プレイバック花神・総集編第四回「徳川を討て」
慶応元(1865)年4月。
桂 小五郎が馬関に帰って来ているという
知らせを受け取った村田蔵六は、
鋳銭司から馬関への夜の道をひたはしりに走ります。
へとへとになりながら馬関に到着した蔵六は
律儀にも「立会人がいるな」と伊藤俊輔に白羽の矢を立て
俊輔を呼びに来た道を戻っていきます。
小五郎は、しばらく但馬で商人に身をやつしていました。
あるいはそのまま商人として一生を終える可能性もあったのですが、
幕府が長州を攻めるという噂を聞くにつけ
長州が滅びる、と慌てて帰国したのだそうです。
ただ、今すぐ山口へ連れて行こうという蔵六に
小五郎は、藩が必要だというまでは馬関に留まると言います。
自分の代わりに蔵六に山口行きを打診し
考えた防衛策を藩重役に具申してもらいたい、と。
突然の申し出に、私は口べたで、と真っ青になる蔵六ですが
小五郎は眼光鋭く蔵六を見つめています。
「しかし、あなたでなければならんのです」
小五郎帰国の報は、山口政事堂にいる面々を沸き立たせます。
蔵六は、小五郎の伝言を残さず披露しますが
それを聞く面々は、小五郎がなぜ蔵六を高く買い
彼を代理人としているのかはなはだ疑問です。
しかし、蔵六が小五郎に信じるに足る人物だと思われているのは
明らかでありまして、ここは納得するしかありません。
蔵六は単なる蘭書読みではなかったのです。
長崎最大の貿易商、イギリス人のトーマス・グラバー。
彼の元に、洋行を志願して高杉晋作と伊藤俊輔が訪問します。
しかしグラバーは、今は洋行の時ではないと晋作を説得。
イギリス人公使、パークスが来日して馬関の開港を進めるそうで
馬関を開港して幕府から独立したいと考える晋作は、
それを強く望んでいます。
ただ、藩内を説得するのは至難の業です。
長州藩は日本一、いや世界一の攘夷藩であるからです。
「酒……おやじ酒だーッ」
小さな飲み屋で、男が叫んでいます。
そんな彼を訪ねて来たのは、報国隊隊長の野々村勘九郎。
野々村は、男が晋作を斬りたいと言っていたのを知っていて
その暴走心を煽るべく、長府藩から馬関を取り上げ開港する
晋作の暴挙(と彼らは思っている)を男に伝えます。
まずは山口に押しかけ、晋作らに説得されて
馬関開港に踏み切った藩の面々をつぶそうと動き始めます。
「神代直人!?」
そう、男は神代直人という狂信的攘夷論者で
彼に狙われたら命はない、というほどの有名な刺客のようです。
晋作、俊輔、それに井上聞多は、開港を主張した自分たちが
野々村や神代にロックオンされたことに驚き、
3人それぞれ別々に逃げることにします。
井上は、そのまま九州に渡り
別府の博徒の子分になります。
そして晋作は、遊女おうのを連れて上方へ。
そこで晋作は、坂本竜馬という土佐の人物が
長州と薩摩の手を結ばせようと計画していることを知ります。
その話はおもしろい。
しかし、うまくやらないと藩内に反対の嵐が巻き起こる。
晋作はそうつぶやきます。
その後晋作は四国琴平に渡ります。
蔵六を前に、小五郎は頭を下げています。
いきなりの謝罪に驚く蔵六。
小五郎が謝罪したのは、かつて長州藩に蔵六を招いたときに
100石でお迎えする、と約束したのに
長州藩が蔵六に報いたのはわずか米25俵。
しかもそれを5年間据え置きというのです。
ただ、今回その約束をやっと果たせるということで
藩主毛利敬親からのお沙汰書が下されました。
馬廻役で禄高100石。
そのお沙汰書に目を通し「あぁなるほど」と軽く頷く蔵六に
小五郎は幾分か拍子抜けしていますが(笑)、
蔵六にとって大変だったのはこれからです。
100石取りの上士となると、身辺がいろいろ変わるのです。
諸事 役人が説明するでしょう、と小五郎に言われ
その役人のところに話を聞きにいくと、いきなり
「村田蔵六という名もまずいですなぁ」
“村田”は百姓身分で医者だった時の仮の姓であり
この村田姓を使う者はほぼいない。(村田清風先生ぐらい?)
