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2015年2月24日 (火)

プレイバック翔ぶが如く・(06)庭方役拝命

安政と改まった1854年3月6日、
ようやく江戸に到着した薩摩の大名行列。
50日の予定だった行程も、46日と
4日も短縮するほど急ぎ旅でありました。

しかし、斉彬が江戸の薩摩藩邸に到着した3日前に
日米和親条約が締結されてしまっていました。

斉彬は、幕府から許可が下りた軍船建造について
なんと15隻を作る計画です。

老中の阿部正弘は、うち3隻を
幕府に譲ってくれないかと持ちかけますが──。
「売る気はございません。献上仕る所存」


西郷吉之助が江戸に到着して、
江戸留学の第1組である大山格之助や有村俊斎、樺山三円は
吉之助の歓迎会と称して遊郭へ西郷を連れて行こうとします。

そげな金は持っちょらん! と吉之助は大激怒。

そもそもそんなために江戸に来たわけではないし
苦労して金を工面してくれた家族や
大久保正助たちのことを考えれば、それも至極真っ当かと。
西郷は、初めての江戸の町を藩邸に帰る羽目になりました。

吉之助は、夜の見回りに出ていた新門辰五郎と金太と会い
何とか三田の薩摩藩邸に戻ることが出来たようです。


江戸に到着して10日が経過しましたが、
吉之助はまだ奉公らしい奉公はしていません。
今朝も格之助や俊斎を見送って、
長屋で正助に手紙を書いています。

その届けられた手紙を
大久保正助が西郷家の面々に読み聞かせているとき、
俊がフッと意識を失って倒れてしまいました。


4月半ば、吉之助は斉彬に召し出されます。

斉彬は、初めて江戸に来た吉之助に
第三者として江戸をどう思うか問うてみます。

江戸に到着した吉之助は黒船のことが気になり
視察も兼ねて見に行ってみましたが、
敵を迎え討つ心構えと警備の薄さに驚き、

そして、国元の貧しさを考えれば、
自分たちも白米を口に出来ることを
少々疑問に思っているようです。

「あまり小さなことにこだわらず、もっと大局を見よ」
自分が今まで気がつかなかった百姓のことに気づかせてくれた
吉之助の建白書のこともあり、斉彬は吉之助を
“もう一つの目”として庭方役に命じます。

お目見え以下(殿に会うことが許されない身分の者)が
斉彬に会う場合、事前にいろいろと手続きを踏む必要がありますが、
お庭役とは、いつでも斉彬の命を受けられるお役目です。

その日から、斉彬による吉之助の教育が始まりました。
外交に始まり、通商、特産……。

それもこれも、水戸藩の徳川斉昭にも
「最近、いいものを手に入れました」と自慢するほどの
人材であったからであります。


吉之助は、斉彬の命で藤田東湖にも会いに行きます。

東湖は水戸藩の人間でして、そんな彼に教えを請うたびに
吉之助は、少しずつ東湖の攘夷論にかぶれていきます。

つまり、いま斉彬がやろうとしている
軍艦製造によって海外の敵に備える動きは分かるものの
その一方で、海外のものを次々に導入する「蘭癖」は
尊皇の志とは違う道なのではないか。

吉之助は率直に、死を覚悟でその疑問を斉彬にぶつけてみます。

その方、そもそも今がどのような時と思うておる!

「尊皇」とは、御上を敬うことである。
御上の御心を案ずるために攘夷を叫ぶこといかにも多し。
じゃが蒸気船のひとつも持たず、如何にして夷敵が討てるのじゃ!

異国船の大砲の前に、
江戸の警護があまりに手薄と申したはその方である。
ワシはさればこそ、技術が大事と申したはずじゃ!
しかも、改革の力となるのはその方たち若い者の務めである!

物事を学ぶ努力を忘れて、過激に走り空騒ぎするだけでは
この日本国はいったいどうなると思うのだ!
西洋かぶれも攘夷かぶれも愚の骨頂!
真実に迫ろうとしないで何とする!

目からウロコで感涙している吉之助に
斉彬は「死ぬことまかりならぬ!」と命じます。
その代わり、藩の攘夷かぶれの者たちを説得し
斉彬の思いを伝えていってほしいとも。


薩摩の正助から吉之助に手紙が届きました。
俊が流産してしまった、ということです。

吉之助に申し訳ないことをした、と
俊はひどく気落ちしていましたが、
それも西郷家の面々が励まし続け
何とか気力も回復したところです。

吉之助は、すぐに駆けつけてやれない状況で
俊に申し訳ないことをしたと思いやり
流れた子どもに手を合わせます。


斉彬が原因不明の病気にかかったのは、間もなくのことです。

高熱が続き、重篤の病状というのに夜は全く休めない。
幾島が想像するに、呪詛によるものかと──。

「何ちな!」
吉之助は斉彬の平癒を祈り、水に打たれます。


安政元(1854)年4月、
西郷吉之助は島津斉彬の「御庭方役」となり、
斉彬から直接教えを受けるようになる。

慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで


あと13年6ヶ月──。

(『篤姫』では「(15)姫、出陣」付近)


脚本:小山内 美江子
原作:司馬 遼太郎「翔ぶが如く」より
音楽:一柳 慧
題字:司馬 遼太郎
語り:草野 大悟
──────────
[出演]
西田 敏行 (西郷吉之助)
鹿賀 丈史 (大久保正助)
南 果歩 (西郷 俊)
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田中 好子 (喜久)
大路 三千緒 (西郷きみ)
蟹江 敬三 (大山格之助)
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樹木 希林 (幾島)
大山 克己 (藤田東湖)
若林 豪 (阿部正弘)
──────────
富司 純子 (篤姫)
草笛 光子 (由羅)
三木 のり平 (新門辰五郎)
加山 雄三 (島津斉彬)
──────────
制作:吉村 文孝
演出:望月 良雄

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