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2014年9月23日 (火)

プレイバック利家とまつ・(39)成政切腹

天正16(1588)年 閏5月・金沢城──。

九州征伐の功績により肥後国34万石を与えられた佐々成政ですが
肥後国人たちが一揆したため、その失政の責任を取って
尼崎の寺で切腹を命じられたという知らせが
前田利家の元に飛び込みます。

成政切腹という重大事を
「羽柴筑前守」たる自分が知らない、というのもショックですが、
秀吉がそのような冷酷な人間であるならば
豪姫と宇喜多秀家との婚儀も絶対にさせない、と息巻きます。


利家は、聚落第の秀吉を訪ね
その真意を尋ねようとしますが、
対面の場には誰ひとりやって来ませんでした。

ということは、成政はもはや
この世の人ではないのだろう、と
利家は胸が締め付けられる思いです。

夜、未だに座して秀吉を待つ利家ですが
そこに浅野長吉、石田三成、徳川家康がやって来ます。
3人は、成政の命乞いに奔走したのですが
今は秀吉の力が大きくなりすぎて、何も出来なかったと悔やみます。


成政の四十九日法要が、京の前田邸で執り行われました。

参列者は利家とまつ、成政の母・ふく、長吉、
村井又兵衛と井口太郎左衛門、
そして秀吉の御伽衆仲間の林 道勝で、
豊臣家からの参列者はありませんでした。

拾阿弥を斬った利家に織田信長は出仕停止を命じ、
出奔すればいいものをただひたすら信長に従う利家。
信長は利家を叱責しますが、
それを助けてくれたのは成政でした。

比叡山焼き討ちの際にも
明智光秀や柴田勝家が諫言しても聞かなかった信長が、
成政の言葉を聞いて、比叡山との和議を認めました。

越中3人衆の中で成政の加増が多く、利家の分が少ないからと
禄高を同じにしてほしいと信長に直談判。
遠慮せずに戴け、と言う利家にも、成政は首を縦に振りません。
「貴公より高い禄米を頂戴すれば、ワシの男が廃るのだ」

成政は、真っ正直な男でした。

参列者が、成政を偲んでいたところ
おねが豪と石田三成を従えて訪問します。
おねはふくに手をついて詫び、
三成は成政が遺した辞世の句と自刃に使った脇差しを差し出します。

このごろの
 厄妄想を 入れ置きし
  鉄鉢袋 今破るなり


京の南蛮寺で成政を偲んでいたはるの元に
ガラシャと名を変えた細川たまが文を持ち込みます。
裏には「くらのすけ」と書いてあります。
数奇な運命を辿って、南蛮寺に届いたのでしょう。

中には、又左衛門に伝えてくれ、との成政の言葉があったので、
はるはその文を持って、前田邸へ赴きます。

──又左、秀吉と天下のために、命がけで働け!


茶々が、秀吉の子を身ごもりました。
そのことを秀吉から利家経由で知ったまつは
おねに吉事を伝えます。

おねとしては、自分は子どもを産めない身体だと
頭では理解しているものの、胸中は複雑です。
そんなおねに、まつはエールを送ります。
「泣いてはなりませぬ。たくましく生きて参りましょ!」


天正16(1588)年 閏5月14日、
佐々成政が肥後での失政の責めを受け、
摂津尼崎法園寺にて切腹させられる。享年53。

慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで


あと10年3ヶ月──。


原作・脚本:竹山 洋
音楽:渡辺 俊幸
語り:阿部 渉 アナウンサー
──────────
[出演]
唐沢 寿明 (前田利家)
松嶋 菜々子 (まつ)
香川 照之 (豊臣秀吉)
酒井 法子 (おね(北政所))
天海 祐希 (はる)
山口 祐一郎 (佐々成政)
高嶋 政宏 (徳川家康)

加藤 雅也 (浅野長吉)
的場 浩司 (村井又兵衛)
佐藤 藍子 (麻阿)
須藤 理彩 (豪)
原田 龍二 (石田三成)
山本 晋也 (林 道勝)
──────────
池内 淳子 (ふく)
丹波 哲郎 (井口太郎左衛門)
──────────
制作統括:浅野 加寿子
演出:伊勢田 雅也

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