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2013年9月15日 (日)

(37)過激な転校生

明治9(1876)年1月。
結婚した山本八重と新島 襄は、新居が出来るまでは
山本家で同居することになりました。

襄は、女も男も対等で平等だという考えの持ち主なので
八重がやると言うのに洗い物も裁縫も喜んでやります。
そして八重が“旦那さま”と呼ぶのも止めさせます。
「ジョー、と呼んでください」

チュッ、とお目覚めのキス。

八重は一瞬固まりますが、
ハハ……ハハハ……と引きつった表情のまま笑います。

襄は、新しい校舎と新居の図面を大垣屋清八に見せて
西洋の暮らしについていろいろ教えてあげています。
寝室にはベッドというものを置いて、
お便所では椅子に座ったまま用を足せるように……。

八重は、人前で厠の話なんかするもんじゃないと
少々機嫌を損ねますが(^ ^;;)

夜、襄に勧められて初めてのベッドで横になってみます。

ボワンボワンと跳ねる寝具を八重は気に入ったようですが、
「今夜は一緒に寝ましょう」と襄が隣で横になったときは
ちょっとだけ緊張します。

とはいえ、その日はとてもよく眠れたようで
飛び起きた時に襄をベッドから突き落としてしまいますが(笑)。


このころ、西洋の学問を教える洋学校が各地で創立。
それは身分から解放された明治の人々の
学問で身を盾容とする熱気の表れであります。
そして同志社英学校も少しずつ生徒数を増やしつつあります。

ただ、生徒数が増えるのはいいとしても
生徒の習熟度はそれぞれ全く異なるものなので、
思うようには授業が進まないのが悩みです。

デイヴィスは襄に、熊本洋学校の教師を務めるジェーンズから
熊本洋学校でクリスチャンになった生徒たちが
迫害を受けているので同志社英学校で受け入れてほしいと
手紙で言って来ていることを伝えます。

八重は、教師2人態勢では無理だと言いますが、
優秀で信心深い彼らを迎え入れれば同志社にとってもいいことだと
襄は迎え入れたいようです。

山本覚馬は、彼らのその信心深さが問題ではないかと
いい返事は出しません。


3月、政府は廃刀令を発布。
武士としての誇りを奪われた士族たちの怒りは爆発寸前です。

元会津藩士の竹村幸之進らは、新聞を発行することで
廃刀令を発布した政府を糾弾しているのですが、
山川 浩にしてみれば、彼らがこういうことを続ければ
政府に狙われて命を落としかねないと忠告します。

しかし、浩の説得は彼らを余計に燃え上がらせるだけで
両者の亀裂は決定的になります。


金森通倫という熊本洋学校の元生徒が山本家を訪ねてきます。

熊本洋学校は全国に先駆けて設立した学校であります。
この学校の生徒たちが、アメリカ人教師に感化されて
集団でキリスト教に入信したことが
県下を揺るがす大問題となっていたわけです。

こうしている間にも、熊本で金森の帰りを待つ元生徒たちは
信仰を捨てよと迫害を受けていて、
金森はかなり憔悴しきっています。

「皆さんの入学を、私は歓迎します」と言うと
金森は襄の手を握ったまま頭を下げます。

秋、熊本を追われた生徒たちが
身一つで同志社英学校に転校してきました。
彼らは、その結束の強さから『熊本バンド』(バンド=隊)と
呼ばれるようになります。

その『熊本バンド』は、
牧師になるためにここに入学し背水の陣で挑んでいるので
聖書の授業がないことに不満を露にしますが、
徳富猪一郎は、聖書のいい部分を学んで今後に生かすつもりでいます。

それを八重に聞かれて、ついつい
鵺(ぬえ)のような女には言えないと言ってしまいます。
「そん格好……お前は鵺たい!」

鵺とは、頭や身体が全て違う動物という妖怪です。
つまり、八重の格好が頭と身体、そして足と
バラバラであることをそう表現したわけです。

発端は、八重が夫を「襄」と
呼び捨てにしたことから始まったようです。

授業も、もともとの同志社英学校の生徒たちとは知識量が違い
襄の、教科書を丸暗記するような授業には
熊本バンドの面々は希望も何もありません。

これじゃ、彼らが校内を圧倒するのも時間の問題です。


学生たちが一斉に食事する朝ご飯の時に
徳富はひとり、食欲がなさそうな印象です。
八重は徳富に、風邪薬を飲ませます。
「具合が悪いときは、いつでも言ってくなんしょ」

しかし、徳富の口から出たのは
“新聞記者……”というキーワードでした。
つまり、彼は新聞記者になりたいと八重に伝えたのです。

世間をよく見聞きし、真実を世の人に伝えたい。
それは、熊本洋学校のことをよく知らないくせに
邪心があると勝手に決めつけられた彼の体験が
元になっているようです。


一人、また一人と同志社洋学校を去ってゆきます。
熊本バンドの専横に我慢ならないという主張ですが、
熊本バンドの面々に言わせれば、
落ちこぼれは退学して当然という態度です。

襄は何も言わず、ただうなだれるばかり。
自分の能力不足に、ただただ腹が立つばかりです。

ならぬことは、ならぬのです。
これは八重が幼少の頃から叩き込まれた言葉ですが、
理解しやすいように、八重はそれをひっくり返します。
「良いものは、良い」

西洋の考えも、聖書も、生意気な生徒たちも
その全ては分からないし、受け入れられない。
しかし、良い部分は誰が何と言おうと受け入れてみる。


襄の気持ちがようやく前向きになりかけたころ、
熊本バンドの面々から同志社英学校の改革要求書が提出されました。

・生徒の能力に応じて、甲(上級科)・乙(普通科)の2つに分ける。
・授業内容の見直しを早急に行う。
・寮内では禁酒禁煙とし、門限を定めて罰則を設ける。
・成績不振者は退学処分とする。

