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2014年1月 5日 (日)

大河ドラマ軍師官兵衛・[新] (01)生き残りの掟(おきて) 〜戦国乱世を駆けた天才軍師 その青春の日々〜

ひとりの武者が、林の中を馬で駆け抜けて行きます。

天正18(1590)年・小田原 豊臣秀吉本陣──。

包囲する軍勢の中で、豊臣秀吉は
言葉無くじっと小田原城を見つめています。
この城が落ちさえすれば、秀吉の天下統一がようやく成るわけで
一思いにひねり潰しては? などと、家臣たちも秀吉をあおります。

「お待ちください」
先ほどの武者が、左足を引きずりながら秀吉の元に参上。
官兵衛か、と秀吉は彼の意見を聴こうとします。

人は殺したらそれまでであり、
生かしてこそ使い道があるのだと説くと
秀吉はニヤリと笑います。

その秀吉の意を受けて、官兵衛は小田原城に向かい
北条氏に対して降伏を勧告。
初めこそ官兵衛に敵意むき出しで、
無数の弓矢で射、鉄砲で撃ちかけてきます。

国 滅びてはまたと還らず
死人はまたと生くべからず

しばらく経つと、城門が開かれて官兵衛を迎え入れます。
その男、官兵衛……希代の天才軍師・黒田官兵衛であります。

作:前川 洋一


音楽:菅野 祐悟

テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:広上 淳一
演奏:ワルシャワフィルハーモニー管弦楽団

題字:祥洲
タイトル映像:村松 亮太郎
      :小林 恵美


語り:藤村 志保


時代考証:小和田 哲男
風俗考証:二木 謙一
建築考証:平井 聖
衣裳考証:小泉 清子

殺陣武術指導:林 邦史朗
所作指導:西川 箕乃助
馬術指導:田中 光法
芸能指導:友吉 鶴心
衣裳デザイン監修:黒澤 和子

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[出演]


岡田 准一 (黒田(小寺)官兵衛)

若山 耀人 (万吉(幼少の官兵衛))


塩見 三省 (母里小兵衛)

尾藤 イサオ (伊吹善右衛門)

戸田菜穂 (いわ)

麿 赤兒 (円満)


磯部 勉 (小河良利)
上杉 祥三 (江田善兵衛)

団 時朗 (赤松政秀)
升 毅 (石川源吾)

隆 大介 (黒田(小寺)休夢)
飯田 基祐 (井手友氏)


山本 芳郎 (吉田平蔵)
高畑 こと美 (お菊)
三池 怜菜 (おたつ)
大嶋 康太 (母里武兵衛)

松原 征二 (野武士の首領)
河本 タダオ (野武士)
嶋田 昌浩 (家臣)
日野 誠二 (近習)
岸端 正浩 (武将)

西海 健二郎 (百姓)
安田 裕 (百姓)
藤間 貴盛 (百姓)
田中 淳 (百姓)
細田 正美 (百姓)
望月 左太寿郎 (百姓)
梅田 三樹 (百姓)
山尾 麻耶 (百姓)

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江口 洋介 (織田信長)


つくばみらい市のみなさん
 ─────
若駒スタント部
劇団ひまわり
劇団東俳
テアトルアカデミー

キャンパスシネマ
エンゼルプロ
舞夢プロ
宝映テレビプロダクション
エヌ・エー・シー
芸優
放映新社
エレメンツ

倉田プロモーション
JAE
スーパーエキセントリックシアター
フジアクターズ・シネマ
スマイル・モンキー
スペースクラフトジュニア
ウォーターブルー
クラージュ・キッズ


撮影協力:兵庫県
    :大分県
    :福岡県

    :岩手県奥州市
    :岩手県遠野市
    :山梨県北杜市
    :長野県富士見町
    :兵庫県朝来市
    :兵庫県神河町
    :兵庫県佐用町
    :兵庫県宍粟市
    :兵庫県姫路市
    :やまなしフィルムコミッション

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竜 雷太 (黒田重隆)


片岡 鶴太郎 (小寺政職)


竹中 直人 (豊臣秀吉(藤吉郎))


柴田 恭兵 (黒田(小寺)職隆)

