大河ドラマ八重の桜・(38)西南戦争
明治10(1877)年2月。
京都今出川にある同志社英学校の新校舎。
新島 襄と八重は、夫婦揃って校門をくぐります。
生徒たちも続々と校舎に足を踏み入れ
教室を物珍しそうに眺める者あり、
机を運んで教室作りに励む者あり──。
そんな中、徳富猪一郎は
鹿児島で西郷隆盛が挙兵するというニュースを持って
教室に飛び込んできます。
熊本バンドの面々は、
鹿児島の火種が熊本に飛び火するのではないかと
故郷がどうなるのか不安でいっぱいです。
山本覚馬は、西郷に“動くな”と止めるべく
よろめきながら京都府庁に向かいます。
2月15日、西郷は1万を超す兵を率いて進軍。
波乱の予兆のように、その日
九州は50年ぶりの大雪に見舞われます。
内乱の戦火が、再び日本を覆い尽くそうとしていました。
京都府庁で、覚馬は槙村正直に
鹿児島で何が起きているのかと問いかけますが、
槙村は、そのうち新聞が取り上げて書くだろうと断った上で
大まかな成り行きを説明します。
内務卿・大久保利通が、西郷の動向を探らせるべく
鹿児島に密偵を送り込んだ。
そしてその密偵が西郷暗殺を企んでいると
鹿児島私学校の生徒たちが騒ぎ出した──。
たかだか暗殺のウワサだけで1万の生徒が動くとも考えられませんが、
槙村が言うには、私学校の生徒たちは所詮“不平士族の吹きだまり”で
西郷を担ぎ出して決起する口実を探していただけだといかにも他人事です。
覚馬は、八重と一緒に木戸孝允のいる御所へ向かいます。
その御所では、木戸が薬を服用しているところに
大久保と伊藤博文が入ってきます。
15,000の兵が起つ という知らせは既に届いていて、
木戸は、彼ら賊徒を早く討たなければと静かに語りますが、
大久保にとっては、なかなか踏ん切りがつかないところです。
都合の悪いことに、政府を下野したとはいえ
西郷は未だ陸軍大将であります。
そこが討伐の決断を鈍らせているのかもしれません。
そこへ続いての電信が。
『西郷軍が熊本県下に乱入、鎮台兵は開戦に備え熊本城に籠城の構え』
大久保は、その電信の紙を官員から奪い取り
その目で確かめますが、目を閉じてうつむきます。
「鹿児島の暴徒に、追討の令を……出す」
2月19日、西郷軍追討が発令されます。征討軍はただちに九州入り。
2月22日、熊本城の攻防から始まる西南戦争の幕が切って落とされます。
薩摩人
見よや東(あずま)の 丈夫(ますらお)が
提げ佩(は)く太刀の 鋭(と)きか鈍きか
山川 浩が、歌を詠んで白布にスラスラと筆を滑らせます。
会津戦争から10年、ようやく薩摩軍と戦えるときが来たと
その意気込みを詠んだものです。
佐川官兵衛は、会津戦争の時の
寝坊という失態を取り返すチャンスが巡ってきたと
松平容保に賜った正宗の刀を持って出陣していきます。
西郷軍は、籠城を続ける熊本城を包囲したまま
政府軍の南下を阻止するため、一軍を豊前街道に進めます。
そして3月4日、ついに西南戦争最大の激戦となる
『田原坂の戦闘』がはじまります。
命を捨てて敵陣に斬り込む、抜刀隊に佐川と藤田五郎は一番に志願し
彼らのお陰で士気が大いに高まったわけですが、
佐川が元会津藩士であることを知った大山 巌は、
気合い充分な佐川の後ろ姿を見て、吐き捨てます。
「まさか会津と手をば組んで、兄さあと戦するこつになっとはな」
勢い良く斬り込んだ抜刀隊ですが、
その先頭に立っていた佐川は敵の銃弾に倒れます。
戦場で斬り死にできると望みが叶った佐川は、
藤田の前でそのまま息絶えます。
3月20日、政府軍はついに薩摩軍を圧倒。
田原坂を制します。
4月14日、山川 浩は部隊を指揮して
西郷軍の熊本城包囲網を突破。
そのことが新聞に掲載され、
京都の八重たちも浩や佐川らの活躍を知ることになるのですが、
賊軍だった会津藩士の活躍に大喜びする山本佐久と山本みねの一方で
八重は、この戦はいつまで続くのかと浮かない顔です。
覚馬は木戸邸を訪問し、西郷軍への調停を働きかけますが
行くところまで行かねばならない、と木戸は突っぱねます。