そして、背筋が氷るような言葉が出てきました。
「一つ、新島 襄氏を学校長から解任し、
 西洋人宣教師を新たに学校長とする」

おぉ……かなり過激だ(^ ^;;)

しかし襄は、授業内容の見直しこそ約束しますが、
成績が元での退学処分はありえない、とします。

聖書の一節を出し
“自分を愛するように、汝の隣人を愛せよ”
己のために他者を排除する人は絶対に許さない、と
涙ながらに語りかけますが、

面々は、ここまで来てそういうわけにはいかないと
部屋を出て行きます。

熊本では、人前で涙を見せる男は笑われると
涙を見せた襄を「情けなか」と失望していますが、
徳富は、人のために涙を見せた襄を男らしいと思ったようです。


10月、旧士族による
明治政府への反乱が立て続けに起こります。

24日、熊本で神風連の乱。
27日、福岡で秋月の乱。
28日、山口で萩の乱──。

政府軍に敗れた士族たちは、
西郷隆盛のいる鹿児島へ続々と流れていきました。

29日、東京では
竹村をはじめとする十数名の会津藩士が
日本橋の船着場で警察官を斬り殺すという事件が発生。

佐川官兵衛は
共犯が疑われている浩は竹村に会わなかった(ことにする)、
と言い置いて去って行きますが、

政府に仕官したことで竹村に“薩長の手先”だと
猛反発を食らっていた山川 浩は、
そんな元会津藩士の策謀について
共犯にもなれなかったと浩は悔しがります。


「おはようございます。新島 鵺にございます」
目を丸くする生徒たちに、授業が始まると着席を促し
生徒たちも“仕方ないなぁ”という感じで
言われるまま着席します。

徳富も、取ってくれるようになった新聞を片手に
八重に感謝しているようです。

──────────

明治9(1876)年10月29日、
旧会津藩士らが東京・思案橋から出航しようとしていたところ
通報で駆け付けた警官隊と斬り合い、数名がその場で逮捕される。

明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで


あと29年5ヶ月──。


作:山本 むつみ
脚本:吉澤 智子
テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ
題字:赤松 陽構造
語り:草笛 光子
──────────
[出演]
綾瀬 はるか (新島八重)
西島 秀俊 (山本覚馬)
オダギリ ジョー (新島 襄)
玉山 鉄二 (山川 浩)
谷村 美月 (山本時栄)
──────────
降谷 建志 (藤田五郎)
勝地 涼 (山川健次郎)
──────────
中村 獅童 (佐川官兵衛)
風吹 ジュン (山本佐久)
松方 弘樹 (大垣屋清八)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:樋口 俊一
演出:中野 亮平


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八重の桜』
第38回「西南戦争」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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コメント

過激な転校生と聞いてまっさきに鶴本直と成迫正則の顔が浮かんでしまった金八ファンの私です(笑)

やっぱり生徒数が増えれば授業の理解度の壁ってのは当然ぶつかるわけで、同志社も後年はやっぱり他の大学同様入学者をより分ける試験をやらないといけなくなったわけで、いやはや教育って難しいなと考えさせられました。

それにしても襄は理想の婿さんだと思った女性は多いでしょうね。
家事をはじめから負担してくれるし、当時からあんなに開けた男性ってアメリカにもいたのでしょうか?と思う次第です。

──────────

atushikun2さーん。こんにちは!
今日もコメントありがとうございまーす。


>まっさきに鶴本直と成迫正則の顔が浮かんでしまった
これはこれは……なかなかコアですなぁ(^ ^)


>いやはや教育って難しいなと
Kassyは以前、塾の正社員講師をやっておりまして
レベル別クラス編成というスタイルでした。

ただそれも、例えば成績上位者の生徒さんであっても
ある教科だけ極端に成績が悪かったりすると
本来であればその科目だけ基本クラスに編入させて
基礎から鍛え直すというのが本来の姿なのでしょうが、

時間割編成上、講師の数が限られているので
どうしてもそれができないのですね。
例えば特別クラスの「国語」の時間に
他のクラスでは国語以外の科目が行われている、など。

一人の場合を考えてこういう問題が起きるので、
これが生徒個人個人に合わせるとなると
それこそ大手予備校なみのクラス数、教員数が必要になり
その生徒の受講時間もバラバラになりかねません。

学習塾でこんな状況なので、
学校ともなるととてもとても大変でしょう……。


>開けた男性ってアメリカにもいたのでしょうか?
かなり時代の先を行っていますよね(^ ^)

今でこそ家事は当たり前、
「イクメン」なんて言葉も飛び交うご時世ですから
もしかしたら新島 襄は、留学したこともあって
時代の先端を走っていたのかもしれません。

いや、時代の先端というよりも
彼の思考に時代が追いついてきた?
だから今の時代ではある意味当たり前のこと?

彼の生きていた時代では、
たとえば家事などは、それは女の仕事だと
襄の考えが世の人に受け入れられなかった部分も
いろいろありますからねぇ。

投稿: ★atushikun2 | 2013年9月18日 (水) 22:36

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