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2013年12月 3日 (火)

プレイバック獅子の時代・(45)絆(きずな)

明治15(1882)年6月。
軽やかなピアノの音色に合わせて
華やかなドレスを身にまとった日本人女性たちが
軽いステップを踏みながらのダンスの練習です。

ちなみにココは東京・永田町界隈──。

ココは日本かしらと見まがうほど
西洋風俗に溢れていたそうです。

日比谷には『鹿鳴館』という
ルネッサンス調のレンガ作りの迎賓館が建築中で、
ヨーロッパを模倣しようという情熱が
政府高官に最も高まっていた時期でした。

それは、西洋への憧れがそうさせたのではなく
徳川幕府が結んだ不平等条約を何とか改正しようという
外務卿・井上 馨らの努力だったわけです。
日本は、諸外国からの輸入品に自ら関税をかけることはできず
犯罪を犯した外国人を裁く権利もありませんでした。

ちなみに、伊藤博文がドイツへ
憲法の調査のために赴いたのもこの年の2月のことです。

ダンス教室の隅には、龍子が椅子に腰掛けています。
伊藤博文の娘の家庭教師としての立場なのです。

そこへ、白い軍服姿の平沼鉱造が現れます。
最初こそ、無理矢理軍人にさせられることを
あれだけ嫌がっていたのに出世を重ねています。

龍子は、鉱造が近衛将校に出世したお祝いをしてあげる、と
鉱造と約束したようですが、それができなくなりました。
兄・平沼銑次が樺戸集治監から脱走し
原生林で落命したという知らせが入ってきたのです。


その“戸籍上、死んだということになっている”銑次は、
病身のもんとともに横浜に到着したところです。

そのままもんを人力車に乗せ、車引きに任せず自ら引いて
東京上野の桜木町へやって来ました。
ここでは、かつて共にヨーロッパを渡り歩いた
“先生”である高松凌雲が「鶯渓病院」を開いていたのです。

明治12(1879)年に同愛社を設立した凌雲は
鶯渓病院を拠点に貧民を無料で診察する事業を展開。
具体的には、“施療券”を役所や地主、差配人を通じて
貧民に配布して診察するというやり方です。

財政難ながら、その薬代は社員医師たちの出金や寄付、
そして役所からの補助金で賄われ、
なんとか存続していた状態です。

ちなみに鶯渓病院での診察科目は
内科・外科・婦人科・小児科。

「お懐かしゅう……ございます」
さっそく銑次は中に入って凌雲と対面。
そしてもんとも会わせます。

凌雲と銑次、もんはパリ万国博覧会で
ヨーロッパに行っていた仲間なのでなじみです。
この人は特別だ、と凌雲はもんに個室を与え
そこで療養してもらうことにします。

「もんさんだが……だいぶ無理をしたなぁ」
銑次には、もんの状況を正直に話しておきます。

ただ、もんは
銑次と一緒に懸命に生きようとしていることだけが
彼女の生を保っていると言っても過言ではありません。
銑次といることが、彼女にとっての薬なのです。

そろそろ所帯を持つ歳だよ、と凌雲はしみじみ語りますが
銑次にはその気持ちはありません。

銑次は、小菅の牢獄に3年、樺戸に1年いたわけですが
そもそもは無実の罪だったわけで、
自分と同じように酷い目に遭った人たちを助けたいと
考えるようになっていました。

所帯を持ち、同じ場所でジッと暮らしていくという選択肢は
彼の中には存在しないわけです。

「もんさんにそんなこと言っちゃいけねえよ」
もんさんにはお前しかいねえんだよ、と
凌雲は銑次に語りかけます。


一方、鹿児島に帰った苅谷嘉顕は
母の和哥が一人で暮らす実家に顔を出しますが、
西南戦争で両親を敵に回したことが
親子関係の断絶につながっています。

あれから年月が経ち、
手紙を書いてもお返事をもらうこともできず、
金子を送っても受け取ってもらえず、嘉顕としては
謝罪の気持ちすら表明できない状況だったわけです。

「とことん逆らって生きなさい!」
薩摩おごじょのプライドからか、
息子を頑に拒絶する和哥ですが、

嘉顕はその母の言葉をいいように解釈し、
和哥に逆らって、反対を押し切って
嘉顕は千代とともに実家に暮らすことにしました。


乗馬の練習を終えた鉱造は
龍子の叔父・卯三郎が営む瑞穂屋に赴きますが、
そこで意外な事実を知ります。

兄・銑次が生きているというわけです。
(無論、政府は死んだということにしていますが)

