プレイバック獅子の時代・(31)大久保と西郷
明治4(1871)年から6(1873)年にかけて
政府の首脳たちがメンバーとなる岩倉使節団は
2年近くの見聞旅行をしてきました。
大きな目で見れば、彼らが見てきたことは
今後の日本に大きな影響を与えるものが多かったのですが、
当時は、徳川時代に結んだ
不平等条約の改正だけがクローズアップされ、
それが不首尾となると、
民衆たちの不満は大きくなるばかりです。
「条約は 結び損ない 金は捨て」と
狂歌が出回るほどです。
5月末、ベルリン旅行中の使節団から
単身帰国した大久保利通は、
何をしてきたのかという民衆たちの痛い目にさらされ
太政官庁にも大蔵省にも出ず、家に籠っていました。
西郷隆盛を後ろ盾にした
江藤新平ら留守政府の改革の安定さと目覚ましさに、
大久保自身、自分の出る幕はないと動かなかったわけです。
徳川時代、朝鮮国との交易は
最も近い対馬藩が窓口となって行われてきました。
当時は両国とも鎖国政策をとっていて、
日本は長崎が、そして朝鮮は釜山がその玄関口です。
しかし、廃藩置県によって対馬藩はなくなり
それからの役目は政府が担うことになったのですが、
開かれた自由な貿易を朝鮮に求め、頑に拒否されます。
これは何も日本に対してのみ
行われてきたことではありませんで、
アメリカ・イギリス・フランスなどにも同様でした。
板垣退助は、かつての日本がそうであったように
朝鮮に黒船を送り込むことを提案。
アメリカやロシアが攻め込んで植民地になる前に
日本が主導権を握って朝鮮と対せねばならないと主張しますが、
江藤は目をつぶって黙り込んだままです。
瑞穂屋卯三郎が、苅谷嘉顕から注文を受けた書籍を持って
苅谷屋敷を訪れます。
銑次は横浜から石川島へ移されたらしいというのは
嘉顕も卯三郎も共通の情報なのですが、
それ以降の消息が掴めていません。
女中のきわに酒を頼む嘉顕ですが、
きわからの応答がありません。
様子を見に行ってみると、
廊下で倒れ苦しそうに呻いています。
卯三郎の機転で医者を手配し、
お世話役のきわの代わりに
千代を翌朝、苅谷屋敷にやることにします。
出勤時間ぎりぎりまできわのお世話をする嘉顕ですが、
あとは千代に任せることにします。
ただ、兄の平沼鉱造は
嘉顕は会津を滅ぼした薩摩の人間だと
千代に深入りしないように釘を刺しておきます。
日本と朝鮮との関係は、悪化の一途です。
一向に門戸を開かない朝鮮に対し、
日本政府は、自由に貿易をやるまでと
朝鮮の商人と密貿易をおおっぴらに始めます。
しかし最近、朝鮮はそれを厳重に取り締まり出します。
そしてついには、日本人は
朝鮮から出て行けと命令書を出しました。
戦も辞さないという一触即発の状況です。
出て行けと言われている以上
もはや戦を始めるべきだと主張する板垣退助と、
公式ではない密貿易をやっていたのを咎められたわけで
それを口実に戦をしても大義名分がないと言う江藤新平。
ふたりも真っ向からぶつかります。
板垣は参議筆頭の西郷隆盛の元を訪れ自説を主張しますが、
西郷も江藤と同じく、
大義名分がないと戦も仕掛けられないと答えます。
朝鮮が欧米諸国の植民地となっては、日本は孤立無援となります。
だからこそ先手を打って、
日本が朝鮮を植民地化しなければならないと板垣は考えていますが、
西郷はむしろ逆で、
日本が朝鮮を欧米諸国から植民地化されないように
守り抜く必要があると説きます。
しかもそれは、日本が植民地化するためではなく、
あくまでも欧米諸国に手渡さないためです。
そのための戦であれば賛成だと断っておきますが、
板垣は、賛成だという言葉だけを刈って
反対派の主張を抑えることが出来ると喜んでいます。
西郷が考えた案はこうです。
まずは単身朝鮮に乗り込み開国するように説得。
ただし、いくら筆頭の西郷でも説得には折れないでしょう。
