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2015年5月12日 (火)

プレイバック徳川慶喜・(19)父の死

水戸城では、胸を押さえて徳川斉昭が倒れ
江戸城内一橋家では
一橋慶喜が謹慎部屋に閉じ込められていますが、
江戸城の外ではもっとショッキングな出来事が起こっています。

桜田門の外で、水戸浪士たちの襲撃により
大老・井伊直弼と彼に従うものたちが命を散らしたのです。

江戸城では急ぎ老中たちが集まり
井伊大老亡き後の対策を話し合います。

まずは幕府政治をどうするのか、
そしてこのままでは当主を殺された彦根藩は
敵討ちで首謀者の水戸藩を攻め込むだろうから、
それに対する手は打っておかねばなりません。

幕府は、とりあえず井伊大老は
軽い怪我でしばらくは登城できないということにして
民衆に対して動揺しないように求めます。

と同時に、大名の不覚の死は家名断絶につながると言われていて
有力譜代大名である井伊家を潰してはならないとし、
さらには“軽い怪我”ということにすれば
彦根藩が水戸藩に敵討ちできないため、その動きを封じ込めます。

井伊大老襲撃後、彦根藩が遺体や駕篭などを速やかに回収したものの
その直後も鮮血飛び散る現場を大名行列でいくつもの大名が通りかかり、
ひな祭りの総登城ということもあって
大名行列見物で多くの民衆たちの目にさらされることになったため、

井伊大老襲撃、そして討ち死にという事実は、
たちまちのうちに江戸民衆に知れ渡ることになります。


新門辰五郎から今回の桜田門外の変を見ると
そりゃ慶喜を苦しめてきた大老が消えたのだから
謹慎中の慶喜、それから隠居させられた斉昭も
政治的生命が生き返ってこれまで通り! と高笑いですが、

大老がいなくなったところで
他の老中たちは全員揃っているわけだから、生き返るどころか
大老襲撃の責任を取って切腹なんてことはないかい? と
れんは心配そうにポツリとつぶやきます。


病床に伏している斉昭は
永原帯刀に変事についての詳細な報告を受けます。

確かに井伊大老は、水戸藩の多くの者たちを罰し
命を奪ってきた“敵”なのですが、
将軍にすれば井伊大老は素晴らしい重臣でもあり
その井伊大老を殺害するというのも悪いことであります。

いずれにしても、斉昭の不徳の致すところというわけですが、
永原に江戸に向かわせ、水戸藩邸にいる徳川慶篤、
そして慶喜へ斉昭の思いを伝えさせます。


京都では、孝明天皇の異母妹・和宮を
将軍家降嫁させることが決定しました。

とはいえ、有栖川宮熾仁親王と婚約していた和宮が
嫁ぎ先を将軍家にさせられたことに、
母である観行院は関白九条尚忠に
そこまで井伊大老が恐いのかと大変ご立腹です。


万延元(1860)年8月15日。
妻の吉子の手を握って、中秋の名月を眺めながら
徳川斉昭は、その波乱の生涯を閉じました。


万延元(1860)年8月15日、
徳川斉昭が蟄居処分の解けぬまま
心筋梗塞により水戸で急逝する。享年61。

慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで


あと7年1ヶ月──。

(『篤姫』では「(32)桜田門外の変」付近)


脚本:田向 正健
原作:司馬 遼太郎「最後の将軍」より
音楽:湯浅 譲二
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[出演]
本木 雅弘 (徳川慶喜)
菅原 文太 (徳川斉昭)
若尾 文子 (吉子)
石田 ひかり (美賀)
鶴田 真由 (徳信院直子)
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堺 正章 (新門辰五郎)
清水 美砂 (よし)
山下 真司 (ガンツム)
水野 真紀 (たみ)
──────────
藤岡 琢也 (中山五郎左衛門)
山本 陽子 (観行院)
佐藤 慶 (永原帯刀)
岸田 今日子 (松島)
大原 麗子 (れん(語り))
──────────
制作統括:高橋 幸作
演出:谷口 卓敬

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