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2013年10月13日 (日)

大河ドラマ八重の桜・(41)覚馬の娘

明治13(1880)年 春──。

「まだ政治は一握りの薩長の者たちに独占されちゅう!」
自由民権を掲げ、国会の開設や民選議員創設に向けて
みなが一丸となって進むべき時だと弁士の板垣退助は力説。
演説会で民衆を前に声を張り上げています。

この板垣が火をつけた自由民権運動は
人民の声を政治に反映させようという
大きなうねりとなって日本中に広がっていきます。

会場の前後ろに待機していた巡査たちは
「中止中止!」と割り込んで、聴衆者たちともみ合いになります。

一方、要請を受けた側の岩倉具視は
国会開設の請願書の束を見てため息です。
民権派の者たちを早く抑え込まないと
とんでもないことになる……と考えているようです。

演説会は、集会条例で取り締まっておけばいいと考える伊藤博文は
それよりも西南戦争で出費がかさんだために
国家財政の立て直しが急務と考えています。

「国庫の出費を減らすために、地方の負担を増やすも致し方ないかと」
伊藤は岩倉に相談します。

5月、地方の自治と自由を守る戦いが京都で幕を開けます。

京都府議会にも、税の追加徴収に関するお達しが届きました。
府議会の審議を通さずに追加徴収することは許されまじ、と
議長の山本覚馬は急ぎ京都府庁の槙村正直のところに出向きます。


“ワイフ仕入所”と同志社女学校の校舎の壁に落書きされて
学生である女生徒たちは朝から憤慨しきりです。

学問をするのに男も女も関係ない、という新島八重は
今に“ハズバンド仕入所”と言われるかもしんねえよ、と
女生徒たちを笑わせます。

同志社英学校を卒業し、
キリスト教伝道師として今治に向かった伊勢時雄から
妹の伊勢みや子へ手紙が届きました。

時雄は、毎日毎日、町の辻に立って
『聖書』の教えを伝えていますが、
漁民の男から石を投げられてバカにされ、
許可無く演説した、と巡査からは「中止中止!」と抑え込まれ
自由民権の演説会と間違われてしまっています。

そして手紙の最後には
“みねさんによろしく”という言葉で締めくくられています。
どうやら、みねが時雄に靴下をプレゼントしたようです。

「奉仕です! 奉仕の心で編んで……」と苦しい言い訳ですが、
みや子や徳富初子ら女生徒、そして八重や山本佐久までも
みねをじーっと見ています(^ ^;;)


「税の追加徴収を独断で決められては困ります」
覚馬はじめ府議会議員数人が、槙村の前に陣取って
府の予算は、まず府議会で審議する決まりであると主張します。

しかし槙村は全く聞く耳を持ちません。
それどころか、議会は知事の言うことを聞いていればいい、と
怒鳴りつけて議員たちを圧倒します。

覚馬は、槙村がどんなに血管を浮かび上がらせて怒鳴ろうとも
冷静に淡々と正論を伝えます。
まずは知事が考える使い道の細目を府議会に提出せよ、と。
「我々は府民の代表であって、知事の部下ではない」

飼い犬に手を噛まれるとはこのことか、と
槙村は舌打ちです。

京都府議会を無視する槙村に、覚馬たちは
その横暴を訴える上申書を中央政府に提出。

しかし、中央政府から何も言って来ないところを見ると
槙村のようなやり口を暗に認めているというわけで、
こんなことで京都の自由自治はどうなるのだ、と
佐久は呆れています。

佐久の口から自由自治なんて言葉が出てきたことに
覚馬も山本時栄も驚きですが、そんなことを知らずに
女学校の舎監は務まらないとニッコリです。

7月、税の追徴問題は決着を見ないまま
府議会の会期は終了してしまいます。
槙村はその隙を巧みについて追加徴税を強行します。

知事よりももっと大きな力を味方に付ける、と覚馬は
新聞に知事の専横の有り様を書いてもらいます。
そう、もっと大きな力とは、世論のことです。


「もしかしてウチに……嫁に来ると?」
時雄からみね宛に手紙がまた入っていて
兄と文通しているとみたみや子はみねに思い切って聞いてみます。

そんなんじゃねえ! とその場では答えてしまいましたが、
お年頃のみねは、ひとりでいろいろ悩んでいるようです。

その帰り道、みねは
家の前で誰かがうろちょろしているのを察知します。

誰か〜ッ! と大声を出すと、その誰かがみねの口を押さえますが、
家の中にいた覚馬は、鬼も負けるような形相で密偵を睨みつけ
大蛇ににらまれた密偵は、慌てて逃げて行きます。


