28時半のお買い物
すごかったですねー、まとめ買いの行列。
ウチは販売店なので、消費税増税前の駆け込み需要
(というか、もはや今日となっては『滑り込み』?)は
すさまじいものがありまして。
ふつうの平日だったら売上は通常900、
ドタバタする土日でも1,200〜1,300ほどなので、
(↑単位は省略……でも分かっちゃうかw)
今日は平日の倍、土日の1.5倍の1,800。
土日よりも少ない人員で、何とか乗り切りました。
で。
すごかったですねー、まとめ買いの行列。
ウチは販売店なので、消費税増税前の駆け込み需要
(というか、もはや今日となっては『滑り込み』?)は
すさまじいものがありまして。
ふつうの平日だったら売上は通常900、
ドタバタする土日でも1,200〜1,300ほどなので、
(↑単位は省略……でも分かっちゃうかw)
今日は平日の倍、土日の1.5倍の1,800。
土日よりも少ない人員で、何とか乗り切りました。
で。
織田家への同盟の証として、
小寺家の代表として松寿丸は人質となり
羽柴秀吉の元に預けられることになりました。
そしてついに、天正5(1577)年10月
織田の毛利攻め総大将として秀吉が姫路に到着します。
城主たる黒田(小寺)官兵衛は、姫路城を秀吉に進呈するという
大胆なやり方で秀吉を出迎え
その前代未聞のやり方に感激した秀吉は
官兵衛と義兄弟の契りを交わします。
ただ、父の黒田(小寺)職隆は
姫路城明け渡し、秀吉との義兄弟の契りなど
御着城の者たちがどう思っているのか
気になるところであります。
ここまで酷使の期間を積み重ねますとね、
突然睡魔が襲ってきたり、そこまではいかなくとも
立っていてもボーッとしていたり、
クラクラッとめまいがしたりすることも多くなります。
朝、いつものようにコンビニでお買い物しておりますと
お会計でお札と小銭をトレイに出したものの
Tポイントカードは? と店員さんに催促され、
(常連なので、カードを所持していることはご存知なのです)
おまけにお買い物の合計金額よりも
下回る金額しかトレイに出しておらず、
またまた店員さんに催促される始末。
あー、やっぱりお疲れなのよ。
すんごいお疲れなの。
仕事場に立っていても、ちょっとめまいを感じたりして
この年齢になると、攻めの態勢はどこへやら
何事も守りに入りますな。
今日は残業1時間で帰る! と高らかに宣言したところで
結局のところは4時間みっちり残業して帰るところが
いかにもワタクシらしい部分であります。
ラカンドーラの前に引きずり出された石川五右衛門。
助左は、五右衛門は自分の友だちだと助命嘆願に動きますが
これでもか、と杉谷善住坊を狙った
弓と矢を証拠に出されます。
「戦の他は、人を殺さぬのがトンド族の掟だ」
掟に背いた者は腕を切る、と冷たく言い放ちますが、
五右衛門に命を狙われたはずの善住坊が
ワーッと叫びつつ前に出て五右衛門を守ります。
このことは自分たちで片を付ける。
だからそっちの指図は受けぬ! というわけです。
これには、さすがのラカンドーラも
「勝手にせい」とあきれ顔ですが(笑)。
vol.137・なまら北海道 (後編)
(パーソナリティ:Kassy)
第137回放送です。
今回はラジオお召し上がり前に『水曜どうでしょう』の
映像なり内容なりを予習なさったほうが
更に美味しくいただけます。
今回のListening Pointは……
トローリー、おー!
