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2014年8月22日 (金)

プレイバック黄金の日日・(32)納屋襲名

天正12(1584)年3月15日。
羽柴秀吉 対 徳川家康の「小牧・長久手の役」が始まります。

尾張侵攻の最大の要である小牧山城をいち早く家康に占拠され
武人では後手に回った秀吉も
10万の大軍にものを言わせて各地に要塞を構え、
自らは最前線の犬山城に本陣を置いて小牧山城と対峙。

両軍はにらみ合いのまま4月を迎え、こう着状態に陥ります。
この戦いは、先に動いた方が負けだと
秀吉も家康も分かっているからこそ、こう着状態になるわけです。

姉の子、つまり甥にあたる三好秀次は、派手な鎧に身を包みつつ
戦況が動かないのに飽き飽きしたか大欠伸です。
秀次は、池田恒興にそそのかされて(?)
家康を小牧山から動かす唯一の策を秀吉に献上します。

一部の部隊を三河に攻め込ませ、
家康を強引にでも三河へ引き戻すという「中入り」です。
秀吉は、もし失敗したら中入りした部隊には逃げ道がないし、
家康軍が離れても、なお織田信雄軍が残るとして取り合いません。

本陣を犬山城から楽田城へ移せば……という森 長可の言葉を聞き
秀吉は、あるいは自分が動けば可能かもしれないと思い直し
結局は、この作戦を許可してしまいます。

4月7日、本陣を楽田城へ。
そして同日深夜、秀次を総大将とする16,000の奇襲軍が
闇に紛れて楽田から池の内、大草を経て篠木庄へ。

しかし、その隠密行動も徳川の隠密たちに捉えられます。
その情報を入手した家康は歓喜し、さっそく作戦会議です。
すなわち、その奇襲軍をすぐには攻めず、
なるだけ奥へ奥へと誘い込んで退き口を閉じていく。

ただ唯一心配なのは、相手の秀次軍が16,000の大軍であることです。
一兵たりとも無駄には出来ません。
家康の追撃軍は、小牧山から南に下って
篠木庄に近い小幡城へ向かいます。

9日未明、家康の追撃軍が
白山林に駐屯していた秀次の奇襲軍に襲いかかり、
不意をつかれた格好の秀次軍は散々に蹴散らされて敗走。

勢いづいた追撃軍は、さらに池田や森らの部隊にも襲撃し
長久手の間に追い込んで討ち平らげ、両者とも討ち死に。
家康軍の勝どきが上がります。


家康軍にいた助左は、
家康が秀次隊に追撃しようとしていることを知り
陣をこっそり抜け出して楽田本陣へ向かおうとしていましたが、
一歩遅く、間にあいませんでした。

その途中、ひとり敗走する秀次と遭遇し
助左は彼が秀吉の甥であることを知らないまま
楽田へ同行することにします。

本陣に戻った秀次は、総大将の身でありながら
その本隊を見捨てて逃げ惑った行動を激しく叱ります。

秀次は、総大将としての責任を負って腹を切ろうとしていたところへ
助左がやってきて諌められたとウソを言っているようで、
秀吉にその話がウソかホントかを問いつめられますが、
助左は秀次の顔を見、えぇ……まぁ、と中途半端な返事をしておきます。

秀吉の腹の虫はどうも収まらないらしく、
秀次の行動には“秀吉の甥”ということもあって
ワガママ勝手すぎると思っていたところへ、この失態です。
次にこういう恥さらしのことがあれば、
自ら手討ちすると秀次を突き放します。


秀吉は秀次をひとり残し、助左を連れて
数寄屋(=小規模な茶室)へ連れて行きます。

こんな戦場にこういう立派な数寄屋が、と助左は驚きますが
組み立て式になっていて、どこにでも運べるのだ、と
秀吉は得意顔です。
今で言うところのプレハブ工法ですかな。

