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Kassy号〜♪の車窓から 2011

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2015年1月27日 (火)

プレイバック翔ぶが如く・[新] (01)薩摩藩お家騒動

弘化3(1846)年。

大海原を進む一艘の船。

船の中には、藩の役人らしき武士がふたり。
エイサッエイサッとリズム良く発しながら
残りの男たちが艪で船を漕いでいます。

向かうは薩摩国、鹿児島──。

迎える薩摩では「飛舟じゃ!」と大騒ぎ。
琉球国沖縄から、至急の知らせがもたらされました。
イギリス艦船がその周辺に姿を現し
キリスト教布教と、通商を求めているわけです。

ペリー来航の7年前のことであります。

至急の知らせは、駕篭で夜を継いで走り続け
江戸にある薩摩藩邸に届けられます。

この時代、人々は鎖国の深い眠りの中におりました。
しかしこの時、じっと目を凝らして
いち早く危機を察知した人物がいたのです。

島津 修理大夫 斉彬、38歳。

日本最南端に位置する薩摩藩藩主の嫡男で
江戸生まれの江戸育ち、
彼だけは海外の情報を正確に把握しておりました。

──────────

脚本:小山内 美江子

原作:司馬 遼太郎
   「翔ぶが如く」より

音楽:一柳 慧

演奏:東京コンサーツ
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:秋山 和慶

監修:小西 四郎
時代考証:原口 泉
風俗考証:小野 一成
題字:司馬 遼太郎

殺陣:林 邦史朗
振付:猿若 清方
衣裳考証:小泉 清子
 ─────
協力:鹿児島県

資料提供:黎明館
    :尚古集成館
    :鮫島 志芽太
    :児玉 正志
    :西郷南洲顕彰会

薩摩言葉指導:飯田 テル子
      :西田 静志郎
 ─────
語り:草野 大悟

──────────

[出演]


西田 敏行 (西郷吉之助)

鹿賀 丈史 (大久保正助)

酒井 法子 (西郷 琴)
村田 雄浩 (西郷吉二郎)

内藤 剛志 (有馬新七)
佐野 史郎 (有村俊斎)

安藤 一夫 (伊地知正治)
福田 勝洋 (吉井幸輔)

八木 昌子 (大久保 福)
吉川 十和子 (大久保きち)

田中 好子 (喜久)

冨士 真奈美 (西郷まさ)

西岡 徳馬 (赤山靭負)

蟹江 敬三 (大山格之助)

江見 俊太郎 (島津斉興)
磯部 勉 (松平春嶽)

名和 宏 (島津久徳)
坂口 芳貞 (関 勇助)

北村 総一朗 (伊達宗城)
砂塚 秀夫 (瓦版売り)

小林 勝也 (青山忠良)
加藤 治 (徳川家慶)
村松 克己 (島津久宝)

飯田 和平 (二階堂志津馬)
奥野 匡 (山田)
江角 英明 (高崎)

坂上 二郎 (西郷吉兵衛)

高品 格 (調所笑左衛門)

浜村 純 (西郷龍右衛門)

大路 三千緒 (西郷きみ)

若林 豪 (阿部正弘)

木村 栄 (山下)
右京 孝雄 (名主)
桐山 栄寿 (祈祷師)

近藤 絵麻 (たか)
田京 恵 (やす)
根本 卓哉 (信吾)

矢沢 美紀 (すま)
桂川 冬子 (みね)
本田 太郎 (又次郎)
前橋 吟城 (薩摩琵琶の男)

千代田 進一 (忠次)
三野 愛子 (忠次の女房)
越来 文治 (飛舟の人々)
越来 治喜 (飛舟の人々)

若駒
鳳プロ
丹波道場
劇団いろは
 ─────
鹿児島市
清水市のみなさん

指宿市
頴娃町のみなさん
 ─────
鼓指導:堅田 喜三久
祈祷指導:浦井 正明
馬術指導:長命 信一郎

──────────

高橋 英樹 (島津久光)

草笛 光子 (由羅)

北村 和夫 (大久保利世)

加山 雄三 (島津斉彬)