番組に関するご意見・ご感想は、
この記事のコメント欄へお願いいたします。
島の男たちに囲まれ、腕を捕まれて
ラカンドーラの前に連れ出された助左と杉谷善住坊のふたり。
「わしらはマリキットを助けたンじゃ!」と日本語を言い
身振り手振りで、敵ではないことを説明しますが
伝わっているのか伝わっていないのか……。
不安気にその様子を見つめるマリキットは
ラカンドーラの前に行き、手を握ります。
しかし、ラカンドーラの下したのは
“殺せ”という非道なものでした。
竹槍を向けられるふたり。
彼らは勇者よ。父上は勇者を殺すのですか──。
「好きなもの」って何だったかなぁ、と考える。
日ごろから意識してそういうのを記憶していないと
いざというときになかなか思い出せない。
それが偶然にも(←失礼)当たるととても喜ばれるし
まぁ外れて怒る人はあんまりおりませんが(^ ^;;)
とてもビミョーな雰囲気になるのは必定であります。
でも今さら聞けることでもないし、確認も取れないので
記憶の端々を引っ張り出してきて
何とか考えている有り様です。
ノートか何かに記録しておきゃよかった(-_-;;)
ちなみに昨日のものは、大当たりでしたv(^ ^)v
「播磨へ行け! 毛利攻めを始めよ」
羽柴秀吉による播磨出兵が、ようやく決まりました。
黒田(小寺)官兵衛にとっての、2年越しの念願が
ついに叶ったわけです。
天正5(1577)年8月。
本願寺門徒であることを理由に
本願寺を執拗に攻撃する織田方に味方した黒田家を見限り、
しかし戦で怪我をして行く当てもなく戻ってきたお道が
プロポーズを受けて結婚した栗山善助の子を身ごもりました。
それを聞いた官兵衛も大喜びですが、
善助は嬉しさのあまりパニックです(笑)。
以前、お話ししたかもしれません。
ウチのおしごと、サービス業でありますが圧倒的に肉体労働であります。
労働時間8時間、もうみっちりと(^ ^;;)
なので、業務を終えるとけっこうグッタリすることも多々。
そんな状態での残業は、なかなか厳しいものがあります。
1日3〜4時間ずつの残業。
家に帰ってバタンキュー。
アッという間に朝を迎えて出社時間と相成ります。
一応、有限ではあるものの
その期間が終了するのはかなり先のお話(の予定w)。
今はただ、身体を壊さないことを祈りつつ
可能な範囲で3〜4時間ずつ残業やってます。
はふん。
晴天。
穏やかな海。
キレイな浜辺に助左は打ち上げられています。
しばらく気絶していましたが、目を覚ましました。
助左の脳裏に、
昨晩の荒波の映像がフラッシュバックします。
「うぬが船が沈む時は、船長も一緒に死ぬ!」
船が横に大揺れし、海に投げ出された助左は
五右衛門や善住坊の名を叫びながら、気を失ったのです。
ここは? と辺りを見渡しますが、
頭上には大きなヤシの木が何本もそびえ立ち
見たこともないような光景が広がっています。
「どこなんだここは……」
小学生のころの夏休みの宿題でさえ
ラスト数日で慌てて仕上げるほど
面倒なことは後回しするKassyに、
業務上の宿題がw
単位を言ってしまうとアレなので
テキトーにカモフラージュして言いますと
「全体で42あるのを10日で仕上げよ」とのことです。
10日とはいえ、実質的には公休日も含めての日数なので
それを差し引けば6日しかありません。
ということは、均等割しますと1日7ずつ進めよ、
っちゅうことですかな。
ひぇ〜。
期限までに間に合うのかしら???
元亀元(1570)年9月12日、猛烈な雨の中を
大坂進出のために天満の森に兵を進めた織田信長軍は
浅井・朝倉と同盟を結んだ大坂本願寺から攻撃を受けます。
浅井・朝倉・本願寺 vs 織田、という構図こそ
以後11年に渡って続く『石山合戦』の始まりであります。
9月14日、かすがい堤の合戦で
先陣の佐々成政が鉄砲で撃たれ重傷を負うなど織田軍は苦戦。
しかし前田利家の奮闘ぶりに織田軍は士気を取り戻し
かろうじて辛勝します。
信長はこの利家の働きを『堤の上の槍』と称え
近江今浜の1万石を利家に与えます。
利家は、1万石は返上するから
佐脇良之を織田家に帰参させてやってほしいと願い出ますが、
信長はあっさり「否」だそうです。
市の元から勝手に戻ってきたことを怒っているようで、
顔も見たくない、といった感じなのだそうです。
職場には、言わば無数の“ハコ”がありまして、
そのそれぞれに分類のシールが添付されています。
当然、その“ハコ”の中には
大小不揃いのモノが収納されておりまして、
“ハコ”に入っている種類数が変わってくるので
シールの枚数も自ずと変わってくるわけです。
現在、訳あってそのシールの張り替え作業を行っております。
天正4(1576)年7月、
摂津の木津川河口で織田と毛利の水軍が激突。
「木津川の合戦」であります。
火矢と焙烙玉による攻撃を展開した毛利水軍の前に
織田水軍はなす術なく壊滅しました。
毛利の勝利によって織田包囲網は勢いを増し、
それは播磨をも大きく揺るがすことになります。
前将軍・足利義昭を擁する毛利方では、今回の勝利で
味方したいという書状が続々と到着していて、
織田方についた小寺政職も大いに迷っているとか。
小寺を引き込めば播磨は全て手に入る、と考えるのは
織田も毛利も同様であります。
Happy Happy Birthday !!
