プレイバック翔ぶが如く・第一部幕末編(18)公家攻略策
文久2(1862)年4月23日夜半に起きた伏見寺田屋の惨劇には
朝廷も一般庶民も京の人々全てが薩摩藩の所業に震え上がります。
このままでは戦になる、と近衛忠煕は顔色を無くしていますが、
島津久光をけしかけた岩倉具視は、思った通りの展開に大笑い。
むしろ久光が京にいる限り、京都所司代といっても手出しできず
戦はなくなるという予測です。
岩倉具視──。
1969(昭和44)年11月1日に発行開始された
500円札にも彼の肖像画が描かれています。
(ついでにいえばその前の世代の500円札も彼の肖像画)
公家としては身分が低かった岩倉がどう成り上がっていったのか?
まず朝廷での発言権を得るために
歌道を通して関白・鷹司政通に接近。
ペリー来航をきっかけに、
朝廷の権威回復を訴え侍従となります。
これには、実妹堀河紀子が
孝明天皇の女官であったことも大いに味方しています。
日米通商条約の勅許を認めた関白・九条尚直の前に
反対派の公家88人を率いて参上。
勅許を認めない天皇のため、命がけで決定を覆し
天皇の信頼を厚くします。
大老・井伊直弼の亡き後、公武合体により
孝明天皇の妹・和宮と14代将軍・徳川家茂の婚約を推進し
天皇への忠義を将軍に誓わせる快挙を成し遂げます。
こうして、朝廷での地盤を固めた岩倉は
文久2(1862)年、京に入った島津久光と組み
権力強化を図ります。
今や岩倉は、朝廷工作のカギを握る人物になったわけです。
公家たちは素早く、久光表彰へ動きます。
久光を持ち上げてこのまま滞在させ、
京の守りに就かせるためであります。
気分を良くした久光は、京の警護も二つ返事で引き受け
安政の大獄によって政治の表舞台から退けられた近衛をはじめ、
多くの公家衆の処分撤回の幕府斡旋を正親町三条実愛に依頼され、
これも容易く引き受けてしまいます。
近衛たちの心配は、このまま久光が
江戸に向かうのではないかという点ですが、
京の守護に当たるため、ここから一歩も動かないようです。
ではどうするか?
久光が江戸に向かうのではなく、
“幕府の要職にある人物を朝廷の力を持って京に呼びつける”
というわけです。
大山格之助に鍵屋に呼びつけられた大久保一蔵。
女将のお房は、有馬たちの供養で線香臭くてすんまへん、と
精一杯の皮肉で一蔵を出迎えますが、
一蔵は表情一つ変えず、格之助が待つ部屋へ向かいます。
同士討ちによって有馬新七らを斬った大山格之助は
鍵屋で酒を呑んで荒れまくりです。
久光側近たちに阻まれたとはいえ、一蔵も側近の一人であり
格之助は、有馬たちを討ったにもかかわらず
西郷信吾・大山弥助らに処分撤回の申請をしなかった一蔵が
憎くて憎くて仕方ありません。
一蔵にとって久光は「旗印」そのものであり、
今その旗印を投げ出して鹿児島に帰郷したとしたら
西郷吉之助たちを助け出すことも出来なくなってしまう。
ゆえに一蔵は、自分でしかできないことが起きるまで
ただ黙って耐え、旗印を担いでいるより他に
方法がないというわけです。
吉之助の祖母・西郷きみが亡くなったことを
西郷吉二郎、西郷小兵衛が面会申請をして
それが認められて報告しに来てくれました。
さらに吉二郎は、当の本人ですら知り得なかった
遠島先も教えられます。
「兄さぁには徳之島、新八どんには喜界島への
渡海が命じられもしたど」
寺田屋事件で処分のあった者たちが船に乗せられ
鹿児島に送り返されることになりました。
信吾や弥助も例に漏れず、船に乗せられますが
事件で深手を負った森山新五右衛門は切腹。
信吾は、それを思い出すのも辛そうです。
そして寺田屋事件で暴徒を鎮めた久光の力により
公家衆たちの謹慎が解かれ、近衛が関白に返り咲きです。
さて、幕臣を京に呼びつける策ですが
幕府からはなかなか重臣がやって来ません。
しびれを切らした久光は、自ら江戸に向かう決意を固め
中山尚之助をして近衛や正親町に報告せしめますが、
中山の言い分は聞かず、投扇で遊びほうけてばかりです。
中山は、曖昧な返事を久光に持って帰ることしか出来ません。
「一蔵はおらぬか! 一蔵を呼べ!!」
曖昧な返事しか持ち帰らず、役立たずな中山に
激怒した久光は一蔵を呼びつけますが、
