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2015年9月 1日 (火)

プレイバック徳川慶喜・(40)徳川家相続

長州征伐が、幕府軍の負け戦のような情勢になり
そんな時に将軍徳川家茂が薨去。

江戸城大奥では、御年寄・瀧山がさも言いにくそうに
次の将軍を決めねば、と天樟院と和宮に伝えます。

天樟院は、家茂がかつて望んでいたように
田安家の亀之助を次期将軍に、と推挙しますが、
和宮は、亀之助がまだ4歳の子供であることを危惧します。

和宮はかつて、次期将軍が亀之助で異存がなかったのは
家茂から将軍を継ぐ時期がまだまだ先で
その間に亀之助は成長すると考えていたからで、
こんなに早くお別れが来ようとは思っても見ませんでした。

ただし、高部や瀧山が言うには、
和宮が亀之助に異論を唱えれば
それに代わって名前が出てくるのは徳川慶喜であります。

慶喜は、大奥不要論を出した徳川斉昭の子なので
のちのち大奥は取り壊しにされてしまうかもしれないし、
水戸天狗党を裏で操り、幕府と朝廷との関係に
くさびを打ち込んだ人物!(として大奥では認識されている)

「黙るのじゃ。そなたたちの意向は聞いてはおらぬ」
天樟院がピシャリとふたりの口を封じます。


一方、老中たちの意見は
慶喜に将軍職を継いでもらう、で一致。
それを慶喜に伝えると、慶喜は固辞します。

朝廷が諸大名に直接命令を下している現在、
幕府の権威が完全なまでに失墜してしまっていまして、
自分はその適任ではない、と考えています。

……というのは建前でありまして、慶喜の本音は
将軍職に適任なのは自分を置いて他にはいない、
というのは最も慶喜自身が自覚しておりますw

ただ、以前の将軍後継の件では慶喜の名前が取りざたされて
世間から野心があると見られていることが多く、
今回も老中たちの意見に沿って将軍職に就けば
ああやはり、と思われることは必至であります。

間違っても、自ら名乗りを上げて
将軍職立候補、という形にはしたくありません。
みんなに請われてしぶしぶ承知する、という形がほしいわけで
それで慶喜は頑なまでにへそを曲げているのです。

固辞し続ける慶喜に、それでもどうかお願いします、と
請われて将軍職に就任すれば、意見も通しやすくなります。
慶喜の考える幕政改革を遂行していくためには、
慶喜の意見が通らなければ辞退する、という
図式を作ってしまえばいいわけです。


前福井藩主・松平春嶽が慶喜を説得に当たりますが、
いっそ春嶽公が継がれては? との慶喜の返しに
将軍後継を軽々しく論じるではない! と立腹してしまいます。

それはそれがしも同じこと、と慶喜は涼しい顔です。
特に春嶽は徳川御三卿の田安家出身で
徳川御三家の水戸家出身の慶喜と同じ、徳川家の一員なのです。
将軍家相続の権利は、春嶽にもあるはずです。

春嶽が主張して来たように、幕府を一旦解体し
西洋式共和政治を断行すればよろしい、と
慶喜は席を立ってしまいます。


朝廷、幕府は慶喜を支持するかしないかで二分されております。

孝明天皇は慶喜が後継するのがよいという考えですが、
およそ、長州征伐に反対している者が
慶喜が将軍になることに反対しているようです。
(慶喜の幕政改革に意を唱える者が反対と言い換え出来ます)

それから老中会議で大激論、朝廷会議で大激論、
誰が寝返った、どう怒鳴り合ったとすったもんだの挙げ句、
結局は慶喜しかいない、というところに落ち着きますw

何度も何度も説得に当たって来た老中板倉は
慶喜と老中たちの間で板挟みにあっておりまして、
それでも慶喜の説得工作に当たり続けていますが、

今日に限って、謹んで徳川宗家の相続をお受け致す、との
慶喜のあっさりした返答に板倉は涙を流して喜びます。
しかし、慶喜のへその曲げ方はまだまだ終わっておりません。
「ただし、将軍家継承はお断り申す」

そして幕政改革は慶喜の思うがままに進めていいことを約束させ
長州征伐も亡き将軍の弔合戦ということで
慶喜を先頭に進めていくことを確認します。


長州軍と戦ってきた老中小笠原が小倉城から戻ってきました。

肥後藩、久留米藩、柳河藩が小倉城から撤退し
小倉城が長州藩に奪われるのも時間の問題、とのことです。
小倉城が奪われれば関門海峡は長州の支配下ということになり、
幕府軍としてはかなり状況が厳しくなってきました。

特に、長州藩は商人パークスとつながっておりまして
武器の仕入れルートを確保していますので、
幕府軍よりも3倍ぐらいの戦力は持っている模様です。
そこに薩摩軍が加わると、手もつけられない状態です。

割の合わない戦、勝つ見込みのない長州討伐を
慶喜は一時中止とします。


慶応2(1866)年8月20日、
徳川慶喜が徳川宗家を相続するが、将軍職就任は拒否する。

慶応3(1867)年10月14日、
徳川慶喜が明治天皇に『大政奉還』を上奏するまで


あと1年1ヶ月──。

(『篤姫』では「(43)嫁の決意」付近


脚本:田向 正健
原作:司馬 遼太郎「最後の将軍」より
音楽:湯浅 譲二
──────────
[出演]
本木 雅弘 (徳川慶喜)
石田 ひかり (美賀)
鶴田 真由 (徳信院直子)
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清水 美砂 (よし)
深津 絵里 (天樟院)
花柳 錦之輔 (孝明天皇)
畠中 洋 (松平容保)
──────────
林 隆三 (松平春嶽)
園 佳也子 (高部)
佐々木 すみ江 (瀧山)
岸田 今日子 (松島)
大原 麗子 (れん(語り))
──────────
制作統括:高橋 幸作
演出:富沢 正幸

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