たっくんさん♪
今日、3月15日は
“ヘビーコメンテーター”のたっくんさんの誕生日♪
てなわけで、Kassyから
奇跡の言葉をお一つ。
──────────
努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし、成功した者は
皆すべからく努力しておる!!
(『はじめの一歩』の鴨川会長の言葉より)
──────────
おめでとうございまーす。
元亀元(1570)年5月20日・千草峠──。
杉谷善住坊が待ち構える場所に向かって
何も知らない織田信長が徐々に近づきつつあります。
狙うシミュレーションを繰り返しつつも
善住坊は手が震えて脂汗も出てきました。
緊張が高まります。
善住坊を止めようと堺から急行した助左は
おそらく善住坊が焚いたと思われるたき火の後を発見。
そう遠くには行っていないはずです。
懐から羅針盤を取り出し、方角を確認して行きます。
信長が来ました。
引き金に指をかけます。
vol.136・なまら北海道 (前編)
(パーソナリティ:Kassy)
第136回放送です。
年始の福岡編に引き続き、今回は北海道編をお届け。
同じ日本でもこうも文化が異なると
訪問してみたくなりますね。
今回のListening Pointは……
北の国から!
番組に関するご意見・ご感想は、
この記事のコメント欄へお願いいたします。
“センバツ・ほうこうまくぅ(方向幕コレクション)”。
今回は、第80回(第37弾)でご紹介した内容の修正版です。
過去に公開した幕内容の更新ということで
上のようなタイトルにしているという裏事情は
前回もご説明いたしました通り。
第80回では、N鉄バスS賀からT栖営業所の一般路線バスと、
N鉄バスC豊からN方営業所の高速車両の2本をご紹介しましたが、
今回更新したのは、うちN方営業所の高速車両の方です。
織田の幟旗がはためき、
かがり火が赤々と焚かれている金ヶ崎城。
敵兵は夜、そこに夜襲をかけます。
しかしそこはもぬけの殻。
しんがりを務める木下藤吉郎軍は
いつの間にか逃げていった模様です。
金ヶ崎に鉄砲弾薬を運んできた
助左、石川五右衛門、斎藤十郎の3人は
しんがり軍と運命を共にして逃げてきました。
夜、途中の山間で小休止をとろうとしますが、
まだ彼らを追って来ているようです。
追い立てられるように逃げますが、
「織田の命運は尽きた」と思った五右衛門は
単身でしんがり軍から抜け、行方知れずに。
Happy Happy Birthday !!
うっちゃんさん♪
今日、3月10日は
“ヘビーコメンテーター”のうっちゃんさんの誕生日♪
てなわけで、Kassyから
奇跡の言葉をお一つ。
──────────
ケンカのいいところは、
仲直りができることね。
(映画『ジャイアンツ』より)
──────────
おめでとうございまーす。
「天下布武」を掲げ、天下統一を目指す織田信長。
対抗する毛利は、足利義昭を備後鞆の浦に迎え入れます──。
「余が来たからには、毛利は鬼に金棒じゃ。オッホッホッホ」
足利幕府再興という大義名分を得た毛利は
一向宗の本山・石山本願寺と手を組み、
信長包囲網を形成しようとしていました。
一文字に三ツ星……。
毛利水軍が、今まさに迫らんとしていました。
同じ出勤時間であっても、業務内容が異なれば
その人は頭数には入れずに業務にあたるので
まぁそんなに驚くこともないのですが、
同じ出勤時間であっても、業務内容が異なれば
職場内で顔を見なくても「まぁどこかにいるんだろう」程度でいるので
その人が実際には“いない”と分かると、かなりビックリします。
さらに、昨日はKassyがお休みだったので知らなかったのですが
その人が実は、Kassyと同じ出勤時間ではなく
全く違うシフトに組み込まれていた(←だから職場にいない)
ということを知ると、それはそれで二度目のビックリです。
プチ浦島太郎です、かな(^ ^;;)
将軍足利義昭によって
突如として「元亀」と改元される3日前の
永禄13(1570)年4月20日、
京の都を進発した織田信長の軍勢3万余は
近江・琵琶湖西畔を通り、高島を経て若狭南端の熊川を渡り
佐柿を越えて越前の敦賀に入ります。
徳川家康の三河軍8,000とは近州坂本で合流。
この知らせは、小谷城の浅井久政・浅井長政の元にも届きます。
許可なく縁戚の朝倉を攻めないという約束を
反古にしての出陣に久政は激怒します。
縁戚の朝倉と妻の実家の織田が戦となった今、
朝倉に味方するのか、織田に味方するのか
その決断如何では浅井の命運が大きく左右されます。
昨日、O分県N津市まで所用で行って参りました。
そう、つい最近まで「終点停留所の旅『たそがれ』」で
ご紹介してきたあの街でありますよw
ただ、あの取材は昨年3月に行っておりまして、
しかも訪問したのはKassy号であります。
今回はジェイRの特急電車です。
ジェイRの電車に乗ったのは、まぁ1ヶ月ぶりですが
特急電車に乗るのなんて何年ぶりでしょうねえ?
