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2014年11月25日 (火)

プレイバック黄金の日日・(47)助左衛門追放

慶長3(1598)年6月17日。
納屋助左衛門が堺奉行所に連行されます。

かつて、秀吉が朝鮮侵略をしようとした時
それをやめるように直談判した助左衛門。

その助左衛門につばを吐きかけ、極刑を命じた秀吉でしたが
実は石田三成が逃がしていた事実を知り
秀吉は逃がしたことに関して三成を咎めなかったらしく
食わせてやれ、と菓子をふるまうほどゴキゲンです。

秀吉と和解させるべく、
伏見城へ連れて行くつもりの三成ですが
助左衛門はその申し出を断ります。

自由都市・堺が今のままの状態では
どうしても秀吉と敵対する立場になってしまうわけで、
和解と言ってもそれはできない相談なわけです。

堺の自由自治を堺のメンバーに任せてくれるならば
矛を収めて伏見へ出向いてもいい、と助左衛門。
「それはなるまいの」
三成は、当然それに首を縦には振りません。

ただし、来年には朱印船貿易が廃止され
海賊禁止令も解かれて堺の堀には水が復活するでしょう。
いきなり謎めいたことを言い出す三成に、
助左衛門は怪訝な表情を浮かべます。

実は、と三成は
秀吉が余命幾ばくもないことをそっと伝えます。
恐らくは3ヶ月も持たないであろう、と。

幼い頃から憧れてきた秀吉が、まもなく死ぬ……。
そう考えると、秀吉との思い出が脳裏に駆け巡り
頑な気持ちを徐々に溶かしていきます。
拒否していた菓子を受け取り、伏見に行くことにしました。


伏見城に向かった三成と助左衛門は
病床の秀吉に謁見を果たします。

秀吉は口をモゴモゴしながらニッコリ微笑み
手を震わせながら紙に筆で何かを書いています。

そしてまたニッコリ微笑み、震えた手で手招きする秀吉。
躊躇しながらも秀吉に近づく助左衛門に
その紙を渡します。

『ついはう めいす 大かう』

──堺の商人・納屋助左衛門、
  公儀に対し不届きの儀あり。
  よって家財没収の上、ルソンに追放を命ず──

時に慶長3(1598)年7月のことであります。

三成は、友を哀れんで
家財一式を今井船団にルソンまで運ばせます。
その船に乗るのは、小太郎です。


豊臣家の前途と、世継ぎ秀頼の将来を憂慮する秀吉は
伏見の病床より新たな政治の形を作り上げます。
五大老五奉行の制度制定であります。

五奉行に任命されたのは、浅野長政、前田玄以、
長束正家、増田長盛と、石田三成。

そして五大老には、
関東6ヶ国270万石の大名・徳川家康を筆頭に
加賀・能登・越中100万石の前田利家、
備前美作57万石の宇喜多秀家、
中国地方7ヶ国150万石を領する毛利輝元、
奥州会津130万石の上杉景勝。

これら5人の大名たちが、秀吉の病床に顔を並べ
秀吉に秀頼のことをくれぐれもと頼まれます。


8月18日、パシグ川。

助左衛門はマニラ郊外のディラオにいました。
船の中には、助左衛門を追って来た小太郎もいます。
日本人町がメチャメチャに壊れてしまったので
助左衛門は、その日本人町の再建に力を入れたいようです。

そんなことを話していると、現地人が
助左衛門の船を襲撃してきました。

全員捕まえて事情を聞いてみると、
助左衛門の船から鉄砲を盗み出し
原田喜右衛門の船を襲撃して
売られていく現地人たちを助け出したいのだそうです。

「我らはフィリピン人だ」
日本人でも明人でもない、フィリピン人。
自分たちで名付けた、という彼らに同調した助左衛門は
戦の準備をして喜右衛門の船に攻め込むことにします。


同じ日、伏見城では大量吐血した秀吉が
ついに帰らぬ人になりました。

つゆとをち
 つゆときへにし わがみかな
  難波の事も ゆめの又ゆめ

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原作:城山 三郎
脚本:市川 森一
音楽:池辺 晋一郎
語り手:梶原 四郎
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[出演]
市川 染五郎 (助左衛門)
栗原 小巻 (美緒)
林 隆三 (今井宗薫)
江藤 潤 (小太郎)
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近藤 正臣 (石田三成)
唐 十郎 (原田喜右衛門)
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児玉 清 (徳川家康)
安奈 淳 (ツル)
緒形 拳 (豊臣秀吉)
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制作:近藤 晋
演出:宮沢 俊樹

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