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2014年8月10日 (日)

大河ドラマ軍師官兵衛・(32)さらば、父よ! 〜胸に響く最後の教え〜

織田信長亡き後、羽柴秀吉は
織田家の権力を受け継ぎ天下を目指します。
しかし、その秀吉に待ったをかけた男がいたのです。
「織田家をないがしろにする羽柴殿の振舞い、見過ごせぬ」

天正12(1584)年3月、
徳川家康と織田信雄の連合軍は秀吉軍と激突。
小牧・長久手の戦いであります。

小牧山に布陣する家康に気づかれないように
一部部隊が迂回して家康の本国・三河を攻撃すれば
いわば出稼ぎに来ている家康も、終わりというものです。

この案、軍師の黒田官兵衛が考えついたものかと思ったのですが
どうやらそうではないようです。
実は官兵衛は「今は動くな、考え直せ」という立場で
この戦いは、石田三成がやりましょうと言っているわけです。

家康は、羽柴軍が動きだしたことを掴むとニヤリと笑います。
「討って出よ」

そのころ官兵衛は何をしていたかと言いますと、
戦場から遠く離れた備中で
毛利との領地分割折衝のさなかであります。

そこに舞い込んだ、秀吉軍の大敗。
「官兵衛があれほど言上したに!」

池田恒興を始めとする重臣たちが
たくさん討ち死にしたことを知り、官兵衛は
苦虫をかみつぶしたような表情になります。


毛利との折衝をようやく終えた官兵衛には
播磨穴栗郡山崎に新たな領地が与えられましたが、
官兵衛の表情が晴れることはありません。

結局、小牧・長久手の戦いは秀吉軍の大敗に終わり
総大将の信雄を追いつめて早々に和議を結んだため
何とか引き分けに持ち込んだところですが、
「そもそも、徳川と戦をしてはならなかった」
ポツリと言う官兵衛です。

蜂須賀小六は
秀吉の前でこの話は蒸し返すなと釘を刺されます。


秀吉は内大臣になっていました。
農民の出である者にしては前代未聞の出世であります。
そして、いずれは関白になるというつもりのようです。

関白は、公家の中でもトップクラスの
五摂家の人間にしかなれない位でありまして、
名目上、近衛前久の養子になっての任官です。

官兵衛は、これからの秀吉の一挙手一投足すべてに重みが増すと
なるだけ早い段階での四国攻めを提案しますが、
それは後回し、と秀吉はにべもありません。
「まずは徳川を攻める」

もともと徳川攻めには大反対だった官兵衛が
これを是とするわけがありません。
反論しようとすると、石田三成が気を聞かせて
「上様、そろそろ」と官兵衛との対面を終わらせます。


最近の秀吉は、もっぱら三成を好んでいるようで
三成は、その秀吉の威光を笠に着て
以前よりも態度がかなり大きくなっています。

千宗易は、徳川との戦は三成が進言したものだと
官兵衛に漏らしてため息をつき、

おねは、三成を重用してどうして官兵衛を遠ざけるかと問いつめ
これまで官兵衛の策略にどれだけ助けられたかを
秀吉に思い出させようとしますが、
秀吉は真顔でその通りじゃ、と認めます。

「官兵衛はの、先が見えすぎる」
おねの顔がこわばります。


後日、官兵衛は秀吉に面会を求め
どうして徳川との戦にこだわるのか、その理由を糺します。

秀吉は、何度となく家康に上洛を求めているようですが
未だに返信なく梨のつぶてなのだそうです。

家康は北条と手を組み、
秀吉に敵対する者たちとさらに手を結び続ければ
いずれは秀吉にとって脅威となる。
それゆえに、早めに潰しておきたいというところなのです。

では、徳川軍よりも兵力が2倍以上あったのにどうして負けたか。
それは、三河衆の結束の固さを侮ったからだ、と力強く言います。
自軍は所詮、心から臣従を誓ったわけではない者たちの寄せ集めで
どんなに数が多くても、どんな策を立てても、勝てるわけがない。


顔をピクピクさせている秀吉を見てか
それを勝利に導くのが軍師のお役目ではないか、と
官兵衛に反論する三成ですが、官兵衛に効き目はありません。
「無謀な戦を止めるのも軍師の務め!」

関白になろうという人物に公然と楯突く相手を
野放しにしては示しがつかない、という三成は
面目を守るための戦は愚の骨頂! と官兵衛に返されて
三成の中で、官兵衛に対して何かが芽生えます。

