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2015年4月15日 (水)

バス停について本気出して考えてみた(108)

終点停留所の旅“たそがれ”第78弾です。

今回はF岡県北K州市M司区の
M司学園中高バス停をご紹介します。


Mh2244

M司学園中高前。


Mh2243

あ、バスが到着しました。


Mh2246

このままバスについていけば、転回場が分かるかも、と
のんびりついて行きますが、
何ぶんワタクシ徒歩なもので、ことのほか遠く
転回場に着いたと同時に、先ほどのバスは
折り返して行ってしまいました(^ ^;;)

学園のすぐ隣にある海浜公園入口。
青い看板とフェンスの間に、先ほどのバスのおしりが
ちょこっと写っているのが見えます?


Mh2247Mh2248

はい、というわけで転回場はすでにもぬけの殻。
結構広い転回場です。


Mh2249

取材を終えて転回場を後にし、来た道を戻っていた時に限って
バスがやって来るんだよなぁー。
転回場まで慌てて走った走った(照)。

日ごろの行いが悪いのか? 良いのか?w


もともとは別に存在していた
「F岡県立M司高等学校」と「F岡県立M司北高等学校」の2校を、
県内高校再編にあわせて統合して生まれた
“併設型公立中高一貫校”がこの「M司学園中高」であります。

平成16(2004)年4月に「M司学園中学校」が
「F岡県立M司北高等学校」内に開校し、
その3年後の平成19(2007)年4月に「M司学園高等学校」が
「F岡県立M司高等学校」内に開校。

「F岡県立M司北高等学校」と「M司学園中学校」、
そして「F岡県立M司高等学校」と「M司学園高等学校」が
平成21(2009)年3月まで各敷地内で共存(?)していましたが、
4月には「F岡県立M司高等学校」「F岡県立M司北高等学校」が閉校し、

平成24(2012)年4月に
「F岡県立M司高等学校」跡にあった「M司学園高等学校」が
「F岡県立M司北高等学校」跡の「M司学園中学校」に移転して
現在の形になった、という紆余曲折を経ております。

Mh2251Mh2250Mh2252

結局のところ、ええっと……。

今回取材しているのは
元「F岡県立M司北高等学校」ということになりますな。


Mh2245Mh2254

“混雑による事故防止のため”[60]M司駅方面ゆきバスは
その校門前からの乗車です。


Mh2253

学校などの教育施設の場合は特に
非常時以外はほぼ絶対に立ち入ることが出来なさそうな屋上に
太陽光発電施設を作るという学校、増えてきました。


Mh2255

「猿喰新田」とは
「享保の大飢饉(江戸時代中期・徳川吉宗の時代)」をきっかけに
餓死から人々を救うため、湾を干拓して作った大きな大きな新田のこと。

「汐ぬき穴」とは稲作が早くできるように作った穴で、
潮の満ち引きを利用して仕切り板が開閉する構造。
干潮時には新田側から排水がなされ、
満潮時には扉が閉じて海側からの浸水を防ぐシステム。


Mh2256

私財を投入して猿喰湾を干拓し、
汐ぬき穴を作ったのはこの人。


Mh2257Mh2258

Mh2259Mh2260

説明をいろいろ重ねてみたものの、
イマイチ理解していないワタクシ(^ ^;;)

地図で確認してみると、汐ぬき穴はこの先のようです。

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