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2014年6月17日 (火)

プレイバック黄金の日日・(24)鳥取兵粮戦

天正8(1580)年11月──。

念願の船長(ふなおさ)となった助左ですが
航行する先をじっと見据え、真面目な表情です。

というのも、羽柴秀吉から
因幡の米の買い付けを任されたからであります。

ルソンへ渡るために来年の秋の風に乗りたいところですが、
その前に資金をたくさん稼いでおき
日本からルソンへ持っていく品物を
買い集めておかねばなりません。

とはいえ、もうけをあまり考えない助左のこと、
しかも多く人夫を雇ったので、もうけは更に少なくなります。
それを聞いた秀吉が、荒稼ぎをしてみぬか? と声をかけたのが
今回の任務であります。

粉雪が舞い散る中、助左の船は若狭国・小浜港に到着します。
そこで待っていたのは、小西(弥九郎改め)行長であります。

因幡で買い付けた米は袋川と千代川(せんだいがわ)を流れて
一旦賀露へ入り、大きな船に積み替えて若狭小浜へ運ばれて行く、
というのを大まかに説明を聞いた助左ですが、
小浜へ流れてきた米を1石1,500文で買い付けていると聞き
一緒に乗ってきた彦助ら水夫ともども、ビックリ仰天です。

物流盛んな堺や姫路の街でさえ
1石500文が相場といったところなのです。

鳥取の港で仮に2倍の相場で買い取っているとしても
それを小浜まで運べば3倍の相場になるわけで、
そうなればどんどん小浜へ流れていくのも道理です。

なぜそのようなことをしているのかといえば、
大飢饉に見舞われた北陸地方に米を送り込むようにと
織田信長から下知があったと説明を受け、納得する助左。

行長は、鳥取のことにも精通している
舵取りの末蔵という男を助左の配下に付け、
さっそく因幡国鳥取に向かわせます。

今までも大量に小浜へ米が運ばれてきたところを見ると
もう鳥取にはお米は残っていなさそうですが、
末蔵が言うには、実はまだ1ヶ所、米が残っているのだとか。
「鳥取城です」

鳥取城では、農民たちは城の台所から米を買い
それを助左のところへ持っていって米を買ってもらう。

その銭を持って城の台所に行けば……というわけで、
鳥取城の台所と助左のいる場所とを往復し米を運ぶだけで
もうけがどんどん増えていきます。

それだけではなく、鳥取城中の家臣たちにも
米の値が高いうちに兵粮米を金に変えておくべきという声もあり
鳥取城の米はどんどん外へ流れていきます。

鳥取は、ゆくゆくは秀吉と刃を交える相手のはずですが
莫大な金銀を流し込んでいるのはどういう理由か。
助左はいろいろと考えています。


明けて天正9(1581)年3月18日。

秀吉との戦いを前に、毛利家から吉川経家という
若い武将が鳥取城へ乗り込んできました。
長槍に自らの首桶を結びつけての入城に度肝を抜かれます。

その経家が度肝を抜かれたのは、
鳥取城の米蔵を見せてもらったときです。

金銀財宝はたくさんあれど、米蔵に俵がほとんどなく
家臣たちも「気づかぬうちに減ったなぁ」と
呑気に構えている有り様で、
しかも北陸に送るために売ってしまったと分かって
経家の表情が強ばります。

とはいえ、因幡は米どころでもあり
米は余るほどあるとの呑気な家臣の言葉を信じ、
まずは買い戻しを命じます。

経家の予測では、7月から戦が始まるので
雪が降り出す10月ごろまで何とか城内で持ちこたえれば
敵は深い雪に撤収するしかなくなります。
その4ヶ月間の辛抱です。


6月25日、秀吉は姫路を出発。

しかし戦い直前だというのに
鳥取城内には3,000石ほどの米しかなく、
しかも1石500文という相場で買い取ると言っても
売ってくれる農民は誰ひとりとしておりません。

そりゃそうですよね、若狭へ運ぶ商人たちは
相場より高く買い取ったわけですから(^ ^;;)

城内7,000人が1日に使う米は40石、
それを4ヶ月(120日)で4,800石必要という計算ですが、
1ヶ月半は米なしの状態になってしまいます。

経家は使者に、まず石見の父の元へ行かせて金子を工面してもらい
その金子を持って出雲の吉川元春の元へ出向かせて
兵粮米を鳥取へ運んでもらうように命じます。

そして、それだけでは心配だったか、無駄と分かりつつも
海のシケで小浜へ出航できず残っている船の
米を目指して賀露へ行ってみます。

その、海のシケで出航できない船というのは
助左の船であったわけですが(^ ^;;)
経家は助左を刀でおどし、米を城まで運ばせます。

しかし、その途中で秀吉軍と遭遇。

経家は、その窮地でも米を運ぼうと躍起です。
助左は経家と米俵を運んで逃げますが、
右肩を鉄砲玉に撃たれてしまって重傷です。


秀吉の兵糧攻めは徹底を極めます。

しばらく眠っていた助左は
まだ傷口が閉じていない右肩を押さえながら
ここはどこだ、と辺りを歩いてみます。

助左は、秀吉にとっての敵陣に
閉じ込められてしまっていたわけです。

鳥取城を包囲する秀吉ですら、
この敵陣に助左がいようとは
夢にも思っていないことであります。

ともかく、恐るべき飢餓地獄と化す
鳥取城の戦いはこの日から始まります。

──────────

天正9(1581)年7月12日、
羽柴秀吉が但馬口から侵攻して鳥取城を包囲、
兵糧攻めを開始する。

慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで


あと17年1ヶ月──。


原作:城山 三郎
脚本:市川 森一
音楽:池辺 晋一郎
語り手:梶原 四郎
──────────
[出演]
市川 染五郎 (助左)
小野寺 昭 (小西行長)
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浜畑 賢吉 (吉川経家)
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緒形 拳 (羽柴秀吉)
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制作:近藤 晋
演出:宮沢 俊樹

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