──────────

制作:岡本 由紀子
  :吉村 文孝

美術:宮井 市太郎
技術:京谷 道雄
音響効果:浜口 淳二

撮影:村松 一彦
照明:増山 実
音声:鈴木 清人
記録・編集:横山 洋子


演出:平山 武之


深夜であるにもかかわらず、
斉彬は老中・阿部正弘に面会を求めます。
それぐらい、急を要することであったわけです。

4年前に発生した、イギリスが清国に無礼を働いて
その混乱のスキに国を乗っ取ってしまったアヘン戦争を考えれば
イギリスが琉球を、ひいては日本を
乗っ取ろうと企んでいると考えなければなりません。

斉彬は、とりあえず充分な薪と水をイギリス艦船に与えて
即刻退去を求めさせておきました。

こんな時ではありますが、保守派は斉彬を敵対視しておりまして
薩摩藩藩主の島津斉興、そしてその側室のお由羅は
外国のことに夢中になりがちの斉彬が藩主の座に就くのは反対です。

しかしこの年、フランス艦船が琉球にやって来て
イギリスに続いて開国のくさびを打ち込んで行きます。


薩摩の農村では、異国船襲来など
あんまり関わりのないのどかな雰囲気で
畑仕事をしていた農民忠次の身重の女房が産気づいたとかで
お世話役の若い武士が荷車を引いて駆けつけます。

西郷吉之助、後の西郷隆盛。
彼のお役は郡方書役助(こおりかた かきやくたすけ)、
領内の作柄見聞、年貢の課税係を務める下役人であります。

更に言えば、薩摩では若者のことを「二才(にせ)」と呼び、
少年を「稚児(ちご)」と呼びますが
吉之助はそのリーダー的人柄を買われて
「二才頭(にせがしら)」を務めていました。

吉之助は、忠次の女房を荷車に乗せたところで
その急報を届ける途中の江戸への早馬を目撃します。

今回、記録所書役助を拝命することになった
大久保正助(後の大久保利通)の家にお邪魔して
現在置かれている日本の状況について、
正助の父・大久保利世に講義してもらいます。

フランスは島国イギリスとは違って、
例外的に交易を続けているオランダと地続きの国でありまして
次は江戸湾にまかり越す! と言い置いていったのだとか。

ただ、地続きの国が存在することに大きな驚きの吉之助には
あまりに話が大きすぎて、そのほとんどを飲み込めません。


イギリス船に続きフランス船までやってきたことで
斉彬の危機感はいっそう高まります。

藩主嫡男の立場では、藩主を差し置いての
表立った動きもしにくかろうという阿部老中の進言を受け、
将軍徳川家慶は、異国船対策を斉彬に一任し
斉興に代わって薩摩へ戻って臨機応変に動けと命じます。

こうして斉彬は、江戸を出発して46日目の
7月25日にようやく薩摩藩へのお国入りを果たします。

鶴丸城に入った斉彬は、早速藩内巡視するために
お由羅の子で斉彬の義弟にあたる島津三郎久光に同行を求めます。

お由羅の命を受けた島津久徳らは、斉彬には注意をと促しますが
喜んで斉彬について行くといった感じの久光は、
兄と対抗しなければならないその意味が分かりません。
死ねと命令されれば、喜んで死ぬ覚悟です。

巡視途中の斉彬一行を見かけた吉之助は
農作業の手を止めて慌てて土下座します。
斉彬に温かい言葉をかけられるわけですが、
それだけて下級武士の吉之助は大感激です(笑)。

しかし、斉彬が久光を家来同然に藩内を連れ回し
各所に自分が跡継ぎであると示しているらしいと聞いた
お由羅と家老の調所笑左衛門は、斉彬を殺そうと
彼が宿泊している指宿別邸に火をつけさせます。

指宿別邸は失火で焼け落ちましたが、
間一髪、斉彬は避難して無事でした。

家老の赤山靭負は吉之助を呼び出し、斉彬の無事を伝え
自分たちが斉彬を助けて守っていかなければならないと説きます。
吉之助にも、もちろん異論はありません。


弘化4(1847)年正月17日、
異国船対策のための帰国願いを提出していた斉興は
その願いが聞き届けられて江戸を出発。
お由羅、そして調所を伴っての帰国となりました。

3月7日、鹿児島着。

その7日後、
斉興が帰国してしまったために、それに追い出されるようにして
斉彬は意に反して江戸に戻らざるを得ませんでした。
藩主と世継ぎが同じ国元にいることが許されなかった時代なのです。

そして、斉彬が出発してすぐ
斉興は久光を家老上席に据えます。
家老上席ということは、斉興は久光を世継ぎと示したも同然です。
と同時に、藩内では斉彬廃嫡の噂が大きく流れ出します。