四国を攻め、九州を平定し、味方が力をつければ
いずれ徳川の方から臣従してきます。
徳川は戦わずとも、待っていさえすれば
向こうから味方してくれるわけです。

秀吉は、三成を抑え
官兵衛の言う通りだと認めます。


黒田長政は、四国攻めに向けて兵を集めようとしますが
なかなか集まらず、焦りを見せ始めていました。

「民の言うことに耳を傾けよ」
父の教えに従い、農民を1ヶ所に集めて
彼らが何を考えているのかを聞き出そうとします。

領主が宇野から黒田に代わって以来、
堤を造成し道を整備したりするなどしてくれてはいますが、
田畑の取れ高が上がる分、年貢で持っていかれるだけなので
働き損だ、と考えているようなのです。

今は辛くても、数年後には
必ず自分たちに返って来る、と言われても
今日明日のことで精一杯の百姓たちにとっては
とてもとても想像できる話ではありません。

黒田の殿さまは軍師さまだから、
戦のことは分かっても百姓のことは何も分かっちゃおらぬ!
その言葉を、父への侮辱ととった長政は太刀に手をかけますが
栗山善助や母里太兵衛が慌てて止めます。

何とかせねば……と更に焦りが募ります。


善助や太兵衛、そして後藤又兵衛から
話を聞いた黒田職隆は長政のところに出向き、
自分が子供のころにした失敗話を長政にします。

職隆の父・黒田重隆が目薬屋をしていたとき
薬草に興味を持った職隆が山に分け入り
いつもよりたくさん薬草を摘み取ったら
褒められるどころか、逆に叱られてしまいました。

ちいさな芽まで摘み取ってしまったがために
翌年は芽吹くものがなくなってしまったからだそうです。
「時が来るまで育つのを待つ」
祖父が受けた、その父からの教えです。

そして、体調のすぐれないと聞いて
大坂からの帰りに姫路に立ち寄った官兵衛にも
長政に昔話をしてやれ、と言っておきます。

官兵衛は、長政がしでかした
太刀に手をかけるというのは言語道断と怒りますが、
まずは自分たちの方から領民を信じよ、と諭します。
「お前のやり方は、育たぬうちに刈り取りをするようなもの」

そこではたと気づいた長政は、自分の誤りを認め
善助に農民たちを再度集め、謝罪することにします。


四国攻めが始まります。

先鋒になった黒田軍は破竹の勢いで進撃。
四国の覇者・長宗我部元親はついに降伏し
わずか2ヶ月余りで戦いは終わります。

そして、その四国攻めの最中の
天正13(1585)年7月11日
秀吉はついに関白となります。


官兵衛の次男・熊之助や養子の玉松に
コマ回しを教えていた職隆は、
少し疲れたか、大木のそばにある岩に腰掛け
フッとため息をつくように、息を引き取ります。

子供たちを優しく見守りながら、
静かに眠るように逝った職隆。
職隆らしい最期でした。

「家臣を信じ、家族を慈しみ、この乱世を皆で生き抜け!」
職隆の最後の教えが聞こえたようでした。


天正13(1585)年8月22日、
黒田職隆が姫路城で62歳で死去する。

慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで


あと12年11ヶ月──。


作:前川 洋一
脚本協力:穴吹 一朗
音楽:菅野 祐悟
題字:祥洲
語り:広瀬 修子
──────────
[出演]
岡田 准一 (黒田官兵衛)

中谷 美紀 (光)

寺尾 聰 (徳川家康)

松坂 桃季 (黒田長政)
二階堂 ふみ (茶々)

田中 哲司 (道薫(荒木村重))
濱田 岳 (栗山善助)
速水 もこみち (母里太兵衛)
高橋 一生 (井上九郎右衛門)
塚本 高史 (後藤又兵衛)
田中 圭 (石田三成)
高畑 充希 (糸)
東 幹久 (井伊直政)
山路 和弘 (安国寺恵瓊)
大橋 吾郎 (池田恒興)
藤吉 久美子 (ぬい)
──────────
伊武 雅刀 (千宗易)
黒木 瞳 (おね)
竹中 直人 (羽柴秀吉)
柴田 恭兵 (黒田職隆)
──────────
制作統括:中村 高志
プロデューサー:勝田 夏子
演出:本木 一博


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』
第33回「傷だらけの魂」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜

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