プレイバック徳川慶喜・(38)条約勅許
新門辰五郎の娘・よしが
徳川慶喜の身の回りの世話係として
宿舎としている京の小浜藩邸に入ることになりました。
とはいえ、火消しの娘がべらんめえ調でお世話していては
慶喜の名誉にも関わることなので、ここはおとなしく
女中に礼儀作法を習うことにしますが、
まずは基本からということで、おじぎの仕方から始めるのですが
短気なよしには、お公家調の礼儀作法はなかなか大変そうです。
江戸城大奥では、慶喜はじめ京にいる者たちが
将軍徳川家茂を上洛させようと動いていることを危惧し
特に天樟院が慶喜に対して
長州の肩を持ったなどと反感を抱いています。
将軍の上洛はなさそうだ、という話を聞いて
和宮や母・観行院は胸を撫で下ろしています。
ただ、それまでの心労からか
観行院はフッと意識を失い、倒れてしまいます。
時は過ぎて慶応元(1865)年閏5月。
結局、家茂は長州征伐のために上洛しています。
長州藩主・毛利敬親親子を出頭させて
将軍に対する非礼を詫びさせ
厳罰に処そうと老中たちは考えていました。
しかし長州藩はそれに反発し、詫びには来ないし
幕府は幕府で、長州はいずれは詫びに来るだろうと
のんびり構えている始末で
全然解決を見ません。
将軍の上洛に合わせて
9月16日、四ヶ国連合艦隊が兵庫に来着。
兵庫開港を要求してきます。
諸外国も本気のようです。
イギリス公使のハリー・パークスは、
この機に乗じて兵庫の早期開港と
天皇からの条約勅許を得ることを計画し、
幕府に圧力をかけることとします。
慶喜は夜のうちに大坂から京に向かいます。
ただ、時の大老・井伊直弼が結んだ条約でさえ
天皇の勅許を得ないまま勝手に結んだ違勅条約であり
その前例もありながら、またも同じことを繰り返すのかと
慶喜は公家たちを前に無勅許における条約調印の不可を主張しますが、
老中の阿部たちは違勅条約を譲らず、
朝廷は、老中らを咎めて官位を剥奪してしまいます。
何としても、勅許を得てからの条約締結を求めて
慶喜は各方面に働きかけますが、
そんな時、将軍家茂が
「将軍をやめる」と言い出します。
それを聞いた慶喜は、京を飛び出し
帰還途中の将軍と伏見にて対面することになりました。
将軍を問いつめれば、老中たちにそう言えと言われたとかで
勅許に対する慶喜の説得工作は続きます。
その甲斐あってか、条約締結後7年にしてようやく
条約についての勅許を得ることが出来、
正式な条約とさせることができました。
慶応元(1865)年9月16日、
英国4隻、フランス3隻、オランダ1隻からなる艦隊は、
各国公使を乗せて横浜を出港し、兵庫港に到着する。
慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで
あと2年──。
(『篤姫』では「(40)息子の出陣」〜「(41)薩長同盟」付近
脚本:田向 正健
原作:司馬 遼太郎「最後の将軍」より
音楽:湯浅 譲二
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[出演]
本木 雅弘 (徳川慶喜)
石田 ひかり (美賀)
鶴田 真由 (徳信院直子)
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清水 美砂 (よし)
深津 絵里 (天樟院)
花柳 錦之輔 (孝明天皇)
畠中 洋 (松平容保)
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岸田 今日子 (松島)
園 佳也子 (高部)
佐々木 すみ江 (瀧山)
山本 陽子 (観行院)
大原 麗子 (れん(語り))
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制作統括:高橋 幸作
演出:富沢 正幸
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