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2014年5月 2日 (金)

プレイバック黄金の日日・(18)新天地

伊勢長島の一向一揆軍に対する織田信長軍の攻撃は熾烈を極め、
戦力を消耗し尽くした一揆勢は天正2(1574)年7月29日、
老人や婦女子の助命を条件に降伏を申し出ましたが、
信長はこれを拒絶、老若男女2万人の大虐殺をやってのけます。

モニカに会うべく京都南蛮寺を訪れた美緒でしたが、
会うことができません。
モニカは3日前、ルイス・フロイスが必死に止めるのも聞かず
雷雨の中を石川五右衛門に連れ去られたのです。


10月、堺の七堂浜。
助左はお仙に火縄銃の火縄を作ってもらいます。
お仙は杉谷善住坊が火縄を作るところを間近で見ていたので
作り方はよく知っているのです。

助左の木綿が火縄に化けた──。

助左はそれを荷駄に乗せて琵琶湖へ繰り出し、
長浜へ運びます。
長浜……羽柴秀吉のいるところです。

長浜は信長の許可を得て城を築いている最中でありまして、
秀吉はさっそく、その木綿の火縄を使って
竹中半兵衛に火縄銃を試し撃ちさせます。

バン!

どうだどうだ?
使えます!

秀吉は、助左が自分だけの力で
よくもここまで作れるようになったと大喜びです。
「今井のものと比べても差はねえそうだ。大したものではないか」

“今井のもの”……?
それはつまり、木綿で作った火縄は
すでに今井では取り扱っているということです。

しかも、今井の火縄は、雨避け、露避けとして
さらに漆を表面にコーティングしていると知って
目の前が真っ暗になります。

「ぬしの火縄はわしが全て買い受けよう!」
そんな秀吉の言葉も、助左の耳には入りません。
今はただ、商品に対する今井の工夫の多さに驚くばかりです。

秀吉から銭を受け取りますが、
木綿を調達し火縄に仕立て、火薬製造の失敗で爆発炎上し
お仙の屋形船を焼いてしまったのでその弁償もあり、
助左としてはなかなか頭が痛いです。

「いまココ(=助左の懐)にある銭で買える値段にまけておくから、
 買っておいて絶対損はしませんよ。ま、実物を見てやってちょ」
商人秀吉に、助左に是非買ってほしいものがあると言われて
手を引かれて見せられたものは、小さな小さな小船です。

ま、助左が目指す交易船に比べれば
大きさは格段に小さいのですが、

秀吉は、この船を使って
明智光秀がいる南近江の坂本との間を往復し、
京からの珍しい品を坂本から北近江の長浜に運び、
その逆で長浜からも坂本へ品物を運び、という
運搬の仕事をしてみないか、ともちかけられます。

もしかしたら、助左が夢見る交易の仕事にも
役立つことがあるかもしれません。

そしてこの小船は、秀吉がお忍びで出かける際にも
使わせてほしいと言うのです。

お忍びの御用?
助左には何のことだかよく分かりませんが
秀吉は満面の笑みで言います。
「最後まで言わせるなよぉ! 察して! 察して! 分かるでしょ!」

……?

(^ ^;;)

結局、船の代金として木綿の火縄の代金は没収されました。
火縄が船に化けた、という感じです。
でも、陸の上より船の上の方がおもしろいかもしれません。

越前寄りの長浜から、京寄りの坂本まで
陸路を辿ればグルッと迂回して3日かかる道程を
助左の船はたった半日でたどり着きます。
そこを2日で1往復というダイヤで行ったり来たり。

穏やかな日も、雨雪が降る日も欠かさず運搬を続けます。
秀吉から得た、小船には眠る時以外ずっといるわけで
助左にとっては新天地のようなものです。


天正3(1575)年4月21日、甲斐の武田勝頼が
大軍を率いて徳川家康の支城・長篠城を包囲。

信長は戦備を整えて三河へ向かい
5月21日、家康との連合軍で
長篠城外の設楽ヶ原で合戦に及びます。

天下に勇名を轟かす甲州騎馬軍団と
信長軍の鉄砲隊が真っ正面から衝突して雌雄を決した
「長篠の役」です。

勝頼は、15,000の騎馬隊を13段に分けて攻撃しますが、
信長軍3,000丁の鉄砲が待ち構えています。

これは必ずしも無謀な攻撃とは言えませんで、
“最初の鉄砲さえ外せば”
次の鉄砲が撃てるまで戦闘不能の状態になるので、
その間隙に突撃すれば騎馬隊の方に有利となります。

ところが、その“間隙”がありません。

信長は、彼の新戦法で間隙を埋めてしまっていたのです。
すなわち、3,000丁の鉄砲隊を3隊に分けて
1,000丁ずつ代わる代わる撃ち続けるという
3段構えの一斉射撃法であります。

武田騎馬隊は、その真価を発揮することもなく壊滅、
信長の完全勝利であります。


ある日、助左が陸から船へ荷物を乗せていると
ひとりの若武者が米俵を持って乗り込んできました。
石田左吉、のちの石田三成であります。

現在、都で普請中の南蛮寺を見物するようです。

助左は、フロイスとも顔なじみですので
左吉は助左に案内してもらうことにします。

南蛮寺建設には、
高山重友(右近)が大きく尽力したという話です。
領地高槻から多数の大工を引き連れて京に乗り込み
右近自ら陣頭指揮をとっています。

右近とも久々の再会を果たした助左は
左吉とともにフロイスの信長に関する話を聞いていますが、
そこへひとりの女性が挨拶にきました。

女性のたっての要望で、その身分を明かすことは出来ませんが
由緒正しいお家柄、とだけフロイスはつけ加えておきます。
左吉は、その女性の美しさに興味津々です(笑)。

左吉と助左が帰ろうと南蛮寺を出た時
その女性が声をかけてきました。
迎えにくるはずの輿がまだ来ないため
坂本に向かうのならご一緒させていただきたい、と。

米俵を運んできた荷車にその女性を乗せ
坂本に向かって歩を進めます。

その女性──たまが、
坂本城城主・明智光秀の娘であることは
助左も左吉もまだ知りません。

しかも、たまが後に細川ガラシャと名乗り
左吉によって死に追い込まれていく運命にあるとは
今の3人には分かろうはずもありません。


夜更け。
坂本までもう一歩のところまでやってきました。
最後の力を振り絞って山を越える左吉と助左ですが、
脇に輿が放置されています。

その輿には、明智家の家人が死体となっていました。

助左は、傍らに転がっている刀を見て
五右衛門の仕業だと察知します。

しかし……なぜ?

──────────

天正3(1575)年5月21日、
三河国長篠城をめぐり、織田徳川連合軍38,000と
武田軍15,000との間で長篠の戦いが起きる。長篠設楽ヶ原の戦いとも。

慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで


あと23年2ヶ月──。


原作:城山 三郎
脚本:市川 森一
音楽:池辺 晋一郎
語り手:梶原 四郎
──────────
[出演]
市川 染五郎 (助左)
栗原 小巻 (美緒)
根津 甚八 (石川五右衛門)
鹿賀 丈史 (高山重友)
──────────
高橋 幸治 (織田信長)
李 礼仙 (お仙)
梅野 泰靖 (竹中半兵衛)
──────────
島田 陽子 (たま)
近藤 正臣 (石田左吉)
緒形 拳 (羽柴秀吉)
──────────
制作:近藤 晋
演出:高橋 康夫

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