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2015年4月24日 (金)

プレイバック翔ぶが如く・(11)大獄の嵐

安政5(1858)年7月。

薩摩藩定宿・鍵屋に入った西郷吉之助は
女将のお房から手紙を受け取ります。

鹿児島からの手紙には、
藩主の島津斉彬が亡くなったことが触れられており
衝撃のあまり、吉之助は魂を抜かれたような放心状態に。

それでも、何とか気を張って
近衛忠煕と月照には斉彬の死を伝えなければなりません。

京の警護をしに薩摩兵がやってくる。
そのために忠煕と月照は尽力したのですが
斉彬が急死したと聞き、言葉を失います。

国に帰ります、と頭を下げる吉之助を見て
月照は何かを察知したようで
夜おそくに鍵屋に押しかけ、吉之助と向かい合います。
「西郷はんは、お殿さんの後を追うて死なはるおつもりですな」

ここまで見抜かれては、正直に胸の内を明かすしかありません。

忠煕、月照へのお詫びも込めて、斉彬の墓前で切腹するという
考えの吉之助に一定の理解を示しつつも、
後を追って斉彬が喜ぶか? 斉彬の遺志は? と優しく問いかけます。
「一番信頼してたご家来に裏切られたいうことになりますなぁ」

おいが間違っちょいもした、と
吉之助の大きな目から涙がポロポロと落ちます。


吉之助は、引き止めにきた月照と
求めに応じてかけつけた吉井幸輔、伊地知正治と
水戸藩の人間とともに運動を起こすことにしました。

すなわち、大老井伊直弼を罷免して
水戸老公徳川斉昭、尾張徳川慶篤、
越前松平春嶽の処分取り消しを求めていく運動です。

この運動は一つの成果を上げることが出来ました。
水戸藩と幕府に対して勅状が出されることになったのです。

水戸と尾張が謹慎させては天下の不安となるから
御三家御三卿、外様譜代の諸大名が集まって
国内平和のために徳川家を助けて異国の侮りを受けぬよう
真心を尽くせ、というものであります。

勅状の内容には不足はありませんが、
気になるのは水戸藩の動きです。

吉之助がかつて会ったことのある藤田東湖はじめ
斉昭の家臣たちは、世間が望むような活動は
出来ないらしいという噂もあって、
吉之助は処分後の水戸藩に立ち入ってみることにします。


吉之助は昼も夜も駕篭を乗り継ぎ、
京から江戸まで4日半という短期で移動します。

江戸では、吉之助が想像していた以上に
井伊大老の弾圧が吹き荒れていました。
斉昭らを江戸で捕縛するらしいという
とんでもない噂が飛び出るほどです。

その捕縛には、町火消したちを繰り出すという話を聞いて
吉之助の脳裏に、を組の新門辰五郎のことが浮かびます。

水戸藩家老・安島帯刀邸を訪問した吉之助でしたが、
「ご老公には謹慎中ゆえ身動きすること叶わなければ……」
朝廷からの手紙は、水戸家へ渡さずに
引き下がってくるしかありませんでした。

ひとまず勅状は、有村俊斎を介して月照に返却し
吉之助はしばらく、江戸の様子をうかがうことにします。
もし薩摩が京都守護に当たっていれば、
水戸家や尾張家が何か行動に出た場合に
格好のお味方になる可能性があるからです。

