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2015年5月 5日 (火)

プレイバック翔ぶが如く・(14)桜田門外の変

万延元(1860)年1月。

脱藩・突出について、薩摩では
藩主の父・島津久光が、藩を挙げて出兵すると言い
誠忠組の考えも、久光に行動を合わせるものになりましたが、
江戸では相変わらず、水戸藩らと歩調を合わせるものでして、

ここで明らかな温度差が出始めておりました。

状況が変わった、と薩摩側では
しばらく待てという久光の命令に従い
江戸側では、3月20に決起すると決定。
薩摩にいる誠忠組にも、同調するように説得に来ます。

これ以上は武士の面目の問題です。
懇願を受けた大久保正助は、誠忠組が江戸に向かえるよう
谷村愛之助に掛け合ってみます。

3月には、藩主島津茂久が
参勤交代で江戸に向かうことになっています。
3月20日は、おそらくその参勤の途中でしょう。
もしも変事が起きたとき、茂久の身を守るためにも
大久保は、参勤に誠忠組を加えてほしいと願い出ます。

しかし久光は、それを殊勝な心がけと褒めつつも
変事が起きた際の出兵は、久光自身が先頭になって
行うという態度を変えておりませんで、
変事が起きていない現在、誠忠組を供させる道理がありません。


19歳、よか二才に成長した西郷信吾は
西郷吉之助・西郷吉二郎の弟です。
そして幼なじみの岩山いとは年頃の女の子。

ふたりとも、日本、薩摩の動向に興味津々で
ちょっと背伸びしたがるお年頃のようです。
いとは正助にも、いろいろと疑問をぶつけてみますが
あの正助でさえ少々呆れるほどです。


決起の日が近づきつつあります。
久光の、しばらく待てという命令を守る正助に対し
有馬新七や吉井幸輔、そして一度は翻意した有村俊斎までも
脱藩しかないと立ち上がろうとします。

「そン前に、おいを斬ってからにしやんせ」
吉之助不在で留守を預かる正助は、誠忠組分裂を
食い止められなかった責めを負おうとします。

君命は命より重い、たとえどんなことがあっても
国の首領の言葉には背くなと教えられた薩摩武士の正助には
命令に背いて脱藩とは考えられなかったわけです。

そして、吉之助の戒めを守る約束で
誠忠組に入った信吾には腹を斬れと命じます。
機が整うまでは待てという吉之助の言葉を
弟である信吾が背き、裏切るのは、ただでは済みません。


江戸では、3月20日の決起が早められておりました。
時に3月3日辰の刻(午前8時)、江戸城桜田門付近──。

決起の指揮者は水戸藩の関 鉄之助。
浪士勢力は18名、うち薩摩からは
ただ一人、俊斎の弟 有村次左衛門のみが参加していました。

雪の降る中を、静かに進む駕篭。

何も関係ないふりをしてすれ違う時に
鉄之助は、護衛の武士たちの刀が皮で覆われ
紐で堅く縛られているのを目で確認します。

「捧げまつるーっ! 捧げまつるッ!!」
武士が行列を遮り、手をつくのを合図に
鉄之助は合図の鉄砲を空に向けて放ちます。

一斉に行列に斬り掛かる浪士たち。
護衛の武士たちも応戦しようとしますが
凍り付くのをふせぐために皮で覆っていたのが仇となり
刀がうまく抜けず、その間に倒されてしまいます。

そして次左衛門の刀が駕篭の中へ。
確かな手応えがあり、刀を抜き取ると
駕篭の中から井伊直弼が脇差しを抜いたところで
崩れ落ちてきました。

「井伊掃部頭、討ち取ったぁーッ!」

襲撃成功の知らせを受け、
これまた俊斎の弟である有村雄助は大急ぎで薩摩へ戻ります。
数日後、参勤交代のために鹿児島を出発した参勤交代の一行と
彼は遭遇することになります。

無事に鹿児島に帰って来た雄助。

しかし彼に藩が下した裁決は思いもよらぬもので……。
決定後 即日切腹、となりました。

これは久光が出した決定ではなく、藩の重役たちのものでして
誠忠組の面々が雄助の助命嘆願に動いたところで
久光でさえもその決定を動かすことはままならず、
全く意味をなさないものになる可能性は大きいです。