そこで立腹した西郷は、軍隊を呼ぶと脅しをかける。
そして──斬られる。
そうなった時こそ、戦を始めても
世界は何も口を挟めなくなる時だと言うのです。
それを聞いて板垣は意気消沈します。
いや、西郷がこうでも言わなければ
逸る板垣の暴走を抑えられなかったのかもしれません。
ただ、西郷の考えはすぐさま三条実美に伝わります。
さらには外務卿の副島種臣らが
現在朝鮮を旅行中という事情も重なり、
西郷の案は保留されます。
千代が苅谷屋敷に詰めて数日が経過しました。
きわは病床で、嘉顕が自分と対する時よりも
千代と会話している時の方が声が明るいと気づきます。
そこできわは、自分への世話はそこそこに
後は嘉顕を世話してやってほしいと伝え、
千代もその通りにするわけですが、
嘉顕は嘉顕で、自分のことは自分ですると言い張り
間に立たされた千代はなかなか難しいです。
でも、苅谷屋敷での暮らしはとてもとても楽しく
出会った頃の、人を上目遣いで見ていた千代とは見違えるほど
表情も声も明るく、元気になった彼女です。
きわが元気になり、床上げしました。
しかし卯三郎は、きわが完全に良くなるまではと
千代をそのまま世話役として詰めさせます。
庭の掃き掃除や廊下の拭き掃除などの合間に
きわのリハビリを手伝い、メキメキと快方に向かいます。
ただ、きわの快方は喜ばしいことなのですが
それは千代が瑞穂屋へ戻ることを意味しておりまして、
嘉顕は少しばかり残念がります。
千代が帰っていくことは、嘉顕、きわ、
そして本人の千代も少し思うところはありますが、
瑞穂屋に戻っていきます。
保留となっていた朝鮮問題が再び熱を帯び始めました。
7月、副島が朝鮮から帰国したのです。
副島曰く、日本と朝鮮が戦争を始めても
清国が干渉してくることはないと主張。
西郷の言う段取りに賛成します。
8月中旬には、閣議で西郷の朝鮮行きは了承となり
19日には、天皇にその決定が報告されます。
天皇は、出発は岩倉具視らが帰国した後にせよと
条件付きで了承します。
しかし、岩倉より先に木戸孝允が帰国してきて
西郷の朝鮮行きに反対を唱えます。
ヨーロッパよりも300年も遅れている日本が、
国の内部を整えずして外国と戦争するのはもっての他だというのです。
しかし、江藤によって政府高官らの汚職事件が次々と摘発され
木戸の意見を太政官に強く主張する余裕がありませんでした。
病気と偽って、嘉顕が有馬温泉へ向かいます。
大久保説得のためです。
何としても戦争に至らしめないためにも、
ここは政府の誤りを大久保に修正してもらう必要があります。
しかし、帰国して政府に出仕しなかった大久保が
今ごろのこのこ出て行って、政府が時間をかけて築いてきた
この決定を覆せるとは到底思えません。
大久保は、動きませんでした。
そして近衛兵は、
来たる戦争に向けて激しい演習を始めます。
作:山田 太一
音楽:宇崎 竜童
語り:和田 篤 アナウンサー
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[出演]
菅原 文太 (平沼銑次)
大竹 しのぶ (平沼千代)
永島 敏行 (平沼鉱造)
三田村 邦彦 (大槻信春)
村野 武範 (板垣退助)
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鶴田 浩二 (大久保利通)
細川 俊之 (江藤新平)
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中村 富十郎 (西郷隆盛)
児玉 清 (瑞穂屋卯三郎)
加藤 剛 (苅谷嘉顕)
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制作:近藤 晋
演出:松橋 隆
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