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2014年7月22日 (火)

プレイバック黄金の日日・(29)起死回生

織田信長亡き後の天下の行方を巡り
織田家中に風雲が巻き起ころうとしていました。

天正10(1582)年6月27日・尾張清洲城。
織田家家督相続を決める重臣会議が
開かれることになりました。

柴田勝家は、廊下をゆっくり歩いてきた羽柴秀吉に
明智光秀を討った手柄を褒め称えますが、
心の底からというわけではなく、表面上のようです。
それに対して秀吉はニッコリ笑って深々と頭を下げる余裕さ。

しかし、勝家が去って頭を上げた秀吉の眼光は
今まで見せたことのない、非常に鋭いものでした。

会議の場となる広間で
上座に座するは、左に信長三男神戸信孝、
中央に次男北畠信雄、そして右に孫の三法師。
会議は、神戸信孝を世継ぎに推挙する柴田勝家、
三法師を推す羽柴秀吉の二派に別れて争われます。

三法師は、信長の嫡男・織田信忠の遺児で
信長に取っては嫡孫という間柄です。
他家に養子に入った傍流よりも嫡孫を、という
まったくの正論で勝負です。

アッという間に一決しました。

跡継ぎのことで秀吉に一敗した勝家は、
近江長浜の領地を秀吉から取り上げることに成功します。
ただ、秀吉は黙って領地を取られるようなことはしません。
三法師の補佐役に就任することを勝家に認めさせたわけです。


その清洲へ、助左は商いでやってきました。

童の喜びそうな南蛮の品を持ってくるように言われて
それを果たしたわけです。
その中身は、南蛮の調べ・オルゲル(オルゴール)、
金平糖にビスカウト(ビスケット)。

これらの品を使い、秀吉は
三法師の心をガッチリとつかみます。

清洲会議の締めくくりは
新たに天下人となった三法師への拝謁だったのですが、
三法師は秀吉が抱っこしているので
三法師に頭を下げることは即ち
秀吉に頭を下げることになるわけです。

「筑前を生きて清洲から帰してはならぬ!」
腹の虫が治まらない勝家は、杯をあおって怒鳴ります。

翌日の祝宴の後、秀吉を二の丸に追いつめて
切腹させようという勝家の陰謀は、
丹羽長秀という内通者によって
たちまち秀吉の知るところとなります。

秀吉は近習の石田左吉に羽柴勢の指揮を任せ
松明をかざさずに清洲から岐阜、関ヶ原を経由して
長浜へ向かわせます。

そして清洲入りしていた助左の荷駄隊も黙って清洲を出発。
左吉率いる羽柴勢が向かった岐阜方面とは真逆の津島方面に進み
美濃長松で合流するルートを選択します。
そしてその荷駄隊には、秀吉が紛れ込んでおります。

秀吉討伐を狙う勝家派からの“爽やかな逃走”です。


助左はこの秋に、またルソンに渡る予定にしています。

ルソンといえば今井宗久が渡っていますが、ということは
堺における宗久の時代は終わったということになります。

秀吉は、かつて信長が宗久と組んでいたように
助左と組んで堺をもり立てようと提案しますが、
独り占めすれば、堺にとっては敵となり
助左自身もその敵と戦わなければならないと返します。

先ほどまであれだけニコニコしていた秀吉の表情が
途端に険しくなります。

10月中旬に、秀吉の手によって信長の葬儀を執り行うため、
助左はお手伝いをすることになりましたが、
それまではルソンに渡ってはならないと命じられてしまいます。

後から考えれば、この日が助左にとって
人生のターニングポイントとなったのかもしれません。
9月、秀吉の命に背いて
助左はルソンへ向かうことにします。

10月15日、京の大徳寺で信長の法要が営まれます。
秀吉は今は亡き主のために総見院を建立し
信長の実質的後継者は自分であると世に知らしめたわけです。


すっかり現地の女性となっている美緒に
マリキットが「助左の船が来た!」と教えてくれます。

浜についた助左に駆け寄る美緒、
そして村の人々。
大歓迎です。

ルソンに行って美緒を迎えに行って来るといって
堺を出発した宗久は、ルソンには到着していませんでした。
そのことは、助左はルソンに着いて初めて知りましたし、
美緒も助左から聞いて初めて知りました。

助左は、宗久に代わって美緒を日本に連れ帰ろうとしますが、
自分の夫が別の女と子をなしているというショックは
美緒にとっては非常に重く大きく、
自分が日本に帰っては周りが不孝になるだけ、と躊躇します。

美緒は、助左との生活のために村の人が立ててくれたこの家で
風が南向きに変わって船がやってくれば半年間一緒に暮らし、
残り半年間は離ればなれになる生活を夢見ていたわけですが、
それも叶わぬ夢だと知り、堺へ帰る決意を固めます。


天正11(1583)年4月20日。
秀吉方の武将・中川清秀が守る賎ヶ岳大岩山を
勝家方の甥・佐久間盛政が15,000で奇襲し全滅させます。

岐阜大垣に陣を張っていた秀吉は
奇襲の報を聞くと急いで取って返し、
15里の道のりをわずか5時間で賎ヶ岳に到着すると
佐久間軍を追い落とし、その勢いのまま勝家本陣へ攻め込みます。

勝家軍を越前北の庄城まで追撃、
信長の妹・お市を伴って自刃の道を選びます。


その頃、助左と美緒はルソンを出発し、
日本へ20日余りの旅です。

しかし、船出して早々ですが
カミナリを伴った嵐がやってきます。
助左は、他の船長がやったように帆柱に自分を縛り付けてもらい、
船を守るべく自らの戦いに入ります。

ただ、カミナリが大の苦手である助左は
何度も何度も心が折れそうになりながら、
孤独の戦いを続けます。

助左……助左……。
わしのところへ来い……。

気づけば宗久が、手を大きく広げて待っています。
その宗久の声は、船内の美緒にも届いていました。

──────────

天正10(1582)年6月27日、
織田氏の継嗣問題について会議が開かれ、
織田信長の嫡孫・三法師が後継者に選ばれる。

慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで


あと16年1ヶ月──。


原作:城山 三郎
脚本:市川 森一
音楽:池辺 晋一郎
語り手:梶原 四郎
──────────
[出演]
市川 染五郎 (助左)
栗原 小巻 (美緒)
──────────
近藤 正臣 (石田左吉)
島田 陽子 (たま)
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緒形 拳 (羽柴秀吉)
丹波 哲郎 (今井宗久)
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制作:近藤 晋
演出:岡本 憙侑

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