しかし、吉之助による江戸情勢の知らせが京に届かぬうちに
京都から、正式な勅状が幕府と水戸藩に下されたわけです。

いつから朝廷は幕府に対して権限を持つようになったか、と
立腹した井伊大老は、水戸藩に対し
勅状を諸藩に廻すことを差し止めさせます。

井伊大老としては、独断で処分した水戸藩に対し
朝廷から勅状が届いたとあっては
政治の方針を根底から覆されてしまいかねないわけです。


朝廷内では、一橋派が人事を刷新し
関白は、井伊派の九条尚忠が辞めて
一橋派の近衛忠煕が就任することになりました。

吉之助は、井伊大老のやりかたを目の当たりにして
その誤った方針を改めさせるためにも、
改めて勅状を諸藩に回す工夫が必要だと考えています。

その後に水戸藩への処分を無効とし、雄藩連合を作って
幕閣より井伊派を駆逐するというのが、
亡き斉彬の考えに合致するものです。

ただ、井伊大老は
九条が関白の座から追われたことに激昂。
老中の間部詮勝を弾圧の名目で上京させ
今回の運動を起こした者たちを全員処罰するというものです。

井伊大老の懐刀・長野主膳も彼の密命を受けておりまして
長野の動きは迅速でした。
翌日から逮捕される志士たちが急増。
『安政の大獄』が始まったわけです。

そして長野らは、清水寺成就院にまで目をつけた様子。
成就院には、月照がおります。
吉之助は、忠煕の意向を受けて月照を匿うことになりました。

その日の夜、捕り方が鍵屋を取り囲みます。
有馬新七と伊地知正治は、主の機転でうまく逃げることに成功。
お房も、吉之助が遊女にうつつを抜かして
遊女屋にいるなんて口が裂けても言えまへん! と見事に暴露w

それにつられて捕り方は遊女屋へ急行しますが
もちろんそれは、捜査を攪乱させるための
お房の口からでまかせです(笑)。


俊斎を先頭に、月照をかごに乗せての逃避行です。

関所が見えてきました。

俊斎は、このまま関所を突破するのは難しいため
月照の命をいただき、奉行所に突入して
全員死のうと吉之助に提案しますが、
おはんは黙っちょれ、と一蹴されます。

関所横の茶店に駕篭を着け、吉之助の大芝居です。

駕篭の中の人物を嫁、先頭の俊斎を婿と見立て
朝早く出発したために小休止、という設定で
京ことばをぎこちなく発していますw
「こげん朝が早いと、かないまへんなぁ」

なんとかここはクリアできましたが、
伏見での厳重な警戒ぶりに
奈良に向かっていた吉之助は予定を変更し
薩摩で匿うことにします。

大坂から船で下関へ向かい、豪商白石正一郎を頼ります。
彼は尊王攘夷の気持ちが熱く、信頼できる男です。
月照をここに留まらせ、俊斎も月照につけて
吉之助は先に薩摩入りし、月照を匿う準備に奔走します。

そのころ京都では
月照と、彼を匿っているであろう吉之助の情報が
似顔絵とともに“人相覚”という立て札が
奉行によって各所に立てられています。


薩摩に戻った吉之助ですが、重臣たちに
近衛家とのつながりを説いて月照を匿うべきと主張しても
お家大事と見た重臣たちは、首を縦に振りません。

そんな時、俊斎が鹿児島に戻ってきました。
俊斎の声を聞いた途端、吉之助は大激怒。
一度、月照の命を奪おうと考えた俊斎ですので
もしや、と考えたのかもしれません。

俊斎は単純で、福岡藩の平野国臣という
福岡から下関周辺の事情に明るい人物に月照を託し
月照を匿えるように藩内で運動を起こそうと
吉之助の後を追って来たわけです。

しかし、吉之助にはそれこそ余計なことなのです。
「こげな男に、月照様を委ねたおいがバカじゃった」


10月25日、紀州家から徳川将軍家を継いだ
慶福改め徳川家茂が征夷大将軍の座に就きます。
わずか13歳であります。

吉之助は、斉彬の墓前で手を合わせ
月照を命を変えても守り抜き、
この薩摩で匿うことを誓います。


安政5(1858)年9月14日、
孝明天皇が水戸藩に勅書(戊午の密勅)を下賜する。

慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで


あと9年1ヶ月──。

(『篤姫』では「(29)天樟院篤姫」〜「(30)将軍の母」付近)


脚本:小山内 美江子
原作:司馬 遼太郎「翔ぶが如く」より
音楽:一柳 慧
題字:司馬 遼太郎
語り:草野 大悟
──────────
[出演]
西田 敏行 (西郷吉之助)
鹿賀 丈史 (大久保正助)

賀来 千香子 (大久保満寿)
──────────
萬田 久子 (お房)
蟹江 敬三 (大山格之助)
──────────
樹木 希林 (幾島)
伊藤 孝雄 (長野主膳)
柳生 博 (近衛忠煕)
──────────
神山 繁 (井伊直弼)
野村 万之丞 (月照)
三木 のり平 (新門辰五郎)
──────────
制作:吉村 文孝
演出:望月 良雄

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