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2015年1月20日 (火)

プレイバック徳川慶喜・[新] (01)母の不在

天保8(1837)年・浦賀──。

田畑の中の一本道を、大きな大砲を大八車に乗せて
海岸に運んでいる数人。
その後ろで、役人と思しき男が慌てふためき
やんややんやとわめきながらその運搬を指揮しています。

浦賀沖に現れたのは、アメリカ商船のモリソン号。

海岸に着いた男たちは、砲撃の準備を始めますが
どうやら商船に気づいて砲撃しようとしているのは
他にもいるるらしく、
男たちは彼らに遅れまいと砲撃を開始します。

しかし、商船までは遠すぎて
とてもとても届きません。

ただ、商船の進路が変わりつつあるのを見て
撃退できたのだと男たちは大喜びします。
「やったーっ! 思い知ったか!」


脚本:田向 正健

司馬 遼太郎「最後の将軍」より

資料提供:渋沢史料館
    :渋沢 栄一 著 徳川慶喜公伝

音楽:湯浅 譲二

テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:岩城 宏之
演奏:東京コンサーツ

時代考証:大石 慎三郎
風俗考証:原島 陽一
建築考証:平井 聖
衣裳考証:小泉 清子

所作指導:猿若 清三郎
殺陣武術指導:林 邦史朗
馬術指導:日馬 伸
彫物指導:霞 涼二

撮影協力:茨城県
    :水戸市
    :大洗町
    :里美村
    :長崎県ハウステンボス
    :江戸消防記念会

資料提供:茨城県立歴史館
    :徳川博物館
    :横浜開港資料館
    :松戸市戸定歴史館
    :小沢健志
    :東京都写真美術館
    :東野福恵

──────────

[出演]

菅原 文太 (徳川斉昭)

若尾 文子 (吉子)

若葉 竜也 (七郎麿)

渡辺 裕之 (藤田東湖)
頭師 孝雄 (鈴木石見守)

井田 州彦 (安島帯刀)
及川 以造 (結城寅寿)

大河内 浩 (戸田忠敞)
伊藤 高 (今井金石衛門)

飯沼 慧 (会沢正志斉)
沼田 爆 (幸吉)

佐藤 淳 (倉石左衛門)
徳井 優 (大砲隊々長)
倉本 隆史 (高橋多一郎)

上原 恵子 (綾小路)
神谷 けいこ (しの)
相沢 理沙 (かなえ)

笹川 謙 (徳川慶篤)
泉本 央 (村田新三郎)
小林 美香 (さくら)
三國 純楓 (およし)

中里 栄臣 (水戸藩士)
林 統一 (水戸藩士)
桐本 琢也 (水戸藩士)
井元 由香 (町娘)
宇都宮 優希子 (町娘)

──────────

堺 正章 (新門辰五郎)

山下 真司 (ガンツム)

肥後 克広 (カンヌキ)
寺門 ジモン (義経)
上島 竜兵 (半次)

松村 洋一 (を組の若衆)
大橋 寛展 (を組の若衆)
柴崎 勇人 (を組の若衆)
小曽根 直記 (を組の若衆)
早川 健 (を組の若衆)

和田 大法 (を組の若衆)
近藤 哲也 (を組の若衆)
金子 貴俊 (を組の若衆)
中野 耕 (を組の若衆)
グリマンデル (を組の若衆)

根本 義久 (水戸藩士)
堀田 雄介 (水戸藩士)
渡辺 智彦 (水戸藩士)
上赤 俊朗 (水戸藩士)
田中 登志哉 (水戸藩士)

小山 義郎 (水戸藩士)
大杉 真也 (水戸藩士)
山本 正道 (水戸藩士)
吉岡 毅志 (水戸藩士)
山崎 優 (水戸藩士)

近藤 雅夫 (水戸藩士)
牧原 一義 (水戸藩士)
一丸 優 (水戸藩士)
峯尾 進 (水戸藩士)
尾井 治安 (水戸藩士)

岡田 俊博 (水戸藩士)
田中 寧 (水戸藩士)
加島 祥全 (水戸藩士)
猪又 太一 (水戸藩士)
河合 隆磁 (水戸藩士)

中田 博之 (水戸藩士)
貴島 晶 (水戸藩士)
田村 正俊 (水戸藩士)
宮寺 康夫 (水戸藩士)
岸本 功 (水戸藩士)

納谷 利也 (水戸藩士)
柴田 誠 (水戸藩士)
内村 悟朗 (水戸藩士)
武井 信夫 (水戸藩士)
 ─────
水戸市のみなさん

若駒
劇団いろは
ウェスト・ビレッジ
エンゼルプロ
鳳プロ

──────────

藤岡 琢也 (中山五郎左衛門)

佐藤 慶 (永原帯刀)

岸田 今日子 (松島)

大原 麗子 (れん(語り))

