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2015年1月 6日 (火)

プレイバック花神・総集編第二回「攘夷の嵐」

安政6(1859)年10月27日、松陰吉田寅次郎 処刑。

その2日後、29日。
小塚原の回向院で、桂小五郎や伊藤俊輔、入江九一らは
師の遺骸を引き取ります。

運搬してきた男たちに金を掴ませて墓穴を掘らせ、
遺骸に襦袢や帯など着せ、清めて瓶に移し、
手作りの墓を作ります。

小五郎は、小塚原刑場という同じ敷地内で行われていた
村田蔵六による女囚の腑分け、人体解剖の様子を見ています。

「村田蔵六……」
小五郎の青春期に於いて、
これほど印象的な出会いはありません。

師を失ったばかりの小五郎にとって、
蔵六はその生まれ変わりに思えてならないわけです。

小五郎は、蔵六を長州藩に召し出してほしいと
周布政之助に直談判。
彼は、長州藩にとってかけがえのない人材になる、と
鼻息荒い小五郎です。


安政7(1560)年3月3日、
未曾有の大雪に見舞われた江戸で
大老・井伊直弼が登城途中、桜田門外で
薩摩人1人を含む水戸浪士たちに襲われて横死。

その2日後、蔵六と対面した小五郎は
ストレートに、長州はあなたが欲しい、と伝えます。
ただ、今は幕府講武所の教授である蔵六の待遇には
到底足りない量しか出せないだろう、と正直に明かします。

「私はとうに決めている。長州様に参ると」

決めた以上、処遇はそちらのご都合次第でよろしい、と
顔色一つ変えずに小五郎に返答。
小五郎は、あっさり決まったことにとまどいつつ
引きつりながら笑います。

万延元(1560)年秋、長州藩に出仕することになった蔵六は
江戸藩邸中屋敷で若い藩士たちへの洋式銃の講義解説から
蘭学書の翻訳まで没頭します。

藩命により上海に留学した蔵六でしたが、
長州藩は、その方針を尊皇から攘夷に180度転換させています。
朝廷はそのことを歓迎し、長州藩は
政局の主導権を握ることに成功します。

ちなみに、薩摩藩との不和はこの時期に始まっています。


寅次郎に代わって表舞台に立っている高杉晋作は
時を経れば減るほどに強大な攘夷論者となっています。

そもそも、日本の一大名に過ぎない徳川家を
諸外国が日本の代表と見たことから誤解が生じているわけで、
幕府を倒して国家を作り変える、という考えなのです。

江戸に向かった晋作は、文久2(1862)年12月12日に
久坂玄瑞ら同志とともに
建設中の英国公使館焼き討ちを行います。

その後、翌文久3(1863)年正月には寅次郎の墓を改葬。
小塚原(荒川区)から長州藩別邸のある若林(世田谷区)へ
晋作の先導で移されます。

その改葬の際も、将軍しか渡れない橋を
監視の役人を恫喝して無理矢理渡るなど
晋作の過激な行為が目に余るようになってきました。


幕府を恐れるあまり、藩の役人たちは
晋作を長州に帰すように指示を出しますが、
晋作は江戸を動かず、言う通りにしません。

そのことをケタケタと笑う周布は周布で
もっと大きなことを考えています。
秘密裏に、若い藩士を欧米に派遣しようというのです。

それを聞いた小五郎は
長州は攘夷の音頭をとっているのに、と呆れますが、
だからこそ秘密裏に事を進めなければならないわけです。

ただ、いずれは開国するであろう日本において、
いざそのような自体になった時に
諸外国の事情に通じていなければ、長州は立ち後れてしまう。
そのための派遣です。

周布は、その世話人として白羽の矢を蔵六に立てます。

ところが、その秘密裏の計画がなぜか漏れます。
俊輔が聞きつけて、蔵六を遊郭に招待し
ロンドン留学生に推挙してもらいたいと頭を下げます。

蔵六は、知らぬ存ぜぬとしらを切りますが、
周布や小五郎が蔵六に依頼したことも
蔵六が横浜の長州藩御用商人・伊豆倉屋に手配を頼んだことも
その他諸々、俊輔は知っていたのです。

まぁ、蔵六としても
世話する人員が1人増えたとしても
手間はほとんど変わらないわけで
別にいいよォ、と言いたいところですが、

それでも形式上、留学の計画はない! と突っぱねます。
突っぱねられても俊輔はニッコリ顔で
「そうですかぁー」と人の話を聞いていません。


3月11日、攘夷祈願の行幸が行われます。

その行列に向かって、平伏もしない晋作は
「よっ! 征夷大将軍!!」と野次を飛ばし、
仲間たちはビックリして逃げ出してきます。

晋作に聞けば、野次を飛ばした行列は天皇の行列であり
天皇に対する無礼であれば不敬だと騒がれましょうが、
天皇の行列に征夷大将軍への無礼を働いても
勝手に列を乱すわけにもいかないわけです。

