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2015年8月 4日 (火)

プレイバック徳川慶喜・(34)御所突入

八月十八日の政変により京都を追われた長州藩が
京都奪還を目論んで京の町を襲撃する計画を密談中、
嗅ぎ付けた新選組によって御用を受けた池田屋事変。

このことが良かったのか悪かったのか
長州藩の立場がなおいっそう悪くなり、
ここは窮鼠猫を噛むが如く、後には引けず
薩摩藩や会津藩と一戦交えることになるかもしれません。

京で迎え討つ側としては、
危険因子である長州藩を一掃するチャンスではあります。


徳川慶喜の近臣である平岡円四郎が、
水戸藩士を名乗る男に斬られて落命します。

原 市之進の調べでは、下手人は
藤田小四郎につながる筑波山挙兵組の者たちで
姑息な手法で政治を進める幕閣から
慶喜を救い出すために平岡を襲ったようです。

平岡を襲えば慶喜が変わる、と思われているのが
慶喜自身はとても悔しいわけです。
「余は変わらぬ!」


筑波山で挙兵した天狗党の水戸藩士たちの動きを封じるべく
幕府は川越藩はじめ周辺の諸大名に出兵を命じます。

単なる藩内の仲間割れであればどうにかなろうものの、
幕府の軍勢を相手に戦うとなれば、
場合によっては水戸藩の存亡に関わってきます。

慶喜の母・吉子(貞芳院)は、
藤田小四郎・田丸稲之衛門らを説得する手紙を書き
永原帯刀に持たせます。

筑波山に乗り込む永原ですが、
小四郎らの必死の抵抗を受け、説得は難儀しているようです。

その筑波山には、村田新三郎とみよの姿がありました。
そして、新三郎が水戸にいるらしいという情報を受け
赴いたたみの姿も。

呑気そうに突っ立っている新三郎の姿を見ると
次第に怒りが込み上げてきたのか、たみは
新三郎を何度も何度も平手打ち。

一橋に戻って、亡くなった中根長十郎や平岡、
倉石左衛門の分まで働けと言われますが、
戻らぬ、と新三郎に即答されてしまいます。


京都を襲撃すべく、長州兵が次々と伏見周辺に集結しつつあります。

慶喜は、長州兵を京に入れることを許さず
まずは帰藩するように命じますが、
戦うことしか考えていない長州兵が聞き入れるはずもなく。

あくまでも、帰藩させた上で彼らの主張を聞き
藩主や七卿を許すかどうかを考えたい慶喜は
あらためて長州兵に帰藩を命じます。


来たるべき長州兵の襲来に備え、
各藩の京での配置が発表されます。
これによると、蛤御門には
会津藩が当たることになります。

一方で御所内には、有栖川宮熾仁親王(和宮の元許嫁)や
中山忠能、正親町三条実愛など長州よりの公家たちが集まり始め
長州兵を京に入れるための段取りを整え始めます。

不穏な動きを察知した中川宮は
慶喜に至急の参内を促します。


宿所から御所へ馬で駆けつけた慶喜は
御所のそれぞれの門を閉めさせます。

度重なる説得にも応ぜず、長州兵がまもなく挙兵に及ぶことを
慶喜に知らされた孝明天皇は、致し方なしと
長州討伐を認める勅命を下します。

御所の西側にある蛤御門付近で
長州兵と会津・桑名兵が衝突。
蛤御門以外にもたくさんの門で激戦が繰り広げられます。

天皇は、御殿の奥座敷に身を潜めております。
傍らには、病身をおして参内している松平容保。
慶喜は、まもなく長州兵を制圧できることを天皇に伝えて安堵させ
再び戦場へ飛び出して行きます。

無数の鉄砲玉が飛び交う中、果敢にも前進する慶喜ですが
慶喜の身体を、一発の銃弾が貫きます。

バタン!


元治元(1864)年7月19日、
長州勢が、京都守護職の松平容保らの排除を目指して挙兵、
市中で市街戦を繰り広げた「蛤御門の変」が起きる。

慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで


あと3年2ヶ月──。

(『篤姫』では「(40)息子の出陣」付近)


脚本:田向 正健
原作:司馬 遼太郎「最後の将軍」より
音楽:湯浅 譲二
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[出演]
本木 雅弘 (徳川慶喜)
若尾 文子 (吉子(貞芳院))
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水野 真紀 (たみ)
一色 紗英 (みよ)
花柳 錦之輔 (孝明天皇)
畠中 洋 (松平容保)
田辺 誠一 (藤田小四郎)
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佐藤 慶 (永原帯刀)
渡辺 徹 (西郷吉之助)
大原 麗子 (れん(語り))
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制作統括:高橋 幸作
演出:富沢 正幸

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