というわけで、チケットを購入するにあたっての予習を
しておかなければなりますまい。
電車好きな方々にはもはや当たり前のことであっても
めったに乗らないKassyの場合、予習をしておかないと
何かと不安がつきまといますのでw
永禄13(1570)年春、織田信長は越前朝倉攻めを号令。
それに従って、前田利家は兄利久から受け継いだ
荒子衆60人を引き連れて出陣しましたが、
出陣前の村井又兵衛による槍の稽古では
兵士として使い物になるようなものでは全くなく
少し心もとない出陣であります。
さらに心配なのが、昨年の米の不作が響いて
商人に対し米を金に換金できなかったので
利家に金を持たせることが出来なかったことです。
もし負け戦で逃げる場合は、船賃が要り、
馬を借りる金も要り、食べ物を食べるのにも金が要る。
いざとなったら柴田勝家に借りる、と利家は言いましたが、
地獄の沙汰も金次第、です。
「前田のまつに頼んだら何とかしてくれる、そう思われなくては」
お金がないと正直に言うだけでは、家来は命をくれない、と
母のたつは部屋の戸棚の奥から瓶を出してまつに差し出します。
亡き前田利昌に内緒で、たつがコツコツ貯めていったお金です。
Happy Happy Birthday !!
やまさん♪
今日、3月3日は
“ヘビーコメンテーター”のやまさんの誕生日♪
てなわけで、Kassyから
奇跡の言葉をお一つ。
──────────
人生は道路のようなものだ。 一番の近道は、
たいてい一番悪い道だ。
(フランシス・ベーコンの言葉より)
──────────
おめでとうございまーす。
織田信長に謁見し、羽柴秀吉の長浜に滞在した黒田(小寺)官兵衛。
翌朝、長浜城に登城しますが、
秀吉は今朝早くに岐阜に向かってしまったのだとか。
忙しく動き回るお方だ……と感心していると、
秀吉の近習・石田三成は、秀吉はコマネズミのように働き
むしろそうでなくては織田の重臣は務まらぬ、とそっけないです。
「ご承知おきを。織田方につくというのは、そういうことなのです」
こちらです、と三成に案内されてついていくと、
そこにはひょうたんを収穫している竹中半兵衛がいました。
人のウワサ、ことに活躍したという話を聞いて信じる官兵衛、
人に会っただけで“こいつは切れ者だ”と信用する秀吉とは違い
半兵衛は、あくまでも人のことは信用しないようです。
国内で小競り合いが続く播磨国内にあって
どうまとめていけばいいか、を半兵衛は官兵衛に問いますが、
官兵衛が主張する“なるだけ戦を避け、説得に当たる”論は
半兵衛に言わせれば、だれでも思いつくことであるわけです。
説得に当たるなど、悠長に構えている暇はないゆえに
ほとんど毛利になびく播磨の形勢をいっぺんに変える手だて……。
目が泳ぐ官兵衛を見て半兵衛は、フウとため息をつきます。
……見ました(^ ^;;)
Kassy号に乗って帰宅しようと自宅に向かっていたところ
逆走(と気づいているのかいないのかは不明ながら)しようと
切り返し、ターンしてくるおばちゃんの車。
まぁ、下りるはずのインターを通り過ぎた! か何かで
高速道路を逆走する危険行為極まりない車のニュースをまれに見ますが、
基本的にはアレ、作りは逆走できないようになっているはずなんですよね。
無理にUターンしない限りは。
それを逆走しているという時点で、無理矢理Uターンしているのは
現場を見なくても確実ではあるのですが、
高速道路と一般道との違いこそあれ
まさにその現場を目の前で見てしまったわけです。
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