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2014年7月15日 (火)

プレイバック黄金の日日・(28)安土炎上

後の世に、頼 山陽は謡いました。

本能寺 溝幾尺  本能寺、溝の深さは幾尺(いくせき)なるぞ
吾就大事在今夕  吾、大事を就(な)すは今夕(こんせき)に在り
藁粽在手藁併食  藁粽(こうそう)手に在り、藁(こう)併せて食らう
四簷梅雨天如墨  四簷(しえん)の梅雨、天、墨の如し
老坂西去備中道  老ノ坂、西に去れば備中の道
揚鞭東指天猶林  鞭を揚げて東を指せば、天猶(な)ほ早し
吾敵正在本能寺  吾が敵は正に本能寺に在り
敵在備中汝能備  敵は備中に在り、汝能(よ)く備えよ

本能寺を囲む堀の溝の深さは、どれほどだろうか。
わたしが大事なことを成すのは、今夜しかない。
そういう考え事をしていたためか、
ちまきを手に持って包んだ竹の葉ごと ちまきを食べた。
四方の庇(ひさし)から滴り落ちるほどの激しい梅雨で、
空は墨のように真っ黒である。

このまま老の坂を西に行けば備中への道程となるが
明智光秀は鞭を振り、東の方を指した。夜明けにはまだ早い。
わが敵・織田信長はちょうど本能寺にいる、と。
「本当の敵(=羽柴秀吉)は備中にいるので、あなたは
そちらの方の備えをしっかりとすべきだったのに」──。

雨の山中を、とぼとぼと進軍する光秀軍。
どの顔にも一様に、笑顔というものはありません。

天正10(1582)年6月2日、早朝。
京都の本能寺に宿泊していた信長に
光秀率いる13,000の反乱軍が襲いかかりました。

信長、49歳。
天下統一を目前にしながらの、無念の最期であります。


中国大返しの途上にある秀吉軍ですが、
岡山の東、沼城近くの福岡村の渡しあたりで
船坂峠を越えて播州へ向かう本隊と離れ
秀吉は西片上の港へ入ります。

その港には、石田左吉を乗せた助左の船が
到着していたのです。

ルソンから帰ってきた報告も早々に
助左は秀吉を乗せ、帆を上げて出航。
赤穂へ急ぎます。

その船中、姫路に残されている金銀をどうするかで
秀吉と左吉、秀吉とともに乗船した小西行長の
3人が話し合います。

このままでは向かってきた光秀と姫路城で戦となるでしょう。
もしそうなれば、どちらも戦上手のためすぐには決着はつかない。
となれば、左吉は籠城戦に備えて蓄えるべきだと主張しますが、

秀吉はパッと使う方法を採用。
金や銀は言うに及ばず兵糧にいたるまで、
ここまで付き従ってくれた兵士たちに分配するというのです。


さて問題は、信長横死の知らせは届いているものとして
光秀が味方を呼びかけているのがどの程度の範囲なのか?

場合によっては、ほとんどが光秀側ということも考えられます。
光秀の愛娘・たまが嫁いだ細川忠興と、その父・細川藤孝は
親戚に当たるため、光秀側とみて差し支えなさそうです。

しかしその実情は、光秀の誘いを何度も固辞し
父子ともども出家してしまいました。
そして、謀反人の娘となってしまったたまを
丹後国の味土野に幽閉してしまいます。

そして高槻城主の高山右近は
ポルトガル語で書かれた「たとえ宣教師全員が
磔にされようとも謀反人の味方はしてはならない」という手紙と
日本語で書かれた「明智光秀に味方すべし」という手紙を
同時に受け取ります。

これはおそらく、明智光秀が宣教師たちを脅して
日本語で書かせたものだと気づいた右近は
立ち上がります。
「我らは羽柴軍の先鋒を承り、明智勢を討つ!」


赤穂に到着しました。
秀吉に姫路へ誘われた助左は、赤穂でお別れすることにします。
その代わり、ルソンから持ち帰った弾薬(たまぐすり)を進呈。

備中高松城からの大返しの途中、雨に打たれたので
弾薬はほとんど使い物にならなかったところ、
この助左の機転はとてもありがたいものです。

秀吉軍は、赤穂から相生を経由し
その夜のうちに姫路入りを果たします。

6月13日、羽柴秀吉軍40,000と明智光秀軍16,000が
山崎の街道で激突します。
勝敗は……羽柴軍の一方的勝利です。

山科の小栗栖にて。
雨の中、戦いに敗れた光秀が進んでいきますが、
竹林の中に潜んでいた農民が突き出す竹槍に刺され
意識を失って落馬。

──明智光秀、享年55。

光秀の天下は、11日目にして壊滅します。


赤穂で秀吉を降ろした後、堺に戻って今井宗久と再会した助左は
主亡き後の安土城が燃やされてしまうかもしれないと
その見納めに向かいます。

安土城下は、光秀の明智光春(秀満)軍が占拠していましたが
光秀が戦死したこともあって、光春軍の残党が暴徒と化し
女や子どもたちに襲いかかります。

どこからともなく燃え上がる炎。
でも、その炎は城下町で止まっていて
城にまでは届いていないようです。

安土城下にいる宣教師やあの青瓦を守りたいと、
宗久が止めるのも聞かずに
セミナリオに向かってしまいました。

何とかセミナリオに入ることが出来た助左は
その後から入ってきた残党たちに
宗久からもらった銃で威嚇射撃し、脅して立ち去らせます。
そして、宗久に聞こえるように
自身の無事を教会の鐘を鳴らして知らせます。

ところが、その鐘の音に気づいて見た宗久の目には
安土城の天守閣が爆発し、空高く燃え上がる映像が映ります。
それは、セミナリオにいる助左やルイス・フロイスも同様でした。

一様に、言葉を失います。

6月15日、天下一の居城・安土城の天守閣が
一本の巨大な火柱と化して天を焦がし、
やがて夢のように消え去ってゆきます。

信長の時代が、終わりました。


ある朝、宗久の船が密かに堺を出航しました。

ルソンに行くと言って出発したわけですが、
その船はついにルソンには到着しませんでした。

──────────

天正10(1582)年6月13日、
明智光秀が坂本を目指して落ち延びる途中、
小栗栖の竹薮で落ち武者狩りの百姓に竹槍で刺し殺される。

慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで


あと16年2ヶ月──。


原作:城山 三郎
脚本:市川 森一
音楽:池辺 晋一郎
語り手:梶原 四郎
──────────
[出演]
市川 染五郎 (助左)
栗原 小巻 (美緒)
小野寺 昭 (小西行長)
鹿賀 丈史 (高山右近)
──────────
高橋 幸治 (織田信長)
島田 陽子 (たま)
内藤 武敏 (明智光秀)
──────────
近藤 正臣 (石田左吉)
緒形 拳 (羽柴秀吉)
丹波 哲郎 (今井宗久)
──────────
制作:近藤 晋
演出:原嶋 邦明

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