プレイバック翔ぶが如く・第一部幕末編(07)篤姫お輿(こし)入れ
薩摩藩藩主・島津斉彬の重体は続いていました。
連日お庭に詰めて祈り続ける西郷吉之助は無精髭が生え
側室・喜久、養女・篤姫たちも
病気平癒を祈り続けるしかありませんでした。
その祈りの甲斐あって、典医曰く「峠は越した」と。
幾島からの知らせを聞いて、吉之助は安堵し涙をこぼします。
吉事は重なるもので、篤姫の縁組みと
嫡子寅寿丸の縁組みも整ったようで、
斉彬は、これを機に高崎崩れ(お由羅騒動)で処罰された者たちの
処遇を全て解くことにします。
「正は邪に勝ちもしたな、吉之助さぁ」
話を聞いた大山格之助や有村俊斎は喜びます。
しかし、正義がまっすぐに通らないことが時には起こります。
婚儀が整ったばかりの寅寿丸が高熱と下痢で衰弱し、
6歳という短すぎる生涯を終えました。
お由羅による呪詛調伏の噂がますます真実味を帯びてきました。
しかしここは、高輪屋敷のお由羅のみを斬ったところで
根本が絶やされていなければ意味がありません。
吉之助は大久保正助に手紙を書き、
正助が薩摩で同志を募っている間に
呪詛調伏の動かぬ証拠を集めることにします。
格之助は、
今回の同志の集まりを『誠忠組』と呼ぶことを提案。
吉之助も賛同します。
斉彬に呼び出された吉之助。
斉彬は吉之助たちの企てを知っていました。
これ以上わしを苦しめるな、と
斉彬は企てを諦めるように命じます。
高輪屋敷から“六歳男子”と書かれたわら人形を発見し
動かぬ証拠を得てこれからという時だったのですが、
これでお由羅一派を討って先代斉興派の怒りを買い、
また薩摩をまっ二つに割る方が斉彬には耐えられないわけです。
斉彬は斉興に、島津久光の子・又次郎を
自分の跡継ぎとしたいと言い出します。
お由羅は、跡継ぎ決定は 身ごもっている喜久の
出産を待ってからでもいいのではと言いますが、
病気で伏しがちになったこともあり、斉彬は
決めるべきは決めておかねば、と強行します。
お庭でそれを漏れ聞いた吉之助は、
斉彬が言う通り企ては思いとどまることを約束しますが
又次郎に後を継がせることだけはなりませんと進言します。
現在46歳の斉彬は、これから仮に10年生きたとしても
産まれてくる子が男の子だったとしてもわずか10歳であり
その10歳の子が薩摩を背負うのは大きすぎると判断したのです。
さらに、呪詛調伏を信じないと言ったところで
またも我が子の命を狙われることが堪え難く……。
「吉之助……子をなくして嘆かぬ親があると思うてか」
初めての子を流してしまったばかりの吉之助は、
斉彬にこれ以上は何も言えませんでした。
後日、斉彬に呼び出された吉之助は
幾島とともに篤姫お輿入れについての調整役を命じられます。
お輿入れ先は……大奥、将軍家です。
幾島に、居室に案内される吉之助。
「ここが私の部屋です。どうぞお入りやす」
お庭役の吉之助は、幾島の部屋に上がるのを躊躇しますが
天下国家の大事な相談をお庭の立ち話でするのもどうかと思いますし
かといって近衛家老女で篤姫の教育係でもある幾島が
吉之助が暮らす男臭い長屋を訪ねるというのはもっと無理です。
障子や襖をすべて開け放つ幾島に、吉之助は
怪しい行動は絶対にしませんから
大事な相談は障子襖を閉じてしましょうと言えば、
障子襖を全て開け放つのが盗み聞きされない一番の方法と返します。
飄々とした幾島ですw
吉之助が篤姫お輿入れに関して根回しを図るべく
水戸家や越前家に出入りする一方で、
幾島は大奥内に残るつてを頼って必死の工作を続けます。
吉之助が赴いた水戸家では
やはり、近衛家養女となったとはいえ
島津分家の娘を将軍御台所に入れるとは言語道断と
水戸の徳川斉昭は横やりを入れてきました。
しかし、藤田東湖が考えるに
斉彬は将軍家定のその先を考えているのでは、と。
つまり、病弱でお世継ぎがいない家定が薨去すれば
通常であれば徳川御三家、御三卿から世継ぎを選ぶ決まりです。
ただ、尾張家・紀伊家・水戸家を見渡した時に
将軍となり得るのは、わずか9歳の紀州慶福。
将軍という重責をわずか9歳の子どもが担うのは難しく
そうなると、御三卿のひとつ一橋家の当主の慶喜しかおりません。
斉彬の狙いめはそこなのです。
ついでに一橋慶喜は水戸家から一橋家に養子に行った
斉昭の七男坊で、斉彬の思惑を知った斉昭は
先ほどまで反対を唱えていたのに、態度を軟化させます。
「うむ……いかにものう」
こうした紆余曲折を経て、
篤姫が将軍家にお輿入れが整ったのは
安政3(1856)年のことであります。
将軍家お輿入れの前夜、斉彬は篤姫に
まだ話していないことを打ち明けます。
将軍後継者について、一橋慶喜にすると
将軍徳川家定に言ってもらうことが
篤姫のお役目でありますが、
家定には、病弱ゆえに夫婦の契りも見込めず
恐らくは子は授からないだろう、と。
篤姫は、それでも精一杯の笑顔で答えます。
「命かけて、仰せのこと果たしまいらせます」
その場にいた幾島や吉之助も、篤姫自身も涙が溢れ
杯の用意を、と幾島に命じた斉彬も目に涙を浮かべます。
涙の門出です。
安政3(1856)年11月、
島津斉彬、近衛忠煕の養女・篤姫が
第13代将軍・徳川家定の正室となる。
慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで
あと10年11ヶ月──。
(『篤姫』では「(16)波乱の花見」〜「(18)斉彬の密命」付近)
脚本:小山内 美江子
原作:司馬 遼太郎「翔ぶが如く」より
音楽:一柳 慧
題字:司馬 遼太郎
語り:草野 大悟
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[出演]
西田 敏行 (西郷吉之助)
鹿賀 丈史 (大久保正助)
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田中 好子 (喜久)
井上 孝雄 (堀田正睦)
大山 克己 (藤田東湖)
蟹江 敬三 (大山格之助)
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樹木 希林 (幾島)
北村 和夫 (大久保利世)
若林 豪 (阿部正弘)
草笛 光子 (由羅)
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富司 純子 (篤姫)
金子 信雄 (徳川斉昭)
三木 のり平 (新門辰五郎)
加山 雄三 (島津斉彬)
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制作:吉村 文孝
演出:木田 幸紀
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