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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2013年10月20日 (日)

(42)襄と行く会津

明治15(1882)年4月6日・岐阜 中教院──。
『自由大懇親会』の会場です。

前年に発布された国会開設の詔勅を受け
板垣退助が自由党を立ち上げます。
もちろん、その主旨は
世論によって政治を立て直すためです。

聴衆からの拍手が鳴り止まず、再登壇を求められますが
いや、今日はこれで。と
板垣は疲れ切った表情で会場を後にします。

「国賊め!」
会場内で待ち伏せしていた男が板垣の前に躍り出ます。
板垣を狙っていた刺客によってひと突きされた板垣は
よろめきながら、大声で刺客を威圧します。

「わしが死んだち……自由は……死なんぜよ!」

板垣襲撃事件は
“自由ハ死セズ”の言葉とともに全国に広まり、
政党政治確立への気運が一気に高まることになります。

伊勢時雄からのプロポーズを受け、
ともに今治へ向かった山本みね。

慣れない土地ではありますが、楽しんでやっているようです。
母・うらの背中を見て育ってきたので畑仕事も上手。
食い物に困らないというのは、なかなか素晴らしいですね。

「姉様……今どこにいんだべな」
ふとうらのことを思い出す八重です。


襲撃を受けて大阪で療養中の板垣の元を訪れた新島 襄は
板垣にミルクセーキをふるまって、
京都に日本初の私立大学の設立に協力を要請します。

国の都合で人を型にはめ込む官立大学とは違い、
民間の大学で人民の力を育てていきたいというのです。

板垣が人民の力を強く感じたのは会津戦争のときです。

確かに会津の武士はよく戦いました。
しかし領民の多くは戦を傍観するばかりで何もしなかった。
これを日本に置き換えてみたとき、武士だけが戦っても
人民がそっぽを向いていたら国は滅びます。

人民がこぞって戦に参加していたら、
会津はあるいは焦土にならなかったかもしれません。


というわけで、今年の夏休みの伝道旅行は会津です。
襄と時雄は中山道を伝導しながら東へ、
そして八重とみねは神戸から船で東へ向かいます。

途中、徳富猪一郎と合流し
安中で伝導する海老名のところへ立ち寄ります。
海老名の元には時雄の妹の伊勢みや子が嫁いでいて、
懐かしい再会となりました。

新聞記者に憧れて同志社を退学していった徳富は
今は故郷・熊本に戻って塾を開き
青年たちに自由自治を説いている状況ですが、

国会開設がなされるまでに新聞社を作って
誰にも何にも縛られない記事を書き、発行したいというのが
今の徳富の希望です。

襄は、そんな徳富への餞別として
板垣への紹介状を書いて渡します。


ついに会津入りした一行ですが
昔見た会津城下と分からないほど、城も屋敷もありませんで
景色も一変しております。

ここはウチかなぁ? などと探しているうちに
八重にとっては人生を変えた山本家の角場が残っていました。

鉄砲に憧れ、独学で勉強したのも
前夫の川崎尚之助との結婚を決めたのも、みな角場でした。
八重の脳裏に、角場での思い出が駆け巡ります。

「幸せだったんですね、会津の暮らし」
八重の言葉にウンウンと頷きながら、襄は微笑みます。

そんな平穏な日々も、戦によって切り裂かれ
弟の三郎、父の権八を亡くしました。
故郷は必ず甦ります、と言う襄の言葉に
八重はコクリと頷きます。

嬢様……という声に振り向くと
かつて山本家で奉公していたお吉がいました。
お吉は、ともに奉公していた徳蔵と夫婦になったようで
「お似合いだな」と八重に言われ、お吉は大照れです(笑)。

しかし、八重とみねが探しているうらの消息の話になると、
徳蔵もお吉も途端に口をつぐみます。


懇願して根負けしたお吉は、うらが諏方神社で
毎朝みねの無事をお祈りしていると教えます。
そのころを見計らって訪ねてみると、
今日もうらは手を合わせていました。

11年前に山本家とは縁が切れた、と
うらは初めこそ頑に二人を拒んでいましたが、
望まれて、みんなに祝福されて嫁いでいった話を聞くと
うらは全身から力が抜けたように座り込み、嬉しさがこみ上げます。

ただ、一緒に暮らそうというみねの言葉には
うらは最後まで拒否します。
「達者で」
みねにとっては二度目の母親との別れになりました。

余計なことをしてしまったと悔やむ八重に
うらとの再会の場に同行しなかった襄は
後からその話を聞いて、
うらは重荷を下ろしたのではないかと八重を励まします。


東京大学理学部に奉職する山川健次郎は
日本初の物理学教授として学界で名を成し始めていました。

そして彼の末妹・捨松も
10年間のアメリカ留学から戻ってきました。

──────────

明治15(1882)年4月6日、
岐阜で、自由党党首の板垣退助が相原尚褧に襲撃され
遭難するという『岐阜事件』が発生する。

明治39(1906)年4月1日、
篤志看護婦としての功績により
皇室以外の女性として初めて『勲六等宝冠章』を受章するまで


あと23年11ヶ月──。


作:山本 むつみ
テーマ音楽:坂本 龍一
音楽:中島 ノブユキ
題字:赤松 陽構造
語り:草笛 光子
──────────
[出演]
綾瀬 はるか (新島八重)
西島 秀俊 (山本覚馬)
オダギリ ジョー (新島 襄)
長谷川 京子 (樋口うら)
谷村 美月 (山本時栄)
市川 実日子 (山川二葉)
水原 希子 (山川捨松)
勝地 涼 (山川健次郎)
──────────
中村 蒼 (徳富猪一郎)
三根 梓 (山本みね)
黄川田 将也 (伊勢時雄)
──────────
加藤 雅也 (板垣退助)
秋吉 久美子 (山川 艶)
風吹 ジュン (山本佐久)
──────────
制作統括:内藤 愼介
プロデューサー:樋口 俊一
演出:加藤 拓


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『八重の桜』
第43回「鹿鳴館の華」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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コメント

夢を壊すようで申し訳ありませんが、まあ、ドラマ的にも通説のほうがいいのでしょうが、わたくしが受験の参考書に使った「詳説日本史研究」(笠原一男著)によりますれば、板垣さんは襲われた際「アット驚くばかりで声がでなかった」と板垣さん本人が回顧していたようです。
で、「板垣死すとも自由は死せず」という言葉は、病床で板垣さんが語った言葉を側近が名文句に仕立てたのであろうとのことです。

──────────

atushikun2さーん。こんにちは!
今日もコメントありがとうございまーす。


>夢を壊すようで申し訳ありませんが
>側近が名文句に仕立てたのであろう
いえ、やっぱりそうでしょうねぇ。
後から付け足された歴史というのは
この岐阜事件に限らず、もっともっとありますよね。


>ドラマ的にも通説のほうがいい
あくまでドラマなので(^ ^;;)
通説がいいか史実がいいかは
製作者側の考えによるものだと思います。

ちなみにKassyがこのブログで書いておりますのは
あくまでドラマに沿った形で、
ドラマで描かれているものを
そのまま掲載していますので、

場面によっては史実を、場面によっては通説を、
あるいは場面によってはウソを(笑)
『ドラマ通りに』書き連ねております。


>「アット驚くばかりで声がでなかった」
とっさのことであれば、
何も発せなくて当然かもしれません。

私はそういう場面に遭遇したことはありませんけど、
やはり同じように、オロオロするばかりで
何も言葉を発することは出来ないかと。

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