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制作統括:中村 高志

プロデューサー:勝田 夏子
美術:山内 浩幹
技術:菱木 幸司
音響効果:島津 楽貴

撮影:望月 英邦
照明:岡元 昌弘
音声:佐藤 稔
映像技術:金丸 岳生
VFX:兼沢 将人
記録:野田 茂子
編集:佐藤 秀城
美術進行:小林 大介

演出:田中 健二


小田原合戦から遡って永禄元(1558)年、播磨・姫路。

背以上の高さにまで生える草原の中を
駆け出すふたりの少年。

「若!」と呼ばれる先頭の少年は
後の黒田官兵衛となる万吉、
姫路城主・小寺職隆(もとたか)の嫡男です。

職隆はもともと黒田姓を名乗っていましたが、
彼の主君である小寺政職(まさもと)の養女・いわをめとり
小寺姓を名乗っていたわけです。

そして、万吉を必死に追いかけていく少年は母里武兵衛。
武兵衛の父は、万吉の傅役の母里小兵衛で
彼が目を離したスキに万吉は城を飛び出してしまうので
ほとほと世話が焼ける若殿だ、とため息まじりです。

ホラ貝の吹く音が鳴り響きます。
陣触れです。

城を飛び出していた万吉は
ホラ貝の音を聞き大急ぎで城に戻りますが、
頭を深々と下げる万吉に、
職隆は見向きもせずに出陣していってしまいます。

野武士を相手に、職隆は
弟の小寺休夢、井手友氏とともに善戦しますが、
こういった戦いの最前線に立たされるのは
いつもいつも黒田勢でありまして、休夢は不満タラタラです。

それに対して職隆は、
落ちぶれた黒田勢を引き立ててもらっている主君に
恩義を感じてどこまでもついていくつもりです。


姫路城は、小寺政職の御着(ごちゃく)城と
敵対する赤松政秀の龍野城の中間に位置していまして
職隆は、小寺氏の家老であります。

しかし、最近 小寺氏の家臣団に加わり
かつ小寺姓をも名乗っていることが気に食わない
古参の家臣、小河良利や江田善兵衛は、
職隆のやることなすことに難癖をつけてきます。

そんなくだらない二人のイジワルに
助け舟を出してくれるのは石川源吾です。
石川は、職隆の実力を高く買ってはいるのですが……。


職隆の出陣に際し、見送りに間にあわなかった罰として
蔵に押し込まれた万吉。
その蔵の表には、武兵衛が見張っています。

万吉はしばらく書物を読んで過ごしますが、
おっ♪ と、蔵から出るある知恵が浮かびます。

様子を見に来た小兵衛は、
蔵の中から物音がしないことに異変を感じ取って
鍵を開けて中に入ってみます。

万吉の姿は、ありません。

蔵には鍵をかけていたし武兵衛も見張っていたし、
明かり取りの枠に紐がつり下げられているところを見ると、
そのすき間のほとんどない枠から
どうにかして出て行ったとしか考えられません。

小兵衛は、万吉とほぼ同じ背丈の武兵衛で試させますが
やはりすき間がほとんどなく、通りません。
そうこうしている間に万吉は、米俵のすき間から這い出て
空いている蔵の戸から何食わぬ顔で出て行ってしまうのです。


万吉は、祖父の黒田重隆の屋敷に来ていました。

そこへ、万吉の幼なじみで2歳年上のおたつという
御師・伊吹善右衛門の娘が重隆のために薬草を摘んできました。
重隆の話では、赤松氏領内の龍野城近くの龍神池周辺に
いい薬草が生えているというらしいです。

というのも、黒田家には秘伝の目薬というものがあるらしく
善右衛門のような、五穀豊穣のお札を諸国に売り歩く御師に
目薬を売ってもらうことを思いついた重隆を赤松家から引き抜いて
小寺家に迎えたのが黒田家の歴史であります。

だから、小寺家臣団から、外様の黒田勢が
“目薬屋”と蔑まれているのはそういった事情なわけです。
そして、とても武力に優れている黒田勢を引き抜かれた側の赤松家は
職隆を小寺氏と縁を切らせて赤松に引き戻そうと画策しています。

「きっぱりお断り申し上げる」
職隆は、赤松の使者に立った西方寺の僧・円満に
考えるヒマなく即座に返します。


病気で伏しがちの母のために、万吉は
重隆の言っていた話を思い出し、薬草を摘んでこようと
国境を越えて赤松領内に侵入。
しかも運の悪いことに、赤松に捕らえられてしまいました。