山陰、山陽あたりの村の地名から新たに作ってくれと言われ
不機嫌そうな表情になりながら、考え出した名前が──。
『大村益次郎』
大村は、鋳銭司村 字大村という地名から、
益次郎は、彼の父親・藤村孝益から一字もらったのです。
紙に書いておかんと亭主の名を忘れるぞぉ!
孝益から笑われて、つられて笑うお琴です。
薩長連合の話をまとめに、竜馬が馬関に入ります。
長州が薩摩に持つ恨みを考えれば、
すんなりと受け入れることは出来ません。
これは小五郎とて一緒です。
しかし、小五郎は将来のため、受けるつもりです。
薩摩の西郷吉之助を連れて、竜馬の仲間である
中岡慎太郎が馬関にやってくる手はずでした。
会見の席は、白石正一郎邸です。
……が。
「西郷が来ないと言うのか!?」
佐賀関あたりまでは馬関に来るつもりであった西郷は
急きょ京に向かうことになり、
中岡ひとりが馬関に向かったというわけです。
日ごろ温厚の小五郎も、泥を塗られたと大激怒です。
例えて言うなら、
見合いの席を設けて男が待っていたけれど
女はついにやって来なかった。
となれば、男の面目丸つぶれ──。
大笑いする竜馬は、小五郎が軍事を任せている益次郎に
銃はいらんかね? と問いかけます。
益次郎は、銃はもちろん欲しいと考えています。
しかし長州に売るという商人がいない以上、
1,000丁ですら難しい状況です。
竜馬は、2〜3ヶ月待ってくれれば
4,000〜5,000丁はなんとかなるろう、とあっさり。
竜馬は亀山社中というカンパニーを作り、
薩摩藩の商いを任されていて、
外国商人から薩摩藩が買った銃を
そのまま長州藩に流す、というわけです。
8月中旬、亀山社中を通じて買い入れた
ミニエー銃4,300丁、ゲベール銃3,000丁が
三田尻に陸揚げされます。
この時期、14代将軍徳川家茂は大坂城にあり
長州藩に降伏を迫っています。
益次郎の元に、イネが訪ねてきました。
5日間滞在し、新しい学問についてイネは話し
益次郎はひたすらに聞きます。
「楽しかった」
益次郎がそうつぶやいたとき、イネの気持ちが爆発します。
女がひとりで学問を修得していく困難さを
益次郎は理解していない、とイネは強く思ったわけです。
新しい学問について、いつか益次郎に披露できる日を夢見て
それを励みに困難にも立ち向かって学問を修得して来たのに。
学問はしたくてするものであって
他人のためにするものではない、自分のためですらない。
そう力説する益次郎に、イネは「違います!」と反発。
自分の気持ちを、益次郎は理解してくれない。
恋よりも、戦争のための明日の仕事が大事というのは
イネには分からない。
失意のまま、早暁にイネは出立します。
その姿を、涙を流しつつ黙って見送る益次郎です。
鋳銭司に戻ってきた益次郎ですが、
家に帰っても、元気なお琴の姿がありません。
掃除もなされている形跡もないし、
いろりに火も焚かれていません。
居間に入ると、お琴は寝込んで病床に伏していました。
病を得て7日目なのだそうです。
医者を呼ぼうにも、医者の家に医者を呼ぶわけにも行かず
お琴はただひたすら横になるしかなかったようです。
7日……。
益次郎が指折り数えると、ちょうどイネと
一つ屋根の下に暮らしていた時期とピッタリ合致します。
「じいさまの代から家宝のように持っていたが……使うちゃれ」
たんすから朝鮮人参を取り出し、お琴には替えられないと
益次郎は朝鮮人参を煮詰めて薬を作ります。
慶応2(1566)年正月22日、
薩摩と長州の軍事同盟が成立。
いずれかの藩が幕府と戦って
「勝ちそうな場合」「負けそうな場合」「戦が起こらなかった場合」
を6ヶ条にまとめます。
この時から、時勢は討幕へ──。
6月、幕府は第二次長州征伐を発して
長州藩は再び朝敵となります。
幕府軍は長州藩に対して、藩主親子の蟄居と
