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2015年10月28日 (水)

バス停について本気出して考えてみた(130)

終点停留所の旅“たそがれ”第100弾です。

“幕コレ(方向幕コレクション)以外に、
何か細々と続けられるような企画がないかなぁと考えまして、
始めますのが今回からの企画です”とシリーズの始めに書きました通り、
平成25(2013)年1月24日にスタートしまして、はや2年9ヶ月。

細々と書き続けて、ようやく100回目を迎えられました。
毎回毎回かなりの長文をご覧いただき、ありがとうございます。
(ちなみにスタートのときの記事はコチラ)

基本的には毎週1回の更新というスローペースなので
感慨深い、ということはあまりありません。

100回を持ってやめる! ということならいざしらず、
県内にはご紹介していない終点停留所がまだまだゴロゴロと(笑)。
まだ先は長いわけです。。

というわけで、今回もいつもと同じようにやっていきます。
今回はF岡県北K州市W松区の
W松渡場バス停をご紹介します。


Mi1936

調査のためにW松区役所にKassy号を駐車しましたら、
電気自動車がお食事中(?)でした。

前の、人間で言う“鼻”のところにコードを突っ込むという姿は
パッと見、とてもかわいらしく見えますね。

Mi1938Mi1937

W松区役所は、“東洋一の吊り橋”だったW戸大橋の真下にあり。

その橋脚には、前回ちらっとご紹介したW松駅の
操車場があった時代を描いた壁画がありますよ。


Mi1945Mi1946

コチラは、そのW戸大橋を描いた壁画です。


Mi1939

大橋を下から見上げると、非常にダイナミック。
カーブがあると、奥行き感満載ですなぁ。


Mi1940Mi1941

大橋の下をたどっていくと、
調査目的である「W松渡場バス停」よりも先に
バス転回場・待機場を見つけてしまいました。

ちょうどバスが1台。
迷惑にならないように、なるだけこっそりと撮影。。。
迷惑かを気にするあまり、逆光になってしまいました(^ ^;;)


Mi1943

そのバス転回場・待機場から歩いて1〜2分、
「W松渡場」バス停です。

出発側は簡易型のバス発着所になっておりまして、
渡場の乗り場とつながっています。


Jg1629

ちなみにこれは、この取材時に撮影したものではありませんが、
平成22(2010)年7月16日に取材して撮影したもの。
あれから5年以上が経過し、
バス路線はどう変遷していったのでしょうか。


Mi1944

反対側にあるバス停標柱。
反対側なので、コチラは到着用。
soramameさん風に言えば「オリバーくん」。


Mi1942

大橋の延長上、対岸の橋脚ほぼ下にも渡場がかすかに見えます。
あちらは「T畑渡場」。

前回「W松駅」でご紹介の、乗降調査エピソードでも語りましたが
1本目がコチラ側の「W松駅」、
そして2本目の目的地がアチラの「T畑渡場」でありまして、

1本目と2本目の目的地は全く違う場所ながら
その間にある湾を通って、渡場同士を船で結んでいるというのは
何か因縁めいたものを感じます。

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バス・電車」カテゴリの記事

コメント

つい1月前、このあたりに行きました。
北K州に用事があり、その用事も午前中で終わってのバスのり。
T畑渡場から渡船でW松渡場に行き、歩いてO橋通りまで行きN鉄バスのW戸大橋経由S津行きに乗りました。

──────────

Sさーん。こんにちは!
今日もコメントありがとうございまーす。


>つい1月前、このあたりに行きました。
あら、いろいろなところに登場なさってますね(^ ^)
ようこそw


>用事も午前中で終わってのバスのり
自分のテリトリー(?)以外でのバス乗りって
少し恐くないですか?

行動によっては、ターミナルを挟んでの
ルートを選べばいいので、恐さはないかもですが、
どうしても最初はターミナルからの出発になるので
「どこに連れて行かれるんだろう」と不安になります(^ ^;;)

ちなみにワタクシ、母の実家がO分市内にありまして
駅から歩いていける範囲内なのですが、
駅前周辺から母の実家にバスで行けません。
どのバス会社に乗っていいかも分かりません(涙)。

逆は行けますよ、確か県庁方面?に出られたはずです。

いや、今は母の実家の前をバスが走っていない?
道が一方通行路に変わってしまいましたもんねぇ、
いつの間にか。


>T畑渡場から渡船でW松渡場に行き
おー、ワタクシは逆ルートでした。
船、海面ぎりぎりなんですね(笑)。
違う意味でハラハラしましたw

投稿: ★S | 2015年10月29日 (木) 20:22

大分市内の路線バスは、O道、M町、U野、T城、A磧方面に回るO分バス(青い方)とS川、N揚町、N赤病院、西O分、B府方面に回るO分交通(赤い方)に分けられるでしょうか。中心部循環線の一部は相互乗り入れしている場合もあります。

──────────

Sさーん。こんにちは!
今日もコメントありがとうございまーす。


>O分バス(青い方)と…(中略)…O分交通(赤い方)
うーん!

母の実家は、O分駅から国道10号線を
O分川方面に向かった途中にあるのですが、
確か青いバス……だったかなぁ???

確かバスに乗ったのが小学2年生か4年生のころで、
30〜32年前のことなので
その断片すらも覚えていないのですが(^ ^;;)

あとはその時、O分中心部のどこかのアーケード街で
お買い物をしたという記憶……(^ ^;;)

ただ、実家の場所はしっかりと覚えているので
その前を走るバス路線を見てみましたが、
現在は、やはりバス路線はありませんでした。

っていうか、当時バス路線あったのだろうか?
もはやそこすらあやふやに(笑)。
確かあったと思うんだけどなぁ。

母の実家の玄関は裏通りに面していまして、
家の裏手には祖母が管理していた契約駐車場があり、
その契約駐車場がバス通りに面していました。

そのバス通りを渡って、銭湯に行っていたので
バス通りは片側1車線ずつの
合計2車線というのを覚えているのですけど、
今見ると、1車線のみの一方通行に変わっています。

道路両脇にグリーンベルト?(歩行帯)がありますが
それでも道路幅はけっこう広いですからね。
もともと2車線だったことがうかがえます。

その契約駐車場のフェンスのところに
当時ボロボロのバス停銘板が
あったような気がするんですけど……、
ここからはもう全く記憶が曖昧です。

こればかりは、母に聞くしかありませんね(笑)。

ちなみに数年前、転職活動でO分市内に向かったときも
駅から会社までてくてくと歩いていきました。
バスに乗るのが恐かったのでw

投稿: ★S | 2015年10月31日 (土) 14:01

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