万吉は絶好の切り札だと、赤松政秀は
龍野城まで出向いた職隆を調略しようとしますが
職隆は首を縦に振らず。

せがれを人質にするぞと脅しをかけられても
息子ともども斬り死にするまで、と政秀を見据えます。

姫路城に戻ってきた万吉は、
いわに喜んでもらおうと摘んできた薬草を見せますが
いきなり平手打ちを食らいます。
「お前の軽はずみな行いが、
 どれだけ皆に迷惑をかけたと思っているのです!」

己の振舞い次第で、人が命を落とすこともある。
現に傅役の小兵衛は、職隆が龍野に迎えに行っている間に
切腹しようとしました。

おのれ一人で生きているわけではない、と言われて
万吉は母と約束します。
父の言うことを聞き、嫡男としての覚悟を持つことを。

「母はずっと、あなたを見守っていますからね」
そう言ったいわは、それからしばらくして
帰らぬ人となりました。


主君の小寺政職は、自分の養女でもあるいわの死で
職隆との縁が薄まるのに危機感を抱いて
後妻として新たな女人を職隆に嫁がせようとし、
赤松政秀は、これを好機と重隆に説得を試みます。
(重隆はもともと赤松家臣)

父からの説得にも職隆は応じることはないわけですが、
赤松寄りの和尚が姫路城を出入りしているという噂は
小河と江田の讒言によって政職の耳にも入れられます。

そんな時、善右衛門が仕える広峯明神が
賊に襲われていると知った万吉は、
野武士に追われるおたつを救出し
二人で森の中に逃げ込みますが、

そこで武士と野武士の怪しげな会話を耳にします。
「なぜこれほどの騒ぎとなった」
「仰せのままにしただけにござる」

遠くから誰かが野武士を動かしている?
万吉はいろいろと考えてみます。


「殿はお主を疑っているぞ」
いろいろと助け舟を出してくれていた石川が
姫路城までやって来て、職隆に教えてくれます。

そこへ、あれこれ考えた万吉が現れるのですが
石川の後ろに控える吉田平蔵を見て、目が飛び出るほど驚きます。
野武士と怪しげな会話をしていた武士こそ、
その吉田平蔵であったわけです。

万吉は、一旦は黙って引き下がり
石川と吉田が帰った後で父に報告します。

もし対面している時に万吉が暴露したならば
体よくごまかされるか、もしくは
職隆も万吉も命を奪われていたかもしれません。
「『三略』に曰く、謀は密なるをもってよしとす」

吉田は上意討ちされ、
小寺家に仕えながら心は赤松とつながっていた石川は
そのまま赤松家の家来になりました。

「よくやったな」
職隆に認められた万吉は、はにかみます。


永禄3(1560)年、尾張の熱田神宮では
軍勢2,500を前に叱咤する武将がいました。
織田信長です。

そしてその軍勢の中には、草履取りとして出仕している
藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の姿もありました。

海道一の弓取りと誉れ高い今川義元軍25,000の軍勢が、
織田信長軍2,500の軍勢に敗れるという『桶狭間の戦い』。
善右衛門の話を聞いた重隆は、時代は変わったと唸りますが

万吉の興味は、今川義元の首を取った者より
今川軍の居場所を信長に知らせた梁田某に
恩賞を厚くするという信長の考えにありました。
「信長という人は、実に面白い……」

そして翌年の永禄4(1561)年。
万吉は16歳で元服をし、名を「官兵衛孝高」と改めます。


この『軍師官兵衛』放映に合わせ、
過去の大河ドラマをご紹介する視聴録「プレイバックシリーズ」は
平成14年放送『利家とまつ〜加賀百万石物語』と
昭和53年放送『黄金の日日』でお届けして参ります。

同じ時代が描かれていますので、
その描かれ方の違いなども楽しみながら
読んでいただければと思います。

さらにこの『軍師官兵衛』でも、
『その時歴史が動いた』風にカウントダウンしていきましょか(^ ^)

今回は、長きに渡って織田信長に仕え、
信長亡き後は主君となった豊臣秀吉がこの世を去った
慶長3(1598)年8月18日に「その時」を設定します。


永禄3(1560)年5月19日、
尾張国桶狭間で、織田信長が少数の軍勢を率いて今川本陣を強襲し
大将の今川義元を討ち取って退却させる。

慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで


あと38年2ヶ月──。

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