ただ、将軍の従使たちはこの事件を悔しがり
長州藩に対する怒り、反発が増していきます。

かと思えば、いつまでもこんなことをしていても
長州は何も変わらない、と感じていた高杉。

日本が変わるためには長門周防2ヶ国が独立して
後の世のために力を蓄えなければならない、と
周布や小五郎に主張するのですが、
答えは決まって「10年早い」「10年待て」です。

だから晋作は、その10年間、自分の出番が来るまで
頭を丸めて山に籠って待っていよう、という考えで
3月15日に出家して名を「東行」と改めます。

西恵行久 人遠慕比天 東行久 心廼底曽 神也知留良武
(西へ行く 人を慕いて 東行く 心の底ぞ 神や知るらむ)


ロンドンに送り出す秘密留学生は総勢5名。
遠藤謹助・野村弥吉・山尾庸三・井上聞多・伊藤俊輔です。

皆、まげを斬り洋装に着替え小舟で港から出発。
途中で大型船に乗り換えて世界に旅立ちます。

彼らの髪は、しばらくの間
鋳銭司村の蔵六の家で保存されていました。


孝明天皇の強い要望により、14代将軍・徳川家茂は
5月10日をもっての攘夷実行を約束。
それに従って長州藩は、馬関海峡(関門海峡)を通過する
外国船への砲撃を無通告で開始します。

アメリカ商船ペンブローク号、フランスの通報艦キャンシャン号、
オランダ東洋艦隊メデューサ号がいきなりの砲撃で逃走しますが、
6月1日、その報復として送り込まれたアメリカ軍艦ワイオミング号は
長州藩軍艦を発見するや否や、砲撃して撃沈させます。

さらに6月5日、
フランス東洋艦隊セミラミス号とタンクレード号も報復の攻撃を加え、
陸戦隊を上陸させて砲台を占拠、民家を焼き払います。


長州藩主・毛利敬親の急な呼び出しを受けて、
晋作は山口政事堂を訪問します。
砲台がこんなにもろいものとは全く知らなかった敬親は
なんとかせい! と晋作を馬関海峡に送り込みます。

晋作は、長門の回船問屋で薩摩藩御用達の白石正一郎に
資金援助をしてもらい、奇兵隊を発足させます。
隊員はみるみるうちに増え、
いくつもの部隊が編制されるまでに成長しました。


そんな時、蔵六の元に訃報が舞い込みます。
蔵六の師・緒方洪庵が医学所頭取役宅喀血し、
亡くなったのです。

蔵六の慌てぶりは尋常ではなく
泣き叫びながら駆けつけますが、間に合わず。

大坂を離れ、江戸幕府からの要請で
奥医師 兼 西洋医学所頭取として江戸に出仕していた洪庵には
江戸行きは相当な覚悟だったのかも知れません。
それが結果的な大きなストレスを生んだという説も。

蔵六が来ると子供のように喜んだという洪庵は
いつも蔵六のことを気にかけていたことを知って
蔵六は号泣します。

その日の夜、適塾門下生という意味では
蔵六の後輩にあたる福沢諭吉から
蔵六は危ない藩に行った、大丈夫か? と
半ばバカにされたような言い方で言われますが、

「攘夷のどこが分からず屋だッ!」
蔵六は烈火の如く怒り出します。
その変化ぶりにおどろいた諭吉は
表情を強張らせたまま蔵六の前から姿を消します。


8月18日、長州藩の独走を憎んだ薩摩藩は
京都守護職の会津藩と手を組んで
長州藩を京から追い落としたのです。

三条実美ら長州派の公家7人は
ひとまず長州藩に身を寄せるため
雨の中、長州へ落ちていきます。
いわゆる七卿落ちです。


蔵六が江戸を離れ、長州に帰る時が来ました。

蔵六から技術を学んだ生徒たちは
最後の講義に当たり、涙を流しながら聴講します。
「縁があれば、また会おう」


原作:司馬 遼太郎
脚本:大野 靖子
音楽:林  光
語り:小高 昌夫 アナウンサー
──────────
[出演]
中村 梅之助 (村田蔵六)
米倉 斉加年 (桂 小五郎)
田中 健 (天堂晋助)
大竹 しのぶ (お里)
瑳川 哲朗 (白石正一郎)
金田 龍之介 (毛利敬親)
──────────
中村 雅俊 (高杉晋作)
志垣 太郎 (久坂義助(玄瑞))
尾藤 イサオ (伊藤俊輔)
東野 英心 (井上聞多)
波乃 久里子 (幾松)
秋吉 久美子 (おうの)
──────────
田村 高廣 (周布政之助)
加賀 まりこ (お琴)
宇野 重吉 (緒方洪庵)
──────────
制作:成島 庸夫
演出:斎藤 暁・村上 佑二・江口 浩之
   門脇 正美・三井 章

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