途端、頭を押さえて昏倒する木戸ですが、
木戸は西南戦争の終結を待たずして世を去ります。
享年45でした。
そして、人吉から宮崎、延岡と
苦しい転戦を続けた西郷軍は再び宮崎に戻り、
9月、故郷・鹿児島城山の山中に籠ります。
西郷軍に向けて総攻撃が開始されたのは
9月24日午前4時。
懐中時計に目をやった大山はそれを閉じ、抜刀して叫びます。
「これより! 総攻撃を開始する!」
銃弾を雨霰のように降らせる新政府軍の攻撃に
それでも果敢に立ち向かう西郷軍ですが、
一人、また一人と銃弾に倒れて行きます。
そして奥にいた西郷の身体にも、一発の銃弾が……。
「もう……ここいらでよか」
西郷は付き従ってきた別府晋介に介錯を頼み、
自刃して果てます。
西南戦争は、両軍合わせて
13,000人の戦死者を出して幕を閉じます。
その翌年、大久保は暗殺者の凶刃に倒れ
西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允と
明治維新を牽引した男たちは相次いで世を去って行きました。
『鹿児島より電報に城山陥落。西郷、桐野ら戦死せりとあり』
新聞の言葉を覚馬に読み上げる八重です。
果たして他に道はなかったのか?
自問自答する覚馬の脳裏に、
西郷とのやり取りが走馬灯のように駆け巡ります。
数日後、開校認可を受けた同志社女学校では
みね、徳富初子(徳富猪一郎の姉)、伊勢みや子という
授業を受けているはずの3人の姿がありません。
なんと、お隣で授業している同志社英学校で
襄が行っている講座の方が面白そうと、抜けてきたようです。
そんな彼女らを叱責する八重ですが、
初子の、何か文句あっか的な表情には
男子学生の方が圧倒されています。
明治10(1877)年9月、
開校したばかりの同志社女学校に入学してきたのは
男子学生も顔負けの意気盛んな娘たちでした。
──────────
明治10(1877)年9月24日、
政府軍が鹿児島城山を総攻撃し、西郷隆盛が自刃。
享年51。
明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで
あと28年6ヶ月──。
作:山本 むつみ
テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ
題字:赤松 陽構造
語り:草笛 光子
──────────
[出演]
綾瀬 はるか (新島八重)
西島 秀俊 (山本覚馬)
オダギリ ジョー (新島 襄)
風吹 ジュン (山本佐久)
玉山 鉄二 (山川 浩)
谷村 美月 (山本時栄)
──────────
中村 獅童 (佐川官兵衛)
降谷 建志 (藤田五郎)
──────────
高嶋 政宏 (槙村正直)
徳重 聡 (大久保利通)
及川 光博 (木戸孝允)
反町 隆史 (大山 巌)
吉川 晃司 (西郷隆盛)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:樋口 俊一
演出:加藤 拓
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『八重の桜』
第39回「私たちの子ども」
デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜
| 固定リンク
« ぷっくり | トップページ | 余計なことだけど »
「NHK大河2013・八重の桜」カテゴリの記事
- 大河ドラマ八重の桜・(51-4)総集編第四章・いつの日も花は咲く(2014.01.03)
- 大河ドラマ八重の桜・(51-3)総集編第三章・敗戦、そして新天地へ(2014.01.03)
- 大河ドラマ八重の桜・(51-2)総集編第二章・鶴ヶ城決戦(2014.01.02)
- 大河ドラマ八重の桜・(51-1)総集編第一章・ならぬものはならぬ(2014.01.02)
- 大河ドラマ八重の桜・(50)いつの日も花は咲く [終] 〜絶対にあきらめない! 今、福島・東北に誓う〜(2013.12.15)
コメント