バス停について本気出して考えてみた(48)
終点停留所の旅“たそがれ”第18弾です。
今回はF岡県Y川市にある
「7ツ家西」バス停をご紹介します。
7ツ家地区の西エリアにある、
クリーク(水路)沿いの、不思議な道のふくらみ。
道路に設けられるバスカット以上にスペースがあります。
ココは市道から一本奥に入った場所ですが、
ココへ至る導入の道も、他の道に比べたら広めに作られていて
今では消えてしまって見えませんが、
かつては追い越し可の中央線が引かれていたのが見えます。
(真ん中のクリークから見て左側の道路のことです。
右側の道路が乗用車1台通れる幅であることを考えると
2車線分確保されているのが……分かります?(^ ^;;))
ま、“追い越し可”といっても、ココと市道との間の導入の道は
100メートルにも満たない長さですけど(^ ^;;)
……とここまで書いて、以上で紹介した画像が
バス停もしくはバス転回場であると思ってくださった
読者さまがどれぐらいいらっしゃるか。
実はココは、今回ご紹介の終点停留所とは
恐らく何の関わりもない場所。
あとでご紹介しますバス停から1.1kmほど離れた場所です。
何が言いたいのかと申しますと、
このエリアまでバスがやってきていたということが分かっていても
その遺構といいますか名残りといいますか
そういうヒントがなければ、どこもかしこも
終点停留所やバス転回場に見えてしまうというお話です。
この場所、その遺構や名残りを探して
何度も何度も訪問した場所であります。
その遺構や名残りというものは、いろんな場所に隠されています。
例えば、先ほども書きました道路に引かれるライン。
バスカットに書かれる“バス停”等の文字ラインが
そのまま残っていれば万々歳ですが、
廃止されてけっこうな年月が経過すると、自然に消えてしまい
バス停は廃止されてそこには存在しないので、
新たに文字を引かれることもない。
ただし、引かれていた痕が残ることがあります。
ラインそのものというより、ラインの外枠?
ただし、そのライン痕も
道路工事などで掘り起こされたり、再び舗装されたりして
痕がまるっと消されることなく
そのまま残されていることが絶対条件になります。
あるいは、突如として現れたスペース。
これはバス停というより転回場の匂いが強いです。
だから、すでに前に種明かしした
“不思議な道のふくらみ”がある場所の近くにある
転回場のようなスペース↓↓↓ は
最終的には、ココは違う! という結論に至りました。
そういう結論を出せたのは、昭和時代末期に撮影された航空写真で
ココの空間に家? だか小屋? だか
そういう建造物があることが確認できたからであります。
その他確認する方法としては、ヘビーコメンテーターの方に
「場所、知りませんか?」と情報提供を請うメールを送りつける(?)。
ご存知の方が現れれば儲けモンです(←他力本願)。
でも明確な回答は得られず、大撃沈……。
突然メールをお送りいたしましたみのるさん、
KASHIIさん、カミチィさん、ご協力に感謝しますm(_ _)m
そう、分からなければ現地で実地調査する以外にも
航空写真で確認する、人に聞くなどいろいろあるものです。
やってはいないけれど、路線担当の営業所に
突撃取材することも覚悟しました(^ ^;;)
さて、結局『7ツ家西』バス停はココにあったと判断しました。
そう判断したのは、F岡市内およびY川市内の図書館で
ここにN鉄バスが運行されていた時代(※)の道路地図を閲覧し
ココだと記載されていたからであります。
(※)F岡市内の某図書館で1995年発行の地図、
Y川市内の某図書館で1999年発行の地図を閲覧。
現在もバス路線がある終点停留所、あるいは
現在はコミュニティバスが運行されている停留所などは
撮影も調査もえらく楽なものですが、
ひと昔前までに完全に廃止されてしまったバス路線を
ほじくり返すのはなかなか至難の業です(^ ^;;)
実は『7ツ家西』バス停跡にも
現在はY川市のコミュニティバスが運行されていますが、
そのバス停は『7ツ家南』。
この名称の違いも、混乱させる一因でもあります(汗)。
まったくぅ〜(笑)。
N鉄バス時代は、ココ『7ツ家西』の南側、
幼稚園があるあたりに『7ツ家東』バス停があって、
現在は、ココ『7ツ家南』の東側に
『7ツ家北』のバス停があります。
『7ツ家西』バス停の周辺は
歩道側にちょっとした公園が設けられていて水車もあります。
水車は動いていなかったけれど。
花の季節が違う!! なんて言わないでくださいね(^ ^)┓
この写真は第一回目の取材の時に撮影したもので
今から半年前の4月10日です(^ ^;;)
ちなみに最終の取材日は……今日(!)。
こういうのは、まさに遺構。
駅向きバス停のバスカットです。
白線がはっきり残っていなくても、
アスファルトの濃淡などライン痕がうっすら残っていますよね。
その反対側、待合室にしては立派な瓦葺きの小屋(?)です。
取材時は自転車が止まっていましたが、昔もこうして開放されていたなら
駅に向かう地元のおじいさん、おばあさんが
ココに座ってバスを待ちながら世間話に花を咲かせていたのかもしれません。
これも遺構と言っていいんですかね?
小さな水路に目をやると、亀が2匹甲羅干し。
カメラを向けると、
1匹が驚いて水に入っていってしまいました(^ ^;;)
実は4〜5年前、この近くに営業訪問先がありまして
お約束の時間よりかなり早く到着してしまったKassyは
ここがそういう場所とは知らず、
このバス停付近で車を停めてお昼寝したのでした。
今考えてみると、そういう歴史の
すごい遺構で寝ていたんだなぁ……(^ ^;;)
あ、ちなみにバス転回場は判明しませんでした。
航空写真で確認する限り、バス停近くに
それらしい広場があるのは確認できたのですが、
航空写真なので、ハッキリとそうだとは断定できず。
読者の方々でそういう情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら
どうか情報をお寄せくださいましm(_ _)m
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