その一蔵に見回りなどの役目を押し付けて
出仕させないでいるのが、役立たずな中山本人なのです(笑)。
久光は、中山の思惑など関係なく
いつでも側近くにいるのが側近だとして
一蔵を呼びつけます。
復職した一蔵は、さっそく岩倉邸を訪問します。
久光江戸参府の口添えを依頼するつもりだったのですが、
長州藩から京都守護の役目を薩摩から分けてくれるように
斡旋以来があったと岩倉に聞き、
いったん引き揚げることにします。
久光不在時に、もし長州藩が京都守護に当たってくれるなら
近衛や正親町にも説得の材料になるわけで
久光の江戸行きはやりやすくなるはずです。
信吾が鹿児島に帰ってきました。
信吾は岸辺から、船中の吉之助に向かって
寺田屋事件の詳細を報告します。
同士討ちにより、有馬新七らが討たれたこと、
取り調べの後、自分たちが鹿児島に送り返されたこと。
「これまでじゃ」と
役人が信吾の肩を掴んで引き戻そうとするのを振り払い
森山新蔵の子・新五右衛門が切腹したことも知らせます。
吉之助や新八に遠島の処分があっても、
自分になかったのは息子が切腹したためだったのか。
それにしても、立派な武士に育てた息子が死んだとあっては
店も金も惜しくはありません。
先に死んでいった息子に笑われぬように、
武士としてけじめをつけたい。
新蔵は、船の中で切腹して果てます。
吉之助は、同志の新蔵の死を悼みます。
久光の江戸行きですが、
朝廷から幕府へ勅使を江戸に派遣することにし
その警護に久光以下薩摩武士1,000名が当たることにします。
ただ、公家たちは勅使を送ることを
幕府から咎められるのを畏れ
なかなか派遣しようとしません。
一蔵はひたすら説得工作に当たります。
岩倉は、将軍がただちに上洛して攘夷のつながりを固めること、
有力大名を大老に任命し、幕政をつかさどること、
この2つを条件に、
大原重徳が勅使として江戸に向かうことを認めます。
それを久光に持って帰った一蔵は
小松帯刀とともに評価され、久光側近として出世します。
そして今まで側近として思うがままやってきた
中山と谷村愛之助は、帰国させられることになりました。
こうして久光は、
兄・島津斉彬の遺志を継いで江戸に向かいます。
ここに全く無力であった朝廷が、外様大名の武力を背景に
その意向を幕府に命じるという前代未聞の事態が始まります。
6月6日、吉之助は
新八とともに南海の島へ追放されます。
久光一行が江戸の薩摩藩邸に到着したのは
その翌日のことでした。
一蔵にとって、初めての江戸です。
文久2(1862)年6月7日、
島津久光が、勅使・大原重徳に随従して京都を出発、
この日に江戸へ到着する。
慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで
あと5年4ヶ月──。
(『篤姫』では「(36)薩摩か徳川か」〜「(37)友情と決別」付近)
脚本:小山内 美江子
原作:司馬 遼太郎「翔ぶが如く」「きつね馬」より
音楽:一柳 慧
題字:司馬 遼太郎
語り:草野 大悟
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[出演]
西田 敏行 (西郷吉之助)
鹿賀 丈史 (大久保一蔵)
田中 裕子 (岩山いと)
賀来 千香子 (大久保満寿)
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緒形 直人 (西郷信吾)
益岡 徹 (村田新八)
萬田 久子 (お房)
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東野 英心 (森山新蔵)
大橋 吾郎 (小松帯刀)
蟹江 敬三 (大山格之助)
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柳生 博 (近衛忠煕)
小林 稔侍 (岩倉具視)
高橋 英樹 (島津久光)
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制作:吉村 文孝
演出:小松 隆一
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