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2013年9月 8日 (日)

(36)同志の誓い

明治6(1873)年。
欧米列強と結ばれた不平等条約の改正に苦心していた新政府は
キリスト教禁止令を廃止。
列強と同じ土俵に立ったことを世界に喧伝しようとしました。

しかし、江戸時代から続くキリスト教への偏見は
根強く残ったままです。
「何べん来てもあかん! 耶蘇は都から出ていけ!!」

山本八重が、宣教師である新島 襄との結婚を決意したのは
襄がキリスト教による学校の設立に動いていた、
そんな最中です。

明治8(1875)年10月。
襄と八重は、山本佐久、山本覚馬・時栄夫妻、
それに京都府知事の槙村正直に婚約のご報告です。

というわけで、八重は今日も
いつも通りに女紅場で英語の授業です。
美しい旋律の英語の歌を一緒に歌いながら
生徒たちに英語に慣れ親しんでもらおうとしています。

そんな中、女生徒のひとり・ぬいが
口を真一文字につぐんだまま、厳しい表情をしたまま
英語の歌を歌いもしません。

八重が心配になって声をかけたとき、八重を呼ぶ声が。
授業中だというのに
役人が八重と対面させろと無理を言って聞かないのです。
八重が対面所へ向かうと、唖然とする一言が飛び出しました。

「ここを辞めてもらうよう、解雇のお達しが出ました」

先ほどのぬいも、八重が対面所に行っている間
他の女生徒から追及を受けます。
八重が耶蘇の男性と結婚するということもあって
父から“八重先生とは口聞くな”と言われたのだそうです。

世間では、キリスト教に対して
風当たりが強いということは、理性では分かっています。
しかし、それが女紅場を解雇という結末になったのが
八重には理解できません。

その、解雇を指示した人物──槙村正直は
女紅場での勤務をこれからも続けたければ、明日の授業で
自分はキリシタンにはならないと宣言せよと条件を出します。
それも表向きでいい、と。

本当の心の中では、キリシタンであろうが仏教徒であろうが
槙村としてはそんなことはどうでもいいわけです。
表向き、キリシタンにならないと宣言してくれさえすれば
女紅場に娘を預ける親の立場としても安心だというのです。

旦那さまを裏切るわけにもいかない。
生徒たちを見捨てるわけにもいかない。
八重は、覚馬に相談しつつも悩みます。


京都の外国人居住の許可証を入手した襄は
大垣屋から紹介された旧公家・高松保実邸を見学します。
そこは、都が東京へ移ったことで空き家になっていたわけです。

しかし、ホコリまみれクモの巣まみれで、
障子は破れ御簾も傾き酷い有り様です。
耶蘇の学校設立に反対する者たちのしわざのようです。
現に、見学中にも石が投げ込まれます。

「これが、京都に住む者たちの本音どす」
大垣屋は厳しい表情でつぶやきますが、

この部屋に机は何台置けるか?
何人の生徒たちがここで学べるか?
幾人の生徒たちがここから巣立てるのか?

もし石を投げ込まれたなら、また直して使えばいい。
大事なのはどこで学ぶかではない、
何を学ぶかです、と襄はいたって前向きです。

そして、押しかけてきた京都商人たちには
まずは襄らキリスト教の人たちの
この場限りではない覚悟を見せてもらうということで
大垣屋が間に立ってくれて、説得してくれます。

英学校の開校へ、襄の目標は一歩前進といったところです。


翌朝、八重の決断のときです。

>私はこの結婚を
>自分の心に従い、自分で決めました。
>後ろめたいところも後悔も何一つありません。
>私は妻として、宣教師である夫の考えを認め
>支え続けようと思います。

>私は自分の思いにウソをつくことが出来ませんでした。
>みなさんにも、ウソをつけと教えることは出来ねえ。
>これからみなさんも、自分に偽ることなく
>自分のドリームを自分の心に従って……。

八重は槙村がアドバイスしたように、自分の心に偽って
自分は耶蘇にはならぬと宣言しませんでした。
役人たちに連れ出されようとする最中にも
生徒たちへの最後の教えとして叫び続けます。

耶蘇にはならぬと宣言するかと思ったのに
そうではなかったことに、役人たちは
“この会津者が!”と怒鳴りますが、
八重はすました顔です。
「会津の者は、おとなしく恭順しねえのです」

襄は、覚馬に事情を聞いて女紅場に急ぎますが
到着した時には、八重はすでに女紅場を辞めた後でした。
「これからは、あなたの行く道が私の行く道です」
グッドニュースです、と八重は微笑みます。