江戸に向かう道中、それを知った斉彬は、
ムスッとしたまま返事します。
「相分かった」


それだけに飽き足らず、お由羅は
斉彬の命を奪おうと呪詛調伏を行わせます。
果たして、斉彬の命は助かりましたが
彼の4歳の嫡子が命を落としました。

斉彬がいなくなった薩摩藩内では
斉彬派と久光派に分裂してしまいます。

斉彬派は、正義は我らにありと
幕府に斉彬に家督相続を認めてもらおうと動き出しますが
赤山は、敵の動きや考えを知るためにも
まずはしばらく待つように吉之助に命じます。

その命を受けて、二才頭としての吉之助は
血気にはやる二才(=若者)たちの動きを封じます。

火に油を注ぐが如く、怒りを爆発させる若者たち。
言葉にはしませんが、“毒婦”お由羅と調所のふたりは
斬ってしまいたい気持ちでいっぱいです。

「正は邪に勝つ」
そんな彼らの気持ちに、吉之助の有無を言わさぬ
相当な威圧感がすさまじいです。


斉彬は、江戸においても赤山からの報告を逐一受けていて
藩内の不穏な動きに心を痛めております。

斉彬は、薩摩が長らく続けてきた琉球における密貿易を
阿部老中に密告する“賭け”に出ます。
一歩間違えれば藩の改易という、更迭処分となるところですが
久光派の力を弱めるにはそれしかありません。

江戸への出頭命令を受けた調所は、その密貿易の件に加えて
江戸から送った兵数と薩摩での兵数の計算が合わず
軍役不履行となる件で老中から査問を受けることになりました。

しかし、幕府からの査問を前に、調所は服毒自殺。
藩主斉興が隠居に追い込まれないように、
全ての責めを一身に背負っての服毒でした。
斉彬は、密かに弔ってやれと命じます。

一方、調所の死に激怒した斉興は
斉彬派の動きを一気に封じ込める作戦に出ます。

お由羅や重臣たちに対する暗殺計画があるとの密告が
何者かによってもたらされ、鹿児島には珍しい雪の朝
斉彬派への過酷な処罰が断行されます。

赤山も不届きにつき切腹させられます。

この日に処刑された者、
切腹13名、遠島16名など総計50名にも及びます。
正助の父・利世も鬼界島への遠島組の一人でした。

家族も連座責任を問われ、正助はお役御免となり
働き手を2人も一気に失った大久保家は困窮を極めます。
正助は部屋に引きこもり、いつもの笑顔が消えてしまいます。
吉之助は正助を心配し、励ましに足しげく通います。

「正は邪に勝ちもしたか?」
正助は、邪の動きを止められなかった悔しさを
肌身で感じているのです。

それでも吉之助は、正助に励ましの言葉を送り
彼を奮い立たせようとします。

斉彬擁立のクーデター失敗事件は“高崎崩れ”と称し
若き吉之助や正助に強烈な反骨精神を植えつけます。


阿部老中は、斉興による弾圧を逆手に取って反撃開始です。
阿部は斉興に対し、藩内のお家騒動の責めを負わせて
隠居願の提出を求めたのです。

時間をかけたり、老中よりの書状を握りつぶしたり、
代わりに家老が切腹したりすれば事態は公に露見し
取り返しがつかなくなる、と脅します。
つまり、薩摩が危うい、ということです。

観念した斉興は数日後に隠居願いを出し
斉彬は44歳にして、ようやく薩摩守に任ぜられたのです。


吉之助は、謹慎中の正助を外に連れ出し
斉彬が藩主の座を継いだことを知らせます。
これで、斉彬派の者たちが赦免されるかもしれません。

大喜びの正助です。

対岸から見る桜島は、今日はより大きく見えます。


この『翔ぶが如く』でも、『その時歴史が動いた』風に
カウントダウンしていきましょうか(^ ^)

今回は、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が
明治天皇に『大政奉還』を上奏した
慶応3(1867)年10月14日に「その時」を設定します。

さらに、大ヒットした平成20年の大河ドラマ『篤姫』では
どのあたりの話なのか? も併記していきます。


嘉永3(1850)年3月4日
薩摩藩重臣・赤山靭負が、
お由羅騒動(高崎崩れ)で切腹を命ぜられる。

慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで


あと17年7ヶ月──。

(『篤姫』では「(1)天命の子」〜「(3)薩摩分裂」付近)

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