バス停について本気出して考えてみた(62)
終点となる場所には「生活改善センター」なる建物が。
ちと大げさにもとれますが、
まあ、地区の公民館のような役割なのかもしれません。
訪問時には、中からお琴の練習の音が聞こえてきました。
転回場もさることながら、
バス停(待機場)もスペースがほとんどありません。
バスがここまで登ってきていた時代に、
今のような一般車駐車スペースのような配置であれば、
バスはその数台分のスペースに
垂直になるように停車していたことになるので、
駐車禁止という看板が作成された……のでしょうか。
もしかしたら、待機スペースには駐車禁止を表す
オレンジ斜線が引かれていたかもしれません。
このあたり、記録のために撮影をしたかったのですけれど
まさに一般車が3台程度停車していて、
どういうアングルでもライセンスナンバーが写ってしまうので
あきらめて退散しました(笑)。
生活改善センターから更に奥に進むことも出来ますが、
ここから先は急激に道幅が狭くなります。
しかも雨量制限つきです。
T地区のふもとにある中学校前には
このようなのぼりが立てられていました。
ちなみに取材は昨年3月19日、放送開始9ヶ月前です。
1600年の関ヶ原合戦で、
息子の黒田長政が徳川家康に働きが認められて
F岡藩52万石に加増された時まで
黒田官兵衛はN津藩を治めていたらしいので、
そういった意味では、
この周辺は舞台地と言えば舞台地なのです。
撮影場所として取り上げるかどうかは別にしてw
ガンバレ官兵衛!
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