小五郎ら過激藩士たちの出頭を命じてきますが、
何を今さら、と無視するつもりです。
幕府には東洋一の軍艦がありますが、
その弱点は、燃料補給基地が必要なことです。
幕府軍は周防大島を奪おうとするでしょう。
益次郎は、大島を捨てるとあっさり決断します。
6月7日朝、大島に射撃を加え
8日には射撃を続けつつ陸軍隊が上陸。
10日、軍艦は久賀沖に集結し久賀を占領。
12日夜、馬関にいる晋作は幕府艦隊に一斉射撃を命じ
その損害はとても大きく、誤って味方同士で撃ち合うことにより
被害は更に広がっていきます。
13日、芸州口に幕府軍主力が集結。
彦根藩に越後高田藩であります。
戦国時代を思わせる時代遅れの幕府軍に対し
洋式銃に行動性を高めた戦闘服の長州藩は
圧倒的勝利を収めます。
しかし幕府軍は2度目の戦いで紀州軍をつぎこむなど
続けての負けはあるまい、と
益次郎は石州口に自ら赴いて陣頭指揮を執ります。
そして6月19日、益田戦争が始まります。
ただ、今回は益次郎の予測とはかけはなれた戦争が行われています。
兵士が戦国時代にいるつもりなのか
名乗りを上げて一騎打ちする有り様で
そんなようではいつまでたっても幕府軍を倒せはしません。
益次郎は、勝手な一騎打ちをやめさせ
命令通りの戦闘を厳命します。
同じころ、晋作も山県狂介とともに小倉口で砲撃を開始。
門司田の浦の海岸が炎上します。
いったん船で戻ってきた晋作は、帰ると倒れ込んでしまいます。
晋作は、自分の身体の異変にうすうす気がついていました。
「高杉さんが労咳!?」
あまりにも具合が良くならないので、医者に見せたところ
労咳に間違いないとの診立てです。
それを聞いた山県と時山直八は、
あまりにショックで言葉が出ません。
ただ、高杉は病床にあっても小倉戦争の作戦を練っているようで
山県も時山もとりあえず晋作についていくことにします。
8月1日、小倉城が炎に包まれます。
しかし小倉戦争が終結するのは翌1月のことです。
晋作の最期の時が迫っていました。
「大村に仰げ」
今後の奇兵隊は、益次郎に指示を仰げ、と
晋作は途切れ途切れに山県に言います。
おもしろき
こともなき世に おもしろく
その上の句を受けて、野村望東尼は下の句を継ぎます。
すみなすことは 心なりけり
「おもしろいのう」
その出来を見て、晋作はつぶやき、
慶応3(1867)年4月14日 午前2時
27年の生涯を、静かに閉じます。
歴史は晋作の死を越えて
更に激しい沸騰の時期に突入しようとしています。
原作:司馬 遼太郎
脚本:大野 靖子
音楽:林 光
語り:小高 昌夫 アナウンサー
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[出演]
中村 梅之助 (村田蔵六(大村益次郎))
米倉 斉加年 (桂 小五郎)
西田 敏行 (山県狂介)
田中 健 (天堂晋助)
大竹 しのぶ (お里)
秋吉 久美子 (おうの)
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草笛 光子 (野村望東尼)
夏八木 勲 (坂本竜馬)
瑳川 哲朗 (白石正一郎)
尾藤 イサオ (伊藤俊輔)
東野 英心 (井上聞多)
波乃 久里子 (幾松)
花柳 喜章 (西郷吉之助)
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中村 雅俊 (高杉晋作)
加賀 まりこ (お琴)
浅丘 ルリ子 (イネ)
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制作:成島 庸夫
演出:斎藤 暁・村上 佑二・江口 浩之・
門脇 正美・三井 章
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