、
事情を何も聞かず、卯三郎は首を縦に振ります。
「よろしゅうございます。お千代殿をお引き受け致しましょう」

銑次に貸した10両も、卯三郎は
銑次から利息はもらうつもりはないそうですが、
元金返済の期限は切らせてもらう、と伝えます。

成算おありですか、と聞かれて
イタイところを突かれたと、引きつった笑いに終始します。

そして鉱造ですが、銑次が勧めたポリスの募集会場には行かず
薩摩・大久保利通、長州・木戸孝允、土佐・板垣退助、
そして肥前・江藤新平の各江戸屋敷に赴いて
書生として雇ってくれないかと願い出たそうです。

書生になって学問をしたいと考えている鉱造は
会津を賊と考えているであろう政府高官の懐に飛び込んでみて
実際にどのように自分たちを考えているのかを知りたかったのだとか。

銑次は武士の誇りを捨てて生きろといいますが、
鉱造は、こういう時だからこそ
誇りを捨ててはならないと思っています。
どちらかというと、助右衛門に考え方が似ているかもしれません。

明朝、銑次は鉱造を連れて板垣退助の屋敷に赴きます。

銑次と板垣のつながりは、会津落城直前にまで遡ります。
鶴ヶ城を脱出して土佐藩屯所に入った銑次は
戦の頭に会わせろと主張して捕らえられましたが、
その時に登場したのが総督参謀の板垣だったわけです。

土佐だ、会津だと言っているだけでは
いつまで経ってもいがみ合いにしかなりません。
板垣は、多くの書生たちの反対を受けつつも
鉱造を受け入れることにします。


千代は瑞穂屋の廊下をぞうきんがけしてしまい、
ここは乾拭きだと先輩に怒られてしまいます。

しかも返事は、はいではなく「へい」だと……。
下女には下女の口の聞き方がある、と
基本からみっちり仕込まれます。

千代を受け入れる卯三郎からのたった一つの条件が
特別扱いはしない、でしたので
千代も唇を噛んで我慢していくしかありません。

一方の鉱造は
板垣の乗馬に走ってついて行きます。
どれだけ遠駆けしてもついてくるので、
板垣の評価も上々です。

さて、弟と妹の就職斡旋を済ませた後は
自分の身の振り方です。

銑次は苅谷嘉顕の屋敷を訪問し、
斗南で父が亡くなり、まげを切って武士を捨てたこと、
一家で東京に上ったことを伝えます。

おいに何かできることはないか? と嘉顕は銑次に聞きますが、
「ねえ、成算がある」と強がります。
ホントはないのに(^ ^;;)

弟妹のいなくなった小屋で、銑次は黙って考えます。


朝、気づけば卯三郎の前に座していました。
「オレに商人の道さ、教えてもらいてえ」

借金の事や妹のことなど、事情を何も聞かず
願いをすんなり聞き届けてくれた卯三郎ですが、
今回ばかりは首を縦になかなか振りません。

奉公人となり、
丁稚→手代→番頭となるまでに10年はかかる道のりです。
それを、小僧じゃないから5年でこなすと強がりますが、
小僧じゃないからこそ難しい、と卯三郎は険しい顔です。

それでもと引かない銑次に、卯三郎は
銑次の覚悟のほどを知るために、ある試験をさせてみます。
「接待はおできになりますか」

相手は、銑次にとっては憎き仇である
薩摩出身の役人だそうです。
作法も何も知らねえと一瞬たじろぐ銑次ですが、
まずはやってみることにします。


作:山田 太一
音楽:宇崎 竜童
語り:和田 篤 アナウンサー
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[出演]
菅原 文太 (平沼銑次)
大原 麗子 (もん)
大竹 しのぶ (平沼千代)
永島 敏行 (平沼鉱造)
香野 百合子 (平沼 玲)
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金田 賢一 (弥太郎)
岸本 加世子 (龍子)
──────────
村野 武範 (板垣退助)
児玉 清 (瑞穂屋卯三郎)

加藤 剛 (苅谷嘉顕)
──────────
制作:近藤 晋
演出:清水 満

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