そのころ、中央政界から離れた西郷隆盛は
彼を慕って下野した者たちと鹿児島に戻って
私学校という学校を開いておりました。

生徒の大半は職を失い、
日本の有り様に不満を持つ士族たちでした。

大山 巌は、西郷が鹿児島にいては
周囲のものたちに担ぎ出されてしまう危険性があると
政府に戻ってきてほしいと願い出ますが、

「枯れ葉が落ちんな、次の花は咲けん」と
鹿児島から動く意志がないことを表します。


設立した学校で教えることになる宣教師のデイヴィスは
聖書を教えるというのを正式な科目にできないかを諮りますが、
そうなればまず学校設立は許可されないでしょう。

今、そう焦らなくても時代は変わっていくので
いずれ教えられるときがくるでしょうし、
今はまず、学校設立を目標にしなければ
いざ教えられるとなっても学校がなければ意味がないわけです。

デイヴィスはしぶしぶ承知します。


──『同志社』。

覚馬が、襄が設立する学校の名前を考えてくれました。
キリスト教に偏見を持つ周囲とのわだかまりはありつつも
明治8年11月29日、ついに同志社英学校が開校しました。

その生徒数、わずか8人……。

しかし、襄による授業が始まったとき
「聖書は禁止じゃと言うたろうが!」と
槙村が教室に乱入してきました。

確かに教材に聖書を使用してはおりますが、
今行っている授業は“リーダー”であります。
聖書を教えているわけではありません。

屁理屈じゃ! と顔を歪める槙村に
授業を教室の後ろから眺めていた八重が
矢面に立たされている襄の助っ人を果たします。
「建前です。槙村さまもおっしゃったではありませんか」

本当のところはどうでもいい、しかしここでは
“聖書を教えていない”という建前こそが必要だ。
そういうわけです。

槙村は、そのカラクリが覚馬の入れ知恵であることを見抜き
覚馬との協力関係を解消します。

『彼女は幾分、目の不自由な兄上に似ています。
 あることをなすのが自分の務めだと一旦確信すると
 もう誰をも恐れません。
 私の目には、彼女はただただ生き方がハンサムな方です。
 私には、それで充分です』

夜、襄は手紙をしたためます。


明治9(1876)年1月3日、
いよいよ、八重と襄の婚礼の日です。

婚儀はデイヴィスの屋敷にて
西洋の方式に則って執り行われました。
日本で行われた、
最初のプロテスタントの挙式であります。

そしてそれに伴って、婚礼の前日
八重は洗礼を受けてクリスチャンとなりました。

どのような時も、私と一緒に歩いてください──。
“My pleasure.”

ニッコリと微笑みます。

──────────

明治8(1875)年11月29日、
新島襄が私立学校『同志社英学校』(同志社大学の前身)を
京都寺町に創設。教員2人、生徒8人。

明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで


あと30年5ヶ月──。


作:山本 むつみ
脚本:三浦 有為子
テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ
題字:赤松 陽構造
語り:草笛 光子
──────────
[出演]
綾瀬 はるか (山本八重)
西島 秀俊 (山本覚馬)
オダギリ ジョー (新島 襄)
風吹 ジュン (山本佐久)
谷村 美月 (山本時栄)
──────────
高嶋 政宏 (槇村正直)
吉川 晃司 (西郷隆盛)
反町 隆史 (大山 巌)
松方 弘樹 (大垣屋清八)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:樋口 俊一
演出:佐々木 義春


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八重の桜』
第37回「過激な転校生」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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コメント

「建前です。槙村さまもおっしゃったではありませんか」と言われたとき、槙村氏、おそらく一休とんち話の登場人物になった気分だったでしょうね。むろん一休さんのとんちにしてやられた側の人物のような気分。─

─────────

atushikun2さーん。
連続コメントありがとうございまーす。


>槙村さまもおっしゃったではありませんか
あの槙村正直の、グウの音も出ない感ったら(笑)。
してやられた、という感じですね。

自分が言ったこととはいえ、
ああいう風に返されてしまうと
もう引っ込みがつかなくなりますよね。
今の政治家のように、たやすく
「前言撤回!」とは言えませんし(^ ^;;)

返信ありがとうございます。
たやすく前言を覆す政治家が多いなか、一人だけあげるとすれば橋下徹氏みたいに強い者にこびて弱い者にきついことをいう政治家の多い世の中から見れば、槙村氏はよほどいさぎよい男と思います。

──────────

atushikun2さーん。こんにちは!
今日もコメントありがとうございまーす。
(遅くなり大変申し訳ございません)


>槙村氏はよほどいさぎよい男と思います
そうですねぇ。

自分が発したことは最後まで責任を持つ、
という姿勢が見て取れます。
ま、だからこそ
無責任さという部分も可愛らしく映るわけですが(笑)。

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