雄助どんと共倒れするわけには行きもはん、と
正助は涙を飲んで雄助の切腹を受け入れます。
その日の夜のうち、雄助は
兄・俊斎の介錯で切腹して果てました。


奄美大島にいる吉之助(菊池源吾)にも、
桜田門外の変事について知らせる文が届けられました。

吉之助も井伊大老による大獄の被害者でありまして、
その首を薩摩武士が落としたことは
とても喜ばしいことであります。
浜で、雄叫びを上げて刀を振る吉之助です。

だんな様はどうしたのかしら、と
愛加那は吉之助に詳細を尋ねますが、
吉之助の話はとても血なまぐさすぎて
愛加那は気分が悪くなって座り込んでしまいます。

愛加那は、吉之助の子を身ごもっていたのです。

「男の子を産んでくりやい」
吉之助は愛加那に、そっと言います。

吉之助には、愛加那との子が
雄助や、井伊大老の首をあげて切腹した次左衛門、
さらには井伊大老に処罰された橋本左内らの
生まれ変わりのように感じられて仕方ありません。

しかし、吉之助にとって初めての子どもであるのと同時に
愛加那にとっても初めての子どもです。
吉之助によって政治的な生まれ変わりに勝手にされてしまい
愛加那は珍しく反発します。


正助は、久光と初めて対面します。

正助は久光に、今回の決起の手はずを明かします。
すなわち、井伊大老を討ち取った後
江戸城内の紅葉山にも火を放ち、
幕府重役たちをも討ち取る予定でした。

その上で、幕府が異国と結んだ条約を全て白紙に戻させる。
これを水戸藩の志士たちが実行したとき、
薩摩は挙兵して、朝廷の守護にあたる約定があったわけです。

この機を逃さず、出兵の指図をいただくこと。
正助は久光に迫ります。

「下が上を冒してはならぬ」
久光は、家臣たる大久保の指図で
久光自身が動くことを言っているのです。
久光は、怒って退室してしまいます。


桜田門外の変を主導した関が、
必死の思いで熊本あたりまで下ってきました。
おそらく、3,000名の出兵を促しに来たものと思われます。

しかし薩摩領内には入れず、出兵もしないのは納得できない。
信吾といとが大久保邸に押しかけます。

井伊大老を討ち取った後、大方の予想では
彦根藩が水戸藩に討ち入りすると思われていましたが、
今のところ彦根は動かず。

井伊大老はやりすぎた、という声が多数でありまして、
幕閣の面々は、反省をしたのだそうです。
世間が井伊大老にそういう思いでは、
仮に挙兵に及んだところで、味方するところはどこにもありません。

それはまた薩摩も同じです。
江戸が落ち着いているのに、その状況を考えずに挙兵に及んでも
薩摩に同調する藩はありません。
正助は、まだその機ではない、と言います。

井伊大老の首が飛んでも未だ一橋慶喜は処分が解かれず、
水戸藩に謹慎している徳川斉昭も、
処分が解かれないまま重い病床にありました。

しかし、動くきざしは少しずつ見せ始めます。


信吾は、元服したばかりの弟・西郷小兵衛を連れて
有馬新七を囲んで鍋パーティです。
そこには当然、いともいるわけですが(^ ^;;)

藩が、あるいは誠忠組が
有村兄弟の仇を討たないのであれば
自分たち若い者たちで脱藩して仇を討つ! と
鼻息荒い信吾に、しばらく待て、と有馬は笑います。

ただ、正助と同じように見なされるのはイヤです。
正助は久光に取り入ろうと躍起になっていますが、
有馬は弱腰の藩とは袂を分かって、
独自に行動を起こそうとしているのです。

正助にはほとほと愛想が尽きたと
考えるのは信吾たちも同じで、
いと、そして小兵衛の懇願を受け、
有馬たちと共に行動して行くことになりました。

京都出兵は久光を担ぎ出して、あくまでも
藩を挙げて望もうとする正助の考えは理解されず、
孤立を深めつつありました。


安政7(1860)年3月3日、
江戸城桜田門外において、水戸藩と薩摩藩の脱藩浪士が
彦根藩の行列を襲撃して、大老・井伊直弼を暗殺する。

慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで


あと7年7ヶ月──。

(『篤姫』では「(32)桜田門外の変」〜「(33)皇女和宮」付近)


脚本:小山内 美江子
原作:司馬 遼太郎「翔ぶが如く」「幕末」より
音楽:一柳 慧
題字:司馬 遼太郎
語り:草野 大悟
──────────
[出演]
西田 敏行 (西郷吉之助)
鹿賀 丈史 (大久保正助)

田中 裕子 (岩山いと)
石田 えり (愛加那)
賀来 千香子 (大久保満寿)
──────────
緒形 直人 (西郷信吾)
東野 英心 (森山新蔵)
蟹江 敬三 (大山格之助)
──────────
神山 繁 (井伊直弼)
金子 信雄 (徳川斉昭)

高橋 英樹 (島津久光)
──────────
制作:吉村 文孝
演出:平山 武之

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