バス停について本気出して考えてみた(69)
そもそも国道200号線がN崎街道であるので、
そこから分岐するコチラはA月街道のようです。
消防管理施設?の壁面に、ご丁寧にラミネート加工して
街道であることを表す紙が貼ってありました。
ココは、そのうち少し大きめに書かれた
“Y山〜Kヶ畑”の部分。
これだけ道が豊富に作られ、
行きたい場所にはほぼ行ける現代から見ると
“街道”と言うだけで、旅へのロマンが広がりますね。
ジェイR U野駅前にU野小学校がありますが、
途中にはその分校の跡がありました。
三叉路、と言っていいのか
デルタ地帯になっているココがKヶ畑バス停(跡)。
青色看板の隣にバス停標柱が立っていました。
足元には、撤去の際に切り取ったと思われる標柱の痕が。
見た感じ、道の広い二車線道路の側を
バスが通って来たような印象を受けますが、
当時のバス通りはコチラの狭い方。
もうちょっと先に進むと
コミュニティバスのバス停がありまして、
さらに先には、こんなものが。
単に丸石を置いただけでは、
心ない人たちが勝手に石を動かしかねない、ということか
コンクリートでガッチリと固められています。
(当然と言えば当然か(^ ^;;))
“へそ”とは、いわゆる“重心”ということでありまして、
重心とは、簡単に言えば
人差し指1本でF岡県を支えられる場所、
ということになります。
ま、F岡県はそんなに軽いものではないので
支えられなんかしないのですが(笑)。
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