実に5年ぶりの再会を果たし、
兄は弟の出世ぶりに目を細めます。

話は、鉱造の結婚話にまで飛びますが、

今は軍隊に全身全霊を傾けているから
結婚はまだできないと力む鉱造と、
伊藤家の家庭教師としても
語学の勉強を続けていかなければならないという龍子。

鉱造と龍子はお付き合いしているので、
卯三郎が、龍子をもらってくれと鉱造に願い出ても
そんなわけで所帯はまだ持てないと意地を張る鉱造に
ほとほと手を焼いている様子です。

二人とも無理してるんじゃねえのか? と
銑次は二人を見比べて笑っています。
「もっとも、オレが男と女子のことを言う柄ではないですがな」

ともかく、鉱造は銑次に
何事もなく静かに暮らしてほしいと願います。
もしかしたら、これはかなりの本音かもしれません。

銑次の表情が、ちと寂しそうにも見えます。


上野の動物園が開かれたのは3ヶ月前の3月のこと。
彰義隊敗北の戦場は上野公園へと変わり
同年、博物館も開かれます。

賑わいを見せる御徒町の街中を歩く男がいます。
尾関平吉──汚職事件で名古屋へ左遷された薩摩出身の男です。
尾関は、その雑踏の中に
銑次らしき男がすれ違ったのを見逃しませんでした。

銑次は、後ろから追いかけられているのを感じ
路地に入って猛ダッシュ。
途中で人力車に乗り、追いかけて来た尾関を撒き
そしてもんのいる鶯渓病院へ戻ります。

夜。
病院に松本英吉が訪問。

銑次は笑って英吉を迎えますが、
この人のお陰で4年にもわたって
牢獄暮らしを強いられたことを考えると
いくら“親分”だからって、笑うだなんて到底できませんが(^ ^;;)

英吉は、貧乏人をこの病院に運んで治させるだけでなく
借金返済のための高利貸しへの減額要請(脅し?(笑))などもやって
昔のやんちゃに比べれば、
今はかなり人のために役立つことをやっているようです。

凌雲と銑次、英吉、それと(見ているだけですが)もんの
4人で酒盛りです。

英吉は、見かけによらずシャイなので
自らをオープンに語りたがらないのですが、
今は秩父に住んでいるので、一度訪ねて来いと銑次に言います。

そんな銑次を、もんは寂しそうに見つめます。
「秩父に行って来たらどうですか」

外に出て行って思いきり羽を伸ばしたいだろうに
自分の看病ばかりでは、いずれ自分は嫌われてしまう。
もんはそんなことが不安になります。
銑次は、そんなことは気に留めず
何より病気を治すことだ、と励まします。


和哥と、嘉顕・千代夫婦の
会話のない(と言っても会話しないのは和哥ですが)生活が
始まりました。

夕餉を一緒にしようと、和哥がいる台所に
嘉顕と千代がそれぞれ膳を持っていきます。

和哥は、前まで政府高官だった嘉顕が
今は昼間は畑仕事、夜は書を読み
嫁と姑の仲を気遣うだけの男に成り下がったことが
悔しくて仕方ありません。

「憲法です、母上」
嘉顕は、単に書を読んでいただけではなく
統一された法律作りに政府が着手していて
そのための草案をまとめていることを打ち明けます。

だから、中央政府の嘉顕に対する評価如何によっては
再び東京へ呼び戻される可能性も否定できません。


「先生! 平沼銑次を匿っておいででしょう!」
たくさんの警察官を伴って、鶯渓病院へ押しかけた尾関は
病院内にいる一切の人間の出入りを禁じた上で捜索に入ります。
病院の衆院を、数十人の警察官が取り囲んでいます。

樺戸の看守が出し、死亡したと見なして戸籍もなくした決定を
やすやすと死ぬ男ではなか、と尾関が異を唱えたわけです。
3日3晩、この病院を見張って
確かに銑次がここにいることを突き止めたのです。

個人の思いだけで人々の生活が脅かされてしまうことに
凌雲は尾関に猛抗議しますが、
脱獄囚を捕らえれば手柄になるぞ、と警察官を煽ります。

ま、そんなやり取りをしている間に
銑次はまんまと病院から出るわけですが
取り囲まれているのにはい出せたのはスゴイです(^ ^;;)

銑次は、山深き秩父へ──。


作:山田 太一
音楽:宇崎 竜童
語り:和田 篤 アナウンサー
──────────
[出演]
菅原 文太 (平沼銑次)
大原 麗子 (もん)
大竹 しのぶ (苅谷千代)
永島 敏行 (平沼鉱造)
岸本 加世子 (龍子)

丹波 哲郎 (松本英吉)

尾上 菊五郎 (高松凌雲)
岡本 信人 (尾関平吉)
──────────
沢村 貞子 (苅谷和哥)
児玉 清 (瑞穂屋卯三郎)

加藤 剛 (苅谷嘉顕)
──────────
制作:近藤 晋
演出:中村 克史

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