秀吉とともに中で座って待っていますと、
スッと現れたのは千 宗易でした。
宗易とは15年ぶりの再会です。
(詳しくは第17話『乱世独歩』をご参照あれ)

宗易という御仁が、自分のような小物のことを
覚えていてくれたことに助左は大感激です。

それはともかく、どうして秀次を助けることになったのか
秀吉はその経緯を詳しく聞きますが、
助左は、秀吉の敵である家康の陣へ
資材を運搬して足止めされていたことを正直に告白します。

先ほどまで秀次を助けてくれた命の恩人にニコニコにしていた秀吉も
その話を聞いて瞬間湯沸かし器よろしく
顔を真っ赤につかみかかりますが、
助左は、商いでございますゆえ、と動じません。

宗易は、秀吉の怒りを抑えた上で
この男こそ堺の商人だ、と助左を褒め称えます。


助左が堺に帰ってきました。

美緒は助左の姿を見て思わず走り出しますが、
その先に、桔梗と銭丸(助左の店に居ついた少年)が
駆け寄っていました。

ひとり残された美緒は、伏し目がちに立ち尽くします。

今井家では、今井兼久が「今井宗薫」と名を改めて
父・今井宗久の後を継ぐことになりました。

その宗薫は、助左がルソン島から持ち帰った品々が
助左の店先で積み上がったままだという噂を聞き
それらを売りさばいてやってもいいぞ、とけしかけます。

助左はその声を無視して店に戻りますが、
店に戻れば、確かに商品が積み上がったままです。
これらが売れなければ、ルソン島に向かうどころか
日本からもってゆく商品の仕入れすら出来ません。


店の中が暗い……そう感じた助左は、店の改装に入ります。
何を商いしているか、通りからでも分かるように
かつ自然の光が店の中に入るように開放感溢れる店に変えます。

好機は、すぐに訪れました。
ふと気づくと、格子窓から宗易が覗いているのです(笑)。

宗易がやって来たのは、助左と商談をするためでありまして、
なんでも、宗易が今秋に予定していた
海外への交易船が事情で出せなくなってしまい、
千石船1雙分の商品を
この助左の店に並ぶ商品と交換してほしいというわけです。

助左にとっては、
日本からの商品がなければ交易を諦めるところでしたので
大喜びで宗易からの話を受けます。

商品の検分のために、明朝に港で、と約束して
助左は待っていましたが、
そこにやってきたのは剃髪姿の宗易です。

堺を捨てて大坂へ旅立つ宗易は
前々から、堺を捨てるときは商人を捨てるときだと
この格好はその証なのだそうです。

そして、納屋の商品と合わせて納屋も、
更には納屋の姓ももらってほしいという宗易に
あまりの申し出に驚くばかりの助左です。

宗易としては、納屋の姓は、堺を捨てず
守り通して行く者に受け継いでもらいたいという願いから
彼をこのような行動にさせたのかもしれません。
「最後の商いの相手が、おことのような若者であったことが嬉しかった。
 さらばじゃ、納屋助左衛門殿」

宗易の願い通り、助左は
「納屋助左衛門」として活動を続けることになりました。
そして、この秋
助左衛門は再びルソンへ──。

──────────

天正12(1584)年4月9日、
白山林(名古屋市守山区〜尾張旭市)に休息していた羽柴秀次勢は
後方と側面から徳川追撃隊に一斉攻撃され、なす術なくほぼ潰滅する。

慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで


あと14年4ヶ月──。


原作:城山 三郎
脚本:市川 森一
音楽:池辺 晋一郎
語り手:梶原 四郎
──────────
[出演]
市川 染五郎 (助左衛門)
栗原 小巻 (美緒)
林 隆三 (今井宗薫)
根津 甚八 (石川五右衛門)
──────────
竹下 景子 (桔梗)
桜木 健一 (三好秀次)
──────────
児玉 清 (徳川家康)
緒形 拳 (羽柴秀吉)

鶴田 浩二 (千 宗易)
──────────
制作:近藤 晋
演出:岡本 憙侑

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