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2014年6月 2日 (月)

プレイバック利家とまつ・(21)利勝の初陣

天正6(1578)年・安土 羽柴邸──。

天下無双と言われる乙御前の茶釜を見物する
前田利家とまつ、はる。
しかし利家は、茶道に関してはからっきしダメで
茶釜もどこがどういいのか、よく分かりません。

播磨攻めの功績で織田信長から羽柴秀吉が拝領したもので
茶会を開く許可も得たのだとか。
喜び勇んで茶釜を見せてくれたおねの存在が、
どこか遠くに感じられてはるもまつも少し寂しげです。

陣ぶれです。

利家とまつの嫡男・前田利勝は、
この戦いで初陣を迎えることになりました。
相手は、荒木村重です。

臣下の礼をとった村重が裏切って毛利方へ走ったことで
ひどくゴキゲン斜めな信長は、秀吉に折檻して気絶させます。
それを、父の背後からとはいえ、震えながら見つめる利勝。

信長は、村重の義父(妻の父)にあたる明智光秀に
松井有閑らとともに有岡城に赴かせ、
織田に戻ってくるように説得に当たらせます。


摂津──。

初陣として連れてきたはずの利勝が、
何かにすがりたいという気持ちが芽生えたのかどうか
毎日南蛮寺に通っています。

人の命を奪うのだけはイヤだと言う利勝ですが、
残念ながら、武士とは人の命を奪うことが生業です。
利勝は、そんな父の教えを理解できません。

ゼウスの教えに惑わされて初陣どころではない。
信長はいったんまつを安土から越前府中城に帰し
利勝の身を預かることにしました。


ただ、信長が言うように戦に大義があって
利勝をその戦に出す大義がなかったとしても、
利家には、利勝を戦に出す親としての大義はあります。

このままでは、
初陣で討ち死にした佐々家の松千代丸のこともあって
佐々成政やはるに、申し訳が立ちません。
まつは、我が子を亡くしたはるを愛おしく感じます。

翌朝、はるに会いに小丸城へ行ったまつは
夫・成政の大好きなくるみ餅を作っていました。

頑張っている夫に尽くそうということを考えた時
その夫が主君に認められて大きくなっていくには
妻の心の大きさが影響するということにたどり着いたのだそうです。

餅は誰かに作らせれば早いし楽ですが、心をこめて餅もつくし、
買った方が断然早い下帯も、自ら縫います。
成政に嫁いだばかりのころのはるとは、
見違えるほど大きく感じられます。

松千代丸を亡くしたばかりのころ、
気持ちの乱れるはるを毎日訪問して、
ウルサく連れ回していたことを詫びます。

「うれしゅうございましたよ」
毎日が寂しくて、苦しくて
松千代丸の元に行こうと毎日考えていたとき
毎日まつがやって来て、それを忘れさせてくれました。


利家と利勝の、取っ組み合いの稽古です。
稽古とは言っても、
利勝が非力すぎて倒されてばかりですけど(^ ^;;)

鬼じゃ、とつぶやいた利勝に
利家は「鬼の首をとれぇ!」と息子の尻を叩きます。
本気になった利勝は、父に何度も挑みますが
それでもヒョイと身をかわされ、相手にされません。

しかし利勝は利家の足にしがみつき、利家を倒すことに成功!
利家の襟首をつかみます。

やったあ!

下から見上げる利家の目から涙がこぼれます。


天正6(1578)年7月、
荒木村重が織田信長に反旗を翻し、
三木合戦から突如戦線を離脱して居城・有岡城に帰城する。

慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで


あと18年1ヶ月──。


原作・脚本:竹山 洋
音楽:渡辺 俊幸
語り:阿部 渉 アナウンサー
──────────
[出演]
唐沢 寿明 (前田利家)
松嶋 菜々子 (まつ)
反町 隆史 (織田信長)
香川 照之 (羽柴秀吉)
酒井 法子 (おね)
天海 祐希 (はる)
山口 祐一郎 (佐々成政)

中条 きよし (奥村家福)
的場 浩司 (村井又兵衛)
及川 光博 (前田慶次郎)
田中 健 (佐久間信盛)
──────────
萩原 健一 (明智光秀)
松平 健 (柴田勝家)
──────────
制作統括:浅野 加寿子
演出:伊勢田 雅也

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