プレイバック利家とまつ・(49)永遠(とわ)の愛 [終]
部屋で縫い物をしているまつ。
まつの前に、十文字の槍を手に武装した利家。
槍をブンブンと振り回し、
死神を振り払うのだと威勢のいい利家です。
脇には前田利長、前田利政、そして前田慶次郎の姿も。
──という夢を見ました。
まつは経帷子を縫っていました。
今まで、戦で人を何人も殺めて来たので
その供養も兼ねてであります。
利家としては、
今まで道理の立たない戦はしたことが無いので
地獄に落とすという閻魔なら、殺してしまって
この世に戻って来るわ、と笑います。
「遺言状を作る」
腹の痛みをこらえ、利家は寂しそうにまつに微笑みかけます。
原作・脚本:竹山 洋
音楽:渡辺 俊幸
テーマ音楽:NHK交響楽団
:オーケストラ・アンサンブル金沢
テーマ音楽指揮:岩城 宏之
演奏:コンセールレニエ
時代考証:三鬼 清一郎
風俗考証:二木 謙一
建築考証:平井 聖
衣裳考証:小泉 清子
殺陣・武術指導:林 邦史朗
所作指導:藤間 蘭黄
茶道指導:鈴木 宗卓
水引製作:津田 剛八郎
芸能考証:野村 万之丞
資料提供:東四柳 史明
:瀬戸 薫
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語り:阿部 渉 アナウンサー
撮影協力:石川県
:岩手県江刺市
:山梨県
:山梨県小淵沢町
:茨城県伊奈町
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[出演]
唐沢 寿明 (前田利家)
松嶋 菜々子 (まつ)
反町 隆史 (織田信長)
香川 照之 (豊臣秀吉)
酒井 法子 (おね)
天海 祐希 (はる)
山口 祐一郎 (佐々成政)
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竹野内 豊 (佐脇良之)
高嶋 政宏 (徳川家康)
加藤 雅也 (浅野長政)
伊藤 英明 (前田利長)
的場 浩司 (村井長頼)
及川 光博 (前田慶次郎)
瀬戸 朝香 (淀殿)
佐藤 藍子 (麻阿)
田畑 智子 (千代保)
関口 知宏 (中川光重)
沢村 一樹 (高山右近)
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上原 さくら (蕭)
水橋 貴己 (永)
近童 弐吉 (本多忠勝)
来須 修二 (四井主馬)
成宮 寛貴 (前田利政)
猪腰 真之介 (豊臣秀頼)
阿部 修也 (前田猿千代)
山口 美香 (まつ 子役(回想))
エンゼルプロ
劇団ひまわり
キャンパスシネマ
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尾張ことば指導:芦沢 孝子
名取 裕子 (つね)
辰巳 琢郎 (前田長種)
涼風 真世 (孝蔵主)
中条 きよし (奥村家福)
赤木 春恵 (うめ)
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制作統括:浅野 加寿子
美術:藤井 俊樹
技術:大沼 雄次
音響効果:畑 奈穂子
記録:福田 陽子
編集:徳島 小夜子
撮影:森本 祐二
照明:中山 鎮雄
音声:冨沢 裕
映像技術:木川 豊
美術進行:小林 大介
演出:佐藤 峰世
慶長4(1599)年3月21日、利家は遺言状を作成。
腹の痛みに悶え苦しみながらも、遺言を口述し
まつがそれを筆記します。
家康のことはお任せあれ、と浅野長政は言いますが、
利家でさえ家康に頭を下げたのです。
いま家康に戦いを挑んで勝てるものは誰ひとりおりません。
秀頼の成長を待ち時を稼くべし、
こちらから動くなかれ、と長政を諭します。
閏3月3日。
目を覚ました利家は、まつに刀を所望し
それを杖代わりに起き上がった利家は
鞘から抜き、刀を見つめます。
崩れ落ちる利家。
それをまつはしっかりと抱きとめます。
利家が手をゆっくりと伸ばし、まつはそれを握りしめます。
まつに微笑む利家は、そのまま息を引き取ります。
「あなた……利家殿……」
利家亡きあと、石田三成は失脚。
父に代わって大老の座に就いた利長は
懸命に豊臣秀吉の遺命を守ろうとします。
ただ、三成の失脚で淀殿は利長に近づこうと画策。
一方、利家の死後、向島から再び伏見城に戻った家康は
そんな利長の動きもしっかりとキャッチしています。
4月8日、利家の遺骸は金沢の野田山に葬られます。
剃髪したまつは「芳春院」と号します。
利長と淀殿のウワサはもっぱらでありまして、
真相はどうあれ、それは利長の不徳だとまつはあきれ顔です。
ただ、そこに目をつけた家康は、
利長を大坂から加賀に帰した方が良いと言い出します。
3年の間は大坂に詰めて秀頼を補佐せよとは利家の遺言ですが
たった1ヶ月で大坂から退去するのは……。
もしかしたら家康は、
前田家を潰しにかかってくるのかもしれません。
「亡き殿のご遺言に従ってください」
利長に大坂城に留まるように命じたまつでしたが、
8月、家康の勧めに応じて金沢に戻ってきてしまいました。
さらに、家康を討伐するという動きがあるのを察知した家康は
その首謀者である浅野長政を処罰、甲斐に蟄居させます。
その上で家康は、加賀征伐の意向を示します。
伏見城の家康を訪ねた芳春院は
窮地の前田家と、戦いになった時に犠牲になる民衆を救うべく
人質として江戸に下る決意を固めます。
この戦に信義があるのか、よくよくお考えを──。
芳春院は利長に文を送り、
母を殺して金沢城を枕に徳川と戦う! と
鼻息荒い利長の気持ちを鎮めさせます。
慶長5(1600)年5月17日。
芳春院が伏見前田邸から江戸へ下る日です。
「いざという時には、この母を捨てなさい」
利長への言葉を残し、芳春院は出発します。
芳春院の江戸下向により、天下の形勢は大きく変わり
9月15日に起こった『関ヶ原の戦い』は
徳川方の勝利に終わります。
慶長19(1614)年。
芳春院が京・高台寺の高台院(おね=北政所)を訪ねます。
高台院は慈光院(はる)を呼び、
実に15年ぶりの再会となります。
関ヶ原の戦いで活躍し、加賀120万石を拝領した
利長はすでにこの世には亡く、
長頼も9年前に雪かきの最中に亡くなったそうです。
慶次郎は再び上杉に仕えると言って出て行き、
前田家の家督は猿千代(利光)が継ぎました。
芳春院は、尾張荒子に行って来たそうです。
まだ芳春院が幼い子供のころ、犬千代(利家)から
ふくろうのエサ係を頼まれたのがまるで昨日のよう。
「お任せくださりませ!」と言ったのは
この時が初めてでした。
その思い出の木の幹に触れて目を閉じると、
そこに利家が立っていました。
芳春院に微笑み、姿が見えなくなってしまいます。
芳春院が金沢に帰ってきました。
加賀3代藩主利光(後の利常)の母である寿福院(千代保)が
芳春院に代わって江戸に下向し、人質になります。
その芳春院は、大坂冬の陣・夏の陣で豊臣家が滅亡した後
元和3(1617)年7月16日、71歳の生涯を終えました。
──完──
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