同志社を退学した徳富猪一郎は東京で新聞記者を目指し
新聞縦覧所に立ち寄る毎日です。

その日の新聞は、槙村を弾劾する記事ばかりで
猪一郎は、新聞の力、言論の力というものを
改めて思い知らされることになります。

その新聞記事を読んで、伊藤は槙村を呼び出し
民権派を敵に回すやり方がいけない、と怒りを露にします。
怒りをあおって政府転覆を狙う者たちが
出てきてもらっては困るわけです。

「元老院に席が1つ、空いちょるがの」
元老院とは実質的な隠居所のようなもので、
伊藤が槙村に、引導を渡した格好です。

10月、税の追徴問題に決着をつけるべく臨時府議会が開かれます。
槙村は、5月に出した追加徴税通達を取り消すと宣言。
ただし、改めてこの場で追加徴税の通達を出し
府議会で審議をしてほしいと言い出します。

通達取り消しで沸き立った府議会は、改めての通達に
失望するもの、怒り出すもの、様々です。

つまり槙村の狙いは、府議会がどれだけ反対したところで
府知事にはその議案を執行する権利があるので
府議会の審議は形骸化するわけです。

あんたの負けじゃ、と勝ち誇る槙村に
府知事と府議会の争いが続けば
どちらに義があるか新聞がますます書き立てて、
最終的には槙村の名に傷が付く、と覚馬。

槙村に負けたということで、覚馬は今日限りで職を辞し
槙村にもそろそろ引き時ということで
刺し違えるつもりのようです。

府議会と対立する府知事、というイメージのままでは
槙村もなんとも気持ち悪い部分がありますので、
演説会禁止の条例を撤廃し、開明な知事という
いいイメージを植えつけることにします。
「妙案と存じます」

