プレイバック黄金の日日・(44)呂宋(ルソン)遠征計画
文禄元(1592)年──。
当時マニラ市内には300人の日本人が住んでいました。
このころ、豊臣秀吉のルソン侵略計画を知ったマニラ政府は
マニラに住む日本人を市外の指定区域に移住させ、
日本人に対する警戒を強くします。
文禄2(1593)年4月・ディラオの日本人町。
マイニラ総督ゴメスに宛てた秀吉の国書を鮫吉が入手し、
納屋助左衛門は旧知の友・ハギビスの前でそれを読み上げます。
秀吉は原田喜右衛門に利用されているだけというのに
当の本人である秀吉にはそれに気づいてくれないというのは
何とも悔しく、呆れるところであります。
その原田は、秀吉の国書に自己宣伝を加えて
大きく加筆・脚色を加えられて、マイニラ総督ゴメスに渡します。
漢文を理解できないゴメスは、
原田の解釈を鵜呑みにするよりほかにありませんでした。
そして7月、マイニラ総督の国書を携えた2度目の使者が日本へ。
使者は遭難を考慮して2隻の船に分乗。
第1の船には使節と副使が、
そして第2の船には原田と通訳が乗ります。
総督の国書を秀吉に渡してはならないという使命を負って
助左衛門に船「黒潮丸」を預けられた小太郎が
その2隻の船を追ってマイニラから日本へ向かいます。
第1の船は39日を要して長崎平戸へ到着。
そして第2の船の到着を待たずして
名護屋本営の秀吉の元へ。
第2の船はそれより3日遅れて到着し名護屋へ急ぎます。
そしてその2隻よりも早く肥前に入った小太郎の船は
助左衛門からの伝達を五右衛門に伝え、
五右衛門は原田を襲撃すべく、その準備に入ります。
原田と、イスパニア語の通訳の一向に目がけて
五右衛門らの銃が一斉に火を噴きます。
仕掛けられた原田側も懸命に応戦しますが、
次々に斬り倒され、死んでゆきます。
原田は小太郎が震えながら放った銃弾を足に受け
いずこへと消えてしまいます。
そうとは知らず、総督使者の正使と副使は名護屋に入り
イスパニア語で秀吉にペラペラと話していますが、
通詞がいないので、何を喋っているのかワカリマセンし、
あるいは自分が話したことも相手に伝わりません。
イライラし出した秀吉は、国書を破り捨ててしまいます。
「この王は狂人だ」
使者は驚き、呆れます。
この日、8月3日
ひとつの命が誕生しました。
大坂城二の丸で、秀吉の愛妾・淀殿が
拾丸、後の豊臣秀頼を産んだのです。
淀殿……もと近江国の覇者・浅井長政を父に
織田信長の妹・お市を母として生を受け
落城の戦火の中を2度までもかいくぐってきた
戦国のおんなであります。
そして、秀吉の養子であり
次の天下人の座を約束されていた関白・豊臣秀次。
その土台が、足元から音を立てて崩れ始めます。
その怒りの矛先か、聚楽第に忍び込んだ盗賊を木にくくりつけ
それを的に鉄砲を構える秀次ですが、桔梗はそれを見て
盗賊の前に立ちふさがって止めさせようとします。
それでも構わず発砲する秀次。
ウッ!