──────────

制作統括:高橋 幸作

美術:田島 宣助
技術:上原 康雄
音響効果:若林 宏
記録:高室 麻子
編集:高室 晃三郎

撮影:横山 義行
照明:斉藤 幸夫
音声:仲野 次郎
映像技術:末永 隆雄
美術進行:松谷 尚文

演出:富沢 正幸


時は天保15(1844)年。

水戸では、当主の徳川斉昭を中心として
砲術の訓練が行われていました。

七番目の息子・七郎麿は学問をせず遊んでいてばかりなので
父によって座敷牢に閉じ込められていたわけですが、
狭く暗い中に閉じ込められて、少しは懲りたかと
上から除いて見てみれば、大の字になって寝ています。

この七郎麿こそが、後の徳川慶喜となる少年です。

そんな斉昭に、幕府から書状が舞い込みます。
江戸出府を命じてきたのです。

老中たちと不仲である斉昭。
顔も見たくないはずなので呼び出すわけがないのですが
それを呼び出すということは……?

理由なく幕府に呼び出されることに少し不安を覚えます。
さらに、斉昭が江戸に出発した後の水戸も気がかりです。
七郎麿は、勉学に励むように斉昭から諭され
翌日から勉強に鍛錬にとがんばっていきます。


江戸町火消し・を組に、頭が戻ってきました。
頭は新門辰五郎、おかみさんはれんです。

水戸贔屓の辰五郎は、
斉昭が江戸に戻ってくることをれんに教えます。

いくら水戸家が徳川御三家の親藩大名であるとはいえ
大多数の家臣を引き連れての江戸出府には金が莫大にかかり
水戸家の台所は火の車、との噂もあります。

あっちらには斉昭公を助ける力もないけどさ、とれんは言いますが、
莫大にかかる金銭のケタが、民衆の考えるものとは違うわけで
辰五郎はそこにかみつきます。

しかし、れんの答えはさらに上を行くものです。
「お前さんが囲ってる妾の3人もたたきだしゃ、
 結構なお金が手に入るんじゃないかと思ってさ」

ちょうど都合良く、火事の鐘が聞こえてきて
辰五郎は火消しに向かうことにします。


水戸藩江戸小石川上屋敷には、七郎麿の母・吉子が
退屈しのぎに釣りをして過ごしています。

しかし吉子の気持ちは釣りに向いてはおりません。
御三家当主が江戸に戻ってくれば
無事の帰還を老中たちが祝うのがしきたりの中で、
斉昭が帰還して2日目というのに、何の訪問もないわけです。

おかしい……そうつぶやく吉子の元に、
老中から斉昭に隠居謹慎の命がくだったと
急報が舞い込みます。

斉昭への隠居謹慎は、恐らくは
水戸藩家老の結城寅寿が仕組んで幕閣に告げ口したものだと
斉昭も、他の家老たちも気づいていますが、
ここで事を荒立てれば幕府の思うつぼだと
斉昭は今日中に駒込中屋敷に移って謹慎に入ることにします。

そして水戸藩主の座は、嫡男の徳川義篤が継ぐことになりました。


普段は学問を志す武士たちでいっぱいの藩校・弘道館。
斉昭の隠居騒動で、武士たちは誰一人としておりません。

七郎麿は、弘道館内で花を摘んでいた
親に捨てられた女の子のさくらと知り合いになります。

倉石左衛門と村田新三郎が必死に探す中、
七郎麿はさくらの手を引いて
さくらの別の着物を借りて町人に化け、弘道館の外に出ます。
「江戸に行くのじゃ。その方の母上に会わせてやる」

さくらの母は、さくらを産んでまもなく男に逃げられ
さくらを見捨てて江戸の深川に住んでいるのです。
今、さくらを育てている祖父の幸吉に聞きました。
しかしさくらは、帰る! と言って泣き出します。

おかしな動きを見せて笑わせようとしたり、
泣き止まねば蛇が来るぞ! と言って泣き止めさせようとしたりと
いろいろやりますが、一向に泣き止む気配がありません。

七郎麿は、
今からさくらをつれて江戸に向かうのは無理だと断念し
山の上からさくらに大声で叫ばせます。

おっ母〜ッ! おっ母〜ッ!


この『徳川慶喜』でも、『その時歴史が動いた』風に
カウントダウンしていきましょうか(^ ^)

今回は、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が
明治天皇に『大政奉還』を上奏した
慶応3(1867)年10月14日に「その時」を設定します。

さらに、大ヒットした平成20年の大河ドラマ『篤姫』では
どのあたりの話なのか? も併記していきます。


弘化元(1844)年、
幕命により、家督を嫡男の徳川慶篤に譲り
強制隠居と謹慎処分を命じられる。

慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで


あと23年──。

(『篤姫』では「(1)天命の子」〜「(2)桜島の誓い」付近)

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