明治14(1881)年1月、槙村は京都を去ります。
長く続いた槙村府政は、終わりました。


5月、同志社で演説大会が開かれることになり
伝道のために各地に散っていた熊本バンドの面々が
再び同志社に集まってきました。

まずは八重が焼いたジンジャークッキーを肴に
伝道の報告会です。
襄の故郷・安中では多少やりやすいし
岡山も比較的穏やかな土地なのでやっていけてます。

そして伊勢時雄が向かった今治では
2年間で信徒が7人から100人を超えました。
そして時雄は、今治に
500人入る大会堂を作りたい、という目標を持っています。

ただ、そんな大きな教会を一人ではどうにもやっていけません。
「みねさんを、伴侶に迎えたかです!」


──いい青年だ、悪くねえ縁だと思うげんじょな。
覚馬は、父親としてみねに語りかけます。

しかし、みねには少し気がかりなことがあります。
時雄は伊勢家の跡取りなのです。

みねは山本家の跡取りだから、
父親の名を汚さぬように立派にならなければならない、と
小さい頃から言われて育ってきました。

「うちには久栄がいっから、もう私がいなくてもいいんだべ!」
(母・うらのように)今度は私を放り出すのか、と
目に涙を浮かべて覚馬の部屋を出て行きます。

部屋でひとりすすり泣くみねに、八重が寄り添います。

起きてしまったことはもうどうにもならない。
昔を変えることは誰にも出来ない。
変えられるのは先のことだけ。
「これからのことは、みねが自分で決めたらいい」

みねの手をしっかりと握って、八重は諭します。


同志社で私が新島先生から学んだ
最も大切な教えは、愛についてです──。

翌朝の演説大会で、
時雄は『神の愛と隣人の愛について』演説します。

ただ、“愛”という単語を出すと
いかにも軟弱で失笑が漏れますが、
時雄は構わず、演説を続けます。

伊勢さんと今治に行きます。
覚馬の隣に座り、表明するみねに
覚馬は表情を崩さず、前を見つめたままです。
「どこまでもついで行け。何があっても離れんじゃねえぞ」

ただし、どうしても困ったら大声を出して助けを呼べ、
その時はお父ッ様が助けに行く、と覚馬はつぶやきます。

──神がそうであるように、皆さんも人を許し愛してください。

伊勢の演説は、人の心をグッととらえて
演説し終えた時には聴取者総立ち!
スタンディングオベーションです。

そして7月、みねは時雄とともに
今治に旅立つことになりました。

継母にあたる時栄からは、道中のおにぎりと
みねの好きなお漬け物を渡されます。

「行ってきます!」
深々と頭を下げて、みねと時雄は出発。
みねにとって新たなる旅立ちは、
実母うらと別れて会津を出発したとき以来です。


そのころ、国は国会開設に向けて動き出そうとしていました。
大金を投じた官有物をタダ同然で払い下げるといった
政府内で起きた汚職事件をきっかけに、世論は激しく政府を攻撃し
開明派の参議・大隈重信も非難の声を上げます。

この事件を機に、国会の早期解説を望む声が高まります。

薩長批判に回った大隈に、世論が喝采を送っている状態で
伊藤は、大隈一派を一気に取り除くことを提案します。

もちろん、国会開設を交換条件にするわけですが、
大隈が主張するような2年後に開設という無謀なことはせず
なお10年近くを要する、という但し書きつきです。

明治14(1881)年10月12日、大隈は政府を追われます。
同時にその日、9年後の明治23年に
国会を開設するとの詔が出されました。

人民が国の舵取りをする時代が来る、と直感した襄は
一国の良心となるべき人物を大勢育てる必要があり
国の権力に左右されずに自由自治の精神を貫く私立大学が必要だと
同志社を大学に作り替えると宣言。

私立大学は、この時点では日本にはまだありません。
その設立に向けて、襄の新たな戦いの日々のはじまりでした。

──────────

明治14(1881)年10月12日、
明治23(1890)年を期限として、
国会を開設することなどを表明した詔勅を明治天皇が出す。

明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで


あと24年5ヶ月──。


作:山本 むつみ
テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ
題字:赤松 陽構造
語り:草笛 光子
──────────
[出演]
綾瀬 はるか (新島八重)
西島 秀俊 (山本覚馬)
オダギリ ジョー (新島 襄)
谷村 美月 (山本時栄)
中村 蒼 (徳富猪一郎)
三根 梓 (山本みね)
長谷川 京子 (山本うら(回想))
──────────
加藤 雅也 (板垣退助)
小堺 一機 (岩倉具視)
高嶋 政宏 (槙村正直)
風吹 ジュン (山本佐久)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:樋口 俊一
演出:中野 亮平


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八重の桜』
第42回「襄と行く会津」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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コメント

当時の新聞には権力に物申す姿勢がありました!
それが今じゃどうだ、本気で権力に物申す姿勢のある新聞など数えるほどしかない!
しんぶん赤旗と、日刊ゲンダイと、あと東京新聞とか琉球新報などいくつかの地方紙と、それくらいしかない!
大新聞は政府をかばい政権の体たらくを擁護し物申す姿勢を見せても歯切れが悪い!

自由民権運動の時代のほうが、今よりはるかに政治に対する意識は強い方が多かったのではないかと思う今日この頃であります。

──────────

atushikun2さーん。こんにちは!
今日もコメントありがとうございまーす。


>政治に対する意識は強い方が多かったのではないか
そうですね。

議員になったり新聞を発行したりなど
いろいろな方法があるにせよ、政治に対しての意識は
今ほど希薄ではなかったような感じがあります。

できたばかりで全員参加という。
理想に誓い形だったのかもしれませんね。

投稿: ★atushikun2 | 2013年10月26日 (土) 20:57

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