とうなったのは、桔梗でした。
肩を押さえ、その場に倒れてしまいます。
ひどい流血です。
10月28日・アゴーの村では
マイニラ総督の命を狙っての襲撃事件が発生。
総督ゴメスは暗殺されます。
そして命を奪ったのは……ハギビスです。
総督一人を殺したところで
イスパニアから新しい総督が派遣されてくるだけですし、
これでイスパニアと戦をすることが確実となります。
その戦を止めるべく、逮捕されたハギビスの救出のために
助左衛門はマイニラ政庁に出向き、
ゴメスの後を継いで総督になった息子のルイスに会います。
戦は望みませんが、もしそうなったとしたら
それはすべてアゴーの側が悪いわけですが、
助左衛門が戦を望まない理由がもう一つあります。
この内乱に乗じて、日本から
太閤秀吉の遠征軍がやって来るかもしれないというのです。
ただ、遠征して征服を望んでいるのは秀吉だけで
他の者は、ルソンと“交易”を望んでいるのです。
「私の方からは釈放しない。ただ脱獄は勝手だ」
釈放はしない、しかし脱獄せよとは言っていない。
総督ルイスはこっそり助左衛門に伝えます。
助左衛門は大急ぎでハギビスの牢を見つけ出し、
鍵が外されている牢獄からハギビスを救出。
途中、門番ひとり出会わなかったという不審さは残りますが
ともかく、ハギビスとともに脱走します。
文禄3(1594)年4月。
日本に渡っていた使節がマイニラに帰ってきました。
持ち帰った秀吉からの国書は相変わらず高圧的で
著しく礼を逸していました。
柔軟な外交姿勢を崩さない総督ルイスは
日本との友好を望む国書を宣教団に託し、
日本に向かわせます。
文禄4(1595)年6月。
今井宗薫は細川忠興に100両の借金を申し出ます。
何でも関白秀次に借りていた金を返済したいというのです。
秀吉と秀次の争いは少しずつ激化し始めていますが、
後継者であった秀次に取り入って、拾君が産まれたからと
手のひらを返すように秀吉に寝返る諸大名は多く、
徳川家康も、京に滞留する息子の秀忠に
“太閤に勝たせよ。太閤に万一あれば北政所を警護せよ”
と命じたほどです。
美緒は、桔梗のために秀次に宿下がりを願い出ようとします。
そういえば、1年前に病に伏していると書状が来て以来
桔梗の消息は不明です。
7月8日、秀吉から秀次に伏見に来いという命令が届きます。
腹を割って話せば、叔父と甥の間柄なので
もしかしたら氷を溶かすほどの効果があるかもしれません。
そうなれば、謀反の風説も吹き飛ぶというものです。
秀次は出立前、病床の桔梗を見まい、別れを告げます。
またすぐに戻って来るさ、と言って出て行きましたが、
しかし秀次は二度とは戻ってきませんでした。
聚楽第を出発した秀次の輿は大坂へは行かず、
そのまま高野山に上って秀次を閉じ込めてしまったのです。
これより7日後の7月15日、秀次切腹。
殺生関白という悪名を残して28歳という若い命でした。
美緒は、五右衛門に桔梗を聚落第から救出させ
堺から船に乗せてルソンに渡らせることにします。
「もう、あの方の側を離れてはなりませんよ」
義姉さまも来て! という桔梗の声に
寂しそうに首を振る美緒は、そのまま船出を見送ります。
桔梗を乗せた船が堺の港を出て数日後の8月2日、
京都三条河原において、秀次の子女愛妾30余人が
秀吉の命によって処刑されてしまいます。
秀次の死は宣教師によってマイニラに報告され
太閤秀吉の死がそう遠い日でないこと、
太閤が死ねば世継ぎ争いで日本中に内紛が起こるであろうこと、
内紛が起きればマイニラは日本からの遠征の危機から
免れるであろうことが共に報告されます。
書簡の最後はこうして結んであります。
「願わくば太閤の死が早からんことを」
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文禄4(1595)年7月8日、
豊臣秀吉の命令で甥の豊臣秀次は高野山に追放され、
15日には切腹を命じられる。享年28。
慶長3(1598)年8月18日、
太閤・豊臣秀吉が波乱の生涯を閉じるまで
あと3年1ヶ月──。
原作:城山 三郎
脚本:市川 森一
音楽:池辺 晋一郎
語り手:梶原 四郎
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[出演]
市川 染五郎 (助左衛門)
栗原 小巻 (美緒)
林 隆三 (今井宗薫)
竹下 景子 (桔梗)
根津 甚八 (石川五右衛門)
ロベルト・アレバロ (ハギビス)
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近藤 正臣 (石田三成)
桜木 健一 (豊臣秀次)
唐 十郎 (原田喜右衛門)
北村 和夫 (鮫吉)
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児玉 清 (徳川家康)
江藤 潤 (小太郎)
藤村 志保 (淀君)
緒形 拳 (豊臣秀吉)
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制作:近藤 